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Gift

いつもより暑い夏――目の前に横たわる黒と白の模様を、じっと見詰める。それは歪むこともなく、ただ明確に道を示していてまるでそこだけが世界を分離しているように見えた。
『絳攸、来なさい』
黒と白だけの世界に、甘酸っぱいオレンジ色が侵入してきた。




「今日はこれで終わりだ。あと二日で時想祭の予算をある程度決めるぞ。明日も遅れるなよ、遅れたら夏休みが終わるまで私の仕事を全て押し付ける」

理不尽だ。手に持っている大量の資料を鞄に押し込みながら頭の片隅で絳攸は思った。書類の端には予算案のメモやら、人
材の量・部活の出す模擬店のスペース・配置。中・高等部の合同で行う時想祭は年間通して一番の大イベントだ。一般にも公開されるこの学園祭は三日間続けられる。
一日目は高等部中心で学習発表や部活動の表彰会。二日目は一般の人も入るのが許可され、部活動の模擬店やクラスの模擬店が出店される。三日目は中・高等部の時想学園の人間のみでバンド・劇などの発表。もちろん模擬店も出店される。三日目の夜はキャンプファイ
ヤーを行い、三日間の苦労を六学年全体で労う。

この壮大な時想祭で一番苦労するのは、模擬店の準備をする生徒達では勿論なく、先生方でもない。一番仕事が多いのは中等部・高等部二つの生徒会メンバーである。基本的な話し合いは別々に行うが夏休みに入ると、週一の割合で中等部と高等部の生徒会同士が報告会を開いている。今日は高等部のみだ。

「すみません、」

こんこん、と扉が叩かれる音と同時に扉が開かれる。ひょっこりと顔を覗かせてきたのは中等部の生徒会会長・杜影月であった。何故、急に来たのだろうと思い首を傾げると向こうが気付いたのか、小さく会釈してきたので合わせて此方も会釈を返す。

「えっと、清苑さん。少し良いですか?」

「ええ。構いませんよ、
何か予算の変更がありましたか」


先程自分たちに見せていた凶悪な顔から一変してにこやかに対応している清苑を見て絳攸は、もう一度世の中って理不尽だ。と心の中で呟いて、下を向く。鞄の中に押し込んだ資料がぐちゃぐちゃになって後々見る時に読みづらくなるのだろうな、ということには気付いていたが今更取り出して一枚一枚の角を揃えるのも面倒だと思い、それを
見なかったことにして絳攸は席から立つ。それとほぼ同時にもう一つ椅子が引かれる音が聞こえた。

「絳攸、一緒に帰らない?」

ふ、と視線を上げたところで声を掛けられる。絳攸の正面に座っていた楸瑛が鞄を肩にかけて席を立ったところだった。その誘いに返事は返さずに肩を竦めるだけで答えて、生徒会室の扉へ歩いていく。後ろからついてく
る足音も。

「それじゃ、お先に失礼します。あ、会長。ちゃんと食事採ってくださいよ、倒れられると困るので。それと副会長、ちゃんと資料に目を通しておいてくださいね」

「いやいや…会長は君じゃないんだから。 それでは、私も失礼します」

「ああ」

「んお、おー…じゃあなー」

椅子三つを使って眠っていた燕青が振って来た手に先程影月にしたように小さく会釈して絳攸は扉を閉める。横を向けば相変わらずニコニコと笑っている楸瑛が首を傾げて此方を見ている。それには何でもないと返して、ゆっくりと歩き出した。


「もうすっかり夕方になっているね」

「ああ、そうだな。今日
だけで結構進んだからこんなもんだろう」

学外に出ると、青い空はすっかり姿を消して真っ赤に染まっている。校舎やグラウンド、自分たちでさえも真っ赤に染まっていて、明るく照らしている。今は18時だが、夏だからか日が落ちるのにはまだまだ時間がかかるようだ。

「それにしても、今年の学園祭は随分豪華だね。やっぱり会長がアレだからかな」

「…まあな。秀麗が今年入って来て、格好良いところでも見せたいんじゃないのか。妙なところで子供だから」

「…それ、本人の前で言っちゃ駄目だよ。夏が真冬になるから」

「誰が言うか。それくらいの分別はあるし、またあんな雰囲気にはなりたくない!」


そのときのことを思い出し一気に二人で暗い気分になって、落ち込む。清苑に秀麗への格好付けを言うことはNGだ。今年の夏休みの初めの中・高生徒会合同ミーティングで燕青が「お前、ホント格好付けだよなー」と呟いた所為で室内に雪が積もるのではないかと言うほどの冷気が漂った。そういったことに慣れていなかった中等部の生徒会メンバー(生徒会長除く)
は見事に固まっていた。楸瑛や絳攸は慣れているとは言え流石に肝が冷えた。 その時は影月を迎えに来た龍蓮のソプラノリコーダーの音色のおかげで(この時ばかりは皆感謝した)救われたが。

「ま、まあ、燕青先輩の発言に気をつけていれば大丈夫だよ。…多分」

「お前が押さえろよ。体力自慢なら、意地でも黙らせろ」

「……流石の私も燕青先
輩には敵わないんだけど。っていうか私剣道部で、あの人柔道部なんだけど」

「知るか、そんなこと」

ふっと鼻で笑って楸瑛を見る。すると楸瑛も口許を緩めて笑い返してくる。

「ああ、もう着いちゃった」

「え、ああ…そうだな」

いつの間にこんなに歩い
ていたのだろうか、と絳攸は妙に落ち着かない気持ちで辺りを見回す。そこは夏休みに入ってからいつも楸瑛と別れる交差点。交差点と言っても、小さなところであまり車が通ることはないし今はもう人も殆ど歩いていない。 長期休み以外は楸瑛が朝練があるために共に学校に行くことはない、今だけの時間。

「それじゃ、また明日此処で待ってるね」

小さく、笑う。別れるの
が名残惜しいと言うように最後に指を絡め取られる。その指が、ゆっくりと一本一本撫でて、まるでそれが宝物のように優しく触れるから絳攸はほんの少し気恥ずかしくなって手を握り返すことが出来なかった。

「また、明日」

「…ああ。 また、明日」

最後に、絳攸の手をぎゅっと握り締めて楸瑛の手が離れていく。ふらふら
と、先程まで絳攸の手に触れていた手が振られる。楸瑛の足元にある横断歩道と、空の赤いオレンジ色と、去っていく背中を見て、何かを。思い出した。



いつもより暑い夏――目の前に横たわる黒と白の模様を、じっと見詰める。それは歪むこともなく、ただ明確に道を示していてまるでそこだけが世界を分離しているように見えた。その世界の中に
ぽっかり浮かんでいる白い部分だけが地面のように見えて、そこ以外の黒い部分を踏むと、何処かに落ちてしまうのではないかと子供心に変なことに怯えていた。
(白いところだけ、ふんだらへいきかな?)
目の前を歩いていく蟻は白い部分以外の黒い部分を踏んでも平気で生きている。でもあの動物はとても軽いから、落ちないのかもしれない。自分はどうだろうか?蟻よりはよっぽど重い、やっぱり危険だ。でも、渡らない
と帰れない。目の前を歩いていく背中はどんどん小さくなっていく、置いていかれるのは怖い。
ふ、ともう一度、地面を見詰める。今この状態では黒いところを踏んでいるのに、この梯子みたいな白と黒の模様の部分だけは、危険な気がするのだ。ぎゅ、っと裾を掴む。
『絳攸、来なさい』
え、と顔を上げたとき、そこに入ったのは真っ赤な色と、それと小さく混ざるオレンジ色。冷たい感触。
『何をやっているんだ。さっさと来い。百合が待っている』
『あ、は、はいっ!すみません、すぐに』
ぽい、と投げられた冷たいオレンジの絵が描かれた缶を両手で受け取って、赤い背中についていく。白と、黒の世界に甘酸っぱいオレンジ色が侵入。もう、その世界は怖くなくなった。




次の日の朝、絳攸は普段
通り家を出て、待ち合わせをしている(そして別れる場所でもある)交差点に立つ。珍しくも、楸瑛は来ていないようだ。ふう、と嘆息して電柱に背中を預ける、足元にある草を踏んでクシャと音を立てた。 いつも楸瑛が歩いてやってくる方向にある横断歩道を見て、また昨日の別れ際に過ぎった光景を思い出す。  ――しろと、くろのせかい。

「しゅう、えい」

本当は白と黒の世界な筈
はない、朝の為に出ている太陽の光も、空の色もある。それなのに、何故かとても恐ろしくなった。今更あのときのように黒い部分を踏んだら落ちてしまうとか思っているわけではない。それなのに。

「楸瑛、」

「どうしたの、私の名前なんか呼んで」

横から聞こえた声に、え、と何か言葉を発する前に白と黒の世界に甘酸っぱいオレンジ色が侵入し
てきた。それと同時に鼻先に冷たい感触。太陽を遮断するように出されたそのオレンジ色は昔見たアレと同じで絳攸は少し驚いて、笑った。 ゆっくりとそのオレンジ色の缶が離れ、楸瑛が絳攸の顔を覗き込む。

「どうかしたの?」

「いや、なんでもない。さっさと行くぞ、会長に怒られる」

「ああ…そうだね。少し早めに行った方が良いかな。じゃあ、行こう。そ
れと、はい」
左手につけた時計を覗き込んで頷いた楸瑛が絳攸の手にオレンジ色の侵入者を乗せる。それは火照った身体には冷たくて、やっぱりあの時のことを思い出した。絳攸は頬が緩むのを感じながらも、どうにもそれを直すことが出来なかった。


(ああ、あの白と黒の世界から救ってくれたのは、お前で二人目だ)


「本当にどうしたんだい
、君。今日は随分とご機嫌じゃないか」

「別に何でもない。ただ、このジュースがすきなんだ」


(こんなことを言えばお前は調子に乗るから言わないが、だけど。お前がどうしようもなく、好きだと思う)


いつもより暑い夏の日――オレンジ色の侵入者は、またこの手の中に在る





甘酸っぱいオレンジ色の侵入者
End


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