紅桜に成って似蔵さんを救うお話
突然の真っ黒とピンク
ハッと彼女の意識が戻った。
何とも簡易的な表現であるがそれが一番正しい。
効果音が付きそうなほどに勢い良く顔をあげたのだ。
「にぞーさんっ!!!」
目が覚めて開口一番推しの名が出る彼女は、流石、自他共に認める筋金入りのオタクであった。
「あれ、ここどこ?」
辺りを見渡してみるも広がるのは闇ばかり。
「似蔵さん……。」
先程の景色を思い出す。
土剥き出しの地面に広がる血。倒れていた男の死体。そして何より、己を見つめる男の姿。
「はぁ……まじかぁ」
これだけ聞けばただの殺人現場に遭遇した哀れな状況で、決して今の彼女のように恍惚とした表情でため息を吐くわけもないのはずなのだが、最早彼女には彼の姿しか見えていなかった。
「いやぁ、めっちゃ近かったよなぁ……すんごいわ……すんごい……。」
そのお陰で自身が置かれている不可解な状況を何も理解していなかった。
「いやぁ……ついに推しの夢を見てしまうなんて……神かよ……。」
そう言って天を仰ぐ彼女。
どうやら夢だと思っているらしい。
「このまま、一生覚めなくて良いわ。」
暫く彼女にしか分からない余韻に浸れば、
「でも、何だこの暗い空間。」
やっと現状の話にとなる。
今、彼女が置かれている空間。
闇一色の景色。
胸から下の己の身体すら見えない暗闇。
「身体は動くな……。」
先程とは違い、足を上げてみるとアキレス腱の延びる感覚が、腕を伸ばしてグーパーすれば握った感触はある。
ただし、深い闇のせいで爪先も指先も見えない。
「覚めなくて良いけどずっとこの暗闇はやだな……。」
言霊とでも呼ぶべきか、なんだかずっとこのままになりそうで彼女の心に恐怖がやっと湧いてきた。
「あの〜、すいませぇん。」
声をあげてみるもすぐに暗がりに飲まれていく。
返事など勿論無い。
しぃんとした静寂に恐怖が増す。
先程までは、推しという麻酔のお陰で、恐怖という感情が入り込めていなかった。しかし、現実に戻った今、恐怖心は確かに強くなっている。元来彼女は怖がりで、お化け屋敷なども入ったことが無い。
暗闇からいつ何者かの手が伸びてきても可笑しくない。
某ホラーゲームのブルーベリー色をした化け物が闇から出てくる妄想のせいで背筋がぶるりと震える。
ここで震えていても仕方ない。それは分かっているのだがどうしたら良いのかも分からない。これがゲームであれば周囲を調べるところから始めるのだが、一寸先は暗闇で、自分が伸ばした腕の先すら確かではない。
「電気……ないのかな。」
暗いなら電気を点けようと、腕を伸ばしながらゆっくりゆっくり歩きだした。
「ほら、電気って壁についてるじゃん。壁を見つけて伝っていけば見つかると思うんだ。」
特に誰かに聞かせるわけでもないが、恐怖を少しでも減らそうと口に出して声にする。
及び腰で歩くが、まだ壁は見つからない。
「……。」
伸ばした腕の先も、足元すらも闇に包まれていて見えない。何か物に躓かないように少しでも指先に触れるものはないか。彼女は神経を集中させて一歩一歩踏み出す。
暫く歩いた。
どのくらいかと問われれば彼女は正確には答えられないだろうが、結構歩いた。
「しっかし、胸とか近くの物なら見えるってことは少なくともそれぐらいの光は目に入ってるってことだよなぁ……まぁ、全然詳しいこと知らんけど、虹彩に光が反射して?いや、物体に反射した光が虹彩に入って物を認識するんだっけか?……まぁいっか。」
だとか、
「しかし、これって夢なのかなぁ、頬を抓っても痛いし、普通に。トリップゥ!?なんてはしゃぐ年でも無いし。ラノベと夢小説の見すぎ乙。」
だとか、
「そもそも、昨日自分何してたっけか、トラックに轢かれでもしたかな?小さな子供を助けようとして車に轢かれたら、目を覚ますと、霊界案内人となのる水色の髪の女の子が箒に乗って話しかけてきた!まっちのひとごみ!肩がぶつかって、ひっとりぼぉっち!!」
なんてふざけて好きな作品の歌を歌ってみたり。
そんなふざけたことをして歩いていたのだが、壁も無ければ何か物があるわけでもない。
「マジかよ……無限ループって怖くね」
足だけ動かしてその場から動いていないのではないかと、冗談混じりにおどけてみたが直ぐに後悔した。いやな妄想が頭を過る。
「あ゛ぁ゛!!どうしたらいいんだよっ!!」
苛立ち、不安、恐怖、ごちゃごちゃに気持ちが悪くなった心を吐き出すように叫んでやる。
「あ゛ー!あ゛ー!あ゛ー!!!」
どうせ誰も居ないんだ。そんな風に思って大声を出す。
「どうせ誰も何も無いんだろ!?んなら大声出してやるよ!こちとらストレス貯まりまくってんだよ!毎日毎日愚痴ばっかでさ!何なら聞かせてやろうか!?あぁ!?」
若干キレ気味で大声を出していく。
四肢を地面に放り仰向けの姿勢は腹式呼吸にて大声が出やすい。
「逆に何かいるんなら出てきてほしいね!!どうせ何も進まないんだ!これなら化け物だろうが殺人鬼さろうがさぁ!出てきてもらって話を進めてほしいんもんだよ!!!」
彼女は何も本気で言ったわけではない。そんなものに会えば自分が即、死ぬことくらい分かっている。殺人鬼に化け物なんて本気で望んだ訳じゃない。
しかし、言霊とは恐ろしいもので、
「え……」
視界の左端にどぎついピンクを捉える。
今までになかった急な変化に思わず身体を起こしてそこを凝視する。
なんだかそのピンクはどんどん近づいているようでどんどん濃くなっているようで
「なに、なになになになになに!?なになになになになに!?」
一、二歩と後ずさりながら様子を見ていると、そこは桃色に光っていた。ドロリと重たそうな色をした下品なピンクだ。
その奥に何かどす黒く光るピンク色の塊が見える。
それは徐々に大きくなっていて、近づいてきていることが分かった。
「ヤバくない……あれ……」
その様子はとても気持ちが良いものとは思えない。
あれが何なのか遠くからではハッキリしないが、直感的に嫌なものだと察した。冷や汗が背筋を伝う。鳥肌が尋常ではないくらい立っている。
「今のうちに逃げといた方が……」
それの動きはゆっくりでもぞもぞとした動きだ。追い付かれる気はしなかった。だが、その異常な様子に逃げる足取りは自然と早くなった。
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