仙×洋 仙×洋 深夜のバイトを終えて帰る途中だった。 いつも通る公園の中から音がした。 洋平は振り向き音のするほうを見た。こんな遅い時間だからと言ったって人がいる時だってあるだろうが、洋平が聞いた音は気になる音だった。 最近耳にするボールの音だった。 フェンスを通して目を凝らして見た。確かに誰かいる。 中に入って確かめてみることにした。 背が高いことはわかるが外灯のないこの場所では暗くて見えずらい。 洋平が来ても彼は気づかずにドリブルをしてジャンプ、そしてゴールネットにボールを入れていた。 もっとよく見えるようにと洋平は近づいた。 ――― 集中してるみたいだから案外気づかれないもんだな。 しかし、それもすぐに気づかれてしまった。フェンスに寄りかかった拍子に洋平の体重を受けて金網が軋んだ音がした。それがやけに響いてしまった。 その背の高い彼は手を止めて振り返った。 「誰?」 ヤバいと思ったがとりあえず取り繕いの笑顔を洋平はした。こんな暗がりで見えるかどうかはわからないが。 彼はボールを持ったまま洋平のほうへと歩いてきた。目の前に立った彼は予想以上に大きくて圧迫感を感じた。だが、暗すぎて顔までは判別できなかった。 「怪しいもんじゃないよ。音がしたから気になってさ」 なんか言い訳がましいなと自分で言っていておかしく思った。 「確かにこんな時間にいるほうがおかしいよね」 笑って彼がそう答えた。 「でも、君も随分な時間に歩っているね」 近くにコンビニもないので思われてもしょうがないだろう。 「俺はバイトの帰り」 「なるほどね」 話の切りもいいので洋平はここを立ち去ることにした。 「邪魔しちゃったな。じゃ」 彼に背を向けて歩いた。 「気をつけて帰ったほうがいいよ。この辺、危ないヤツがいるから」 洋平は苦笑した。自分を知っている奴らだったら絶対言わないことだろう。 まあ、今の外見だったら喧嘩が強いなんて見えないのだろう。私服でおまけに髪を下ろしていては。体格も細くて背も小さければ余計だろう。 結局、誰だかはわからなかった。でも、バスケットマンなのだろう。 +--+--+--+--+--+--+--+ 土曜の繁華街。 昼を少し過ぎた時間はいつもより人で賑わっている。学校は半ドンで終わり、洋平は一旦家に帰り、着替えて遊びに来ていた。 前に目にしていて欲しいと思っていた服を買って上機嫌で歩いていた。 ――― 突然、腕を掴まれた。 なんだと思い見上げた。 かなり背の高い男だった。見たことのない奴だった。こんな男と喧嘩もしたことがない。まるで記憶がない。 「やっぱり」 そう言われても洋平にはさっぱりわからなかった。 怪訝そうな顔をした洋平に気づき、 「深夜の公園」 そう言われて洋平は思い巡らせた。 「―――― !!」 あの深夜のバスケットマン。 すっかり忘れていた。些細なことだったから記憶に留めていなかった。 「思い出してくれた?」 そう言って彼は優し気に微笑い(わらい)かけてきた。 しかし、あの暗がりでよく顔がわかったと思う。それに今は髪を上げているからかなり印象が違うはずなのに。 「深夜のバスケットマン」 見上げた感じは花道ぐらいある。 「はは。そう。仙道彰って言うの」 勝手に彼は名乗ってきた。どこかで聞いた名前だと思った。記憶の箱をいくつも開いた。 「陵南の」 思わず指を指してしまった。 花道たち、湘北とゲームをしたチームだ。 「俺のこと知ってるんだ」 「友達関係で」 「そうなんだ」 もう切り上げたかったが仙道の手は未だに洋平の腕を掴んだままでいる。 「立ち話もなんだから店入ろうか」 そう言って洋平を引っ張り近くのカフェに入った。 こっちが返事をする間もなく連れてこられてしまった。勝手な強引さにイラついたが微笑んでくる仙道に怒鳴りたい感情も萎えてしまった。 「なんでも好きなもの頼んでいいよ。昼メシは食べたの?」 矢継ぎ早にくる仙道に洋平はどうせ奢ってくれるんだからと開き直った。親元を離れて一人暮らしをしている洋平はさっき服を買って今月の生活費が僅かだっただけにラッキーだと思った。 「まだ」 「好きなものいいよ」 洋平はパスタのセットを頼んだ。勿論、スープ、サラダ付きでドリンクバーもだ。仙道はケーキセットを頼んだ。 「へえ。左利きなんだ。そう言えばまだ名前聞いてなかったよね」 パスタを口にしながら目線を上げた。 やっぱり聞いてきたかと思った。このまま食い逃げはできそうにもなかった。 「水戸洋平」 渋々と答えた。 「学校は?学生でしょ」 「湘北。高一」 「湘北かあ。桜木って知ってる?赤い髪をしてる」 正直に話そうかどうか迷った。花道を知っているってことは遅かれ早かれわかることだろうしと話すことに決めた。 「俺のダチだけど」 この後も花道の話に展開するのだろうと思ったが単に話の切っ掛けだったようだ。 「あの時は下ろしていたからパッと見わからなかったよ」 いっそ気づかないでくれたらよかったのにと思った。軽い気持ちで覗いただけなのにこんな展開は望んでいなかった。面倒でしょうがない。これが洋平の本当の気持ちだった。 「こんなんじゃバイト先ヤバいから」 それでも話を合わせてしまうのが洋平の性分だった。 「何やってるの?」 「飲食関係」 バイト先は最近海岸通り沿いにできたカフェだ。そこまで詳しく話す義理はないはずだしと大雑把にすませた。 「手強いねえ」 あっさりとはぐらかした洋平を探るような目で見た。 「奢ってくれんのはありがたいんだけど、俺、アンタとお友達になるなんてこれっぽっちも思ってないから」 こんなしつこい奴に付き合ってられっかと洋平は席を立った。すかさず仙道も立ち上がり洋平の手首を掴んだ。 「興味がある」 見下ろして仙道はそう言った。 「俺はない」 振りほどこうと引っ張ったがびくともしなくて逆に引っ張られ、強か足をテーブルにぶつけてしまい、その拍子にカップなどが大きな音を立ててしまった。 周りの他の客の反応を気にして意識がそちらに向いた隙にやんわりとしたものが唇に触れた。それが唇だと気づくのに数秒かかった。 咄嗟に洋平は空いている左手で仙道の頬を思いきり叩いた。利き手だっただけにかなり上手く決まった。 仙道は痛みに手が弛み、洋平は手を思いきり引き上げ走って店を出て行った。 「ってえー」 仙道は叩かれた頬を押さえた。 この騒動に周りが幾分か騒ついてるのも、人の自分を指して喋っているヒソヒソ話も仙道には気にならなかった。 僅かに手に入れた洋平のデータだけを反芻していた。 +--+--+--+--+--+--+--+ 昼休み。 屋上に花道、桜木軍団の面々と集まりうだうだと過ごしていた。 洋平のいつもより口数の少なさに花道が声をかけてきた。 「洋平。なんかあったのか?」 「ん?なんで?」 「あんま喋んねえから」 「バイト疲れってやつーっていうの」 洋平は伸びをしてそう誤魔化した。 「洋平、バイト深夜だっけか」 野間が聞いてきた。 「まあな」 タバコを取り出し、大楠が指に挟んでいるタバコに貰い火をする。 「よくやるよな。いくらバイト代が良いっつってもな」 「俺、自炊だし」 「って、親の持ち家だろ。あそこ。生活費だって貰ってんだべ」 「ん〜、買いたいものあんし」 「なんて贅沢な奴」 首に腕を回され羽交い締めにされた。他の奴らも参加してきて髪は掻き乱されるはプロレスの技はかけられるは。やっと解放された時には洋平はボロボロになっていた。 「‥‥お、おまえらな」 せっかくディップでセットした髪は崩れまくりで掻き上げてもはらはらと落ちてきてしまう。 「おおーっ、イイ男じゃん。洋平」 大楠がからかう。 傍では高宮が笑っている。 「その辺にしとけって。洋平、次、体育だから行くぞ」 花道は立ち上がり、お開きにさせた。 「ああ。じゃあな」 洋平も立ち上がり、3人に別れを告げる。 「おお。あとでな」 後ろ手に手を振り、先にいる花道の後を追いかけて行った。 +--+--+--+--+--+--+--+ 湘北で練習試合があり、洋平たちは応援に来ていた。 「どことやるんだ?」 花道から召集がかかったもののどことは聞いていなかった。対戦高のいるほうを見た。 「陵南か」 高宮の声に一番最後に入ってきた洋平は顔を上げた。陵南と聞いて咄嗟に仙道の姿を探した。いないことにホッと胸を撫で下ろした。 「間に合った」 「え!?」 背後で今最も聞きたくない声が聞こえた。洋平はおそるおそる振り向いた。 そこにはチームジャージ姿の仙道がいた。 飄々とした顔つきで体育館内に入ってくる。遅刻をした者の態度とはいいがたいものだ。 入り口脇にいた洋平たちに仙道も気づいたらしく笑顔を向けられた。しかし、仙道は声をかけることなくスッと通り過ぎて自分のチームのところに行ってしまった。構えていた洋平は肩透かしを食らった感じだった。予想に反した仙道に戸惑いを感じた。あんなにしつこかったのにあっさりとした視線だけで物足りなさが残った。 だからなのか目で仙道を洋平は追っていた。 試合がはじまってもベンチにいる仙道に気がいってしまってまともに試合を見ていなかった。時折、合わさる視線に洋平は目を反らした。バツが悪い感じが否めない。帰ってしまおうかと思ったが花道がまた煩いと思うてとそれも面倒で結局ゲームを見ていくしかなかった。 試合は後半、仙道が出場して1点差でり陵南が勝った。花道も多少のヘマはあったもののゲームの展開に貢献した。 洋平は腕時計を見た。 「俺、先帰んわ」 「洋平?」 「おまえ最近付き合い悪いぞ」 「ホント、悪りい。ヘルプでバイト入れちってんだよ。花道には上手く言っといて」 洋平は手を合わせて謝る。 本当はバイトなんて入ってはいない。ただ、一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。 足早に洋平は体育館を後にした。 それに気づいた者が2名。花道とそして仙道だった。仙道は洋平が体育館を出ていくのを見て自分もその後を追った。そして花道は洋平が帰ってから時間を置かずして、チームメンバーの引き止める声も無視して出ていく仙道を見て、ここ最近、様子のおかしかい洋平と関わりがあるんじゃないかと漠然と思った。 体育館を出て、洋平は正門へと歩いていた。ジーンズのポケットに手を突っ込み、背を丸め気味にして歩いていた。 よく考えるとなんで自分が逃げるように出ていかなくちゃならないんだ。そう思うと無償に腹が立ってきた。 「クソッ」 怒りのやり場がなくて足元の砂を含んだ土を蹴った。 ふいに正門手前で腕を掴まれた。 振り向くと笑顔の仙道がいた。怒りの原因が今目の前に立っていた。 いつもだったら内に隠しておける感情も今はできなかった。 自分よりもかなり高い仙道を睨み上げ、掴んでいる手を振り払った。本当だったらこの場で殴ってやりたい気持ちだった。しかし、バスケ部というより、花道に迷惑をかけるはめになることは避けたくてそれはできなかった。 堪えながら払い上げた腕を下ろした。 「桜木の応援しに来たんだ」 笑みが消えて真剣みのある声が聞いてきた。 だが、洋平はそれには答えなかった。答える謂れがないからだ。 仙道が自分に対して怒りを向けているのはわかっていたが怒りをぶつけられるようなことはしていない。だから気にならなかった。 「俺も応援してほしかったな」 ぬけぬけと言う仙道になんだか腹が立つ。 「なんで俺がアンタを応援しなくちゃいけねえんだよ」 これ以上付き合ってなんかいられないと洋平は仙道に背を向けて歩きはじめた。 「洋平」 仙道は洋平を呼んだ。 「気安く人の名前呼ぶんじゃねえよ。俺とアンタは赤の他人。わかる?ダチでもなんでもねえの」 「俺としては恋人のほうがいいんだけど」 「はっ!?なに言ってんの。気でも違ったんじゃないの。それともなに、アンタ、ホモ?」 「う〜ん、自覚はなかったんだけど。一目惚れって言うのかな」 洋平は今何かとても聞いてはいけないような言葉を聞いたような気がした。 「生憎、俺はホモじゃない。他当たってくんない」 今度こそ本当に仙道に背を向けて歩いた。 それでも諦めずに仙道は洋平の隣に並んだ。 「まだなんか用?」 「駅、こっち」 結局、洋平は仙道と駅まで歩いてきてしまった。 仙道と対しているとどうも調子が狂ってしまう。こっちが牙を剥いてるにもかかわらず、あの笑顔と飄々とした態度で肩透かしを食らってしまう。なんだか怒ったりすること自体無駄な気がしてきた。 電車は休日のせいか少しばかり混んでいる。休日は観光客が多い。 洋平たちはドア側に立った。 洋平は手摺の方に、仙道は防壁のようにその前に立っている。 「混んでるね」 仙道が話しかけてきた。 「そうだな」 「みんな遊びに来てちょうど帰りってとこだね」 仙道の言うとおりお土産の袋を提げている人が多い。 「海水浴シーズンじゃないだけましかも」 洋平たちの乗っている車両は旧車両で天井では扇風機が回っている。この湿気を含んだ暑さを扇風機だけで取り除けるわけもなく窓が開け放たれている。それでもこの狭い車両の中では人の多さも手伝って、凌げるほどの涼しさはない。 しかし、これが観光客にとってはいいのだろう。ノスタルジックというもので。 うっすらと背中が汗ばむ。 よく夏場でも涼しそうだと言われるが、確かに顔から滴り落ちたり、シャツを濡らすということはないがこの目の前に立っている男も自分の比じゃないぐらいに涼しい顔をしている。 「暑くない?」 どうしても聞きたくなってしまって口がついて出た。 「暑いよ」 なんかバカな質問をしてしまったと思った。なにかこいつだったら普通と違う答えを言うんじゃないかという期待が若干あった。しかし、仙道の答えは至極当たり前のものだった。 「洋平くんのほうこそ暑くないの?長袖で」 呼び捨てをやめて今度は“くん”付けで呼んできた。なんだかんだ言うのも面倒臭くなってそのままにした。 指摘された洋平は薄手だが長Tシャツの袖を捲りもせずにいる。仙道はチームTシャツでどちらが暑そうかといえば洋平のほうだろう。どう見ても。 「暑そうな顔しないね。触ってもひんやりとしてそう」 笑ってそう言った仙道の手は洋平のシャツから直接肌をまさぐってきた。腰にも大きな手の感触がある。 「でもないね」 さもなんでもないような口振りをしながら、からかってるのか笑顔をしながら言ってくる。 「どこ触ってんだよ」 人のいる中、大きな声も出せず睨み上げた。 「ちょっと確かめてみたくってさ」 あっさりと仙道は手を退けたが悪怯えた様子もない。 「思っても普通はしないだろ」 「しないね。けど、知りたかったからかな。洋平くんのこと」 真っ直ぐに洋平を見て、さっきと違っておどけた感がなくなって声が真剣味を帯びていた。 「なんでも。どんなことでも知っておきたい」 こんなことを言われても嫌悪感は沸かなかった。それよりも言葉の重さに洋平はいつもならなんなく躱してしまうことができずに返すことができなかった。 そうこうしているうちに降りる駅に着いてしまった。 車内から出ると外が涼しく感じた。吹く風が汗を冷やしていく。 隣にはまだ仙道がいる。どこまで一緒なのだろう。 改札を出て10メートル程歩いた辺りでポツリと顔に当たってきた。 雨‥‥‥? 空を見上げると雨の筋が見えた。アスファルトにも雨跡がつきはじめた。 まさかの雨だった。 天気予報なんて気にも止めたことがないから勿論傘の用意なんてあるわけがない。隣にいる仙道も同じようで傘は持ってなさそうだ。 雨脚は強くなる一方だ。 シャツや髪がどんどんと濡れていく。 しかし、洋平の家はまだこの先で、ずぶ濡れの覚悟はしたほうがいいみたいだ。 「まいったなあ」 ポツリと呟いたのを仙道は聞き逃さなかった。 「洋平くん、家どっち?近いの?」 「近くはねえけど」 「それじゃ、俺ん家行こ。こっから近いし」 洋平の手を取って歩きはじめた。洋平の返事も聞かずにずんずんと歩いていく。 「ちょっ、待てよ」 洋平は腕を振り払った。 「俺は行くなんて言ってないだろ」 「雨宿りには最適だよ」 そう言ってまた洋平の手を取って歩きはじめた。 今度は振り解こうとしても強く掴まれてしまってできなかった。 強引に連れて来られた仙道の家。 4階建てのマンション。ワンルームの部屋。 何気に部屋を見回した。 「一人暮らし?」 「そう。親は東京だから」 てっきり地元だと思っていた。 タオルを渡され、濡れた髪を拭いた。整髪料はさすがに落ちてしまって本来の猫毛のさらさらヘアーに戻ってしまった。 「勿体ないよ。こんなキレイなのに」 着替えた仙道が一房湿り気のある髪を摘まんだ。細くてクセのない柔らかい女の子に羨ましがられる髪だ。しかし、洋平はそんなことに頓着したこともなく、反対にうざったく思っている。 「女に言えよ。そんなこと」 頻りに弄っている仙道の手を払い除けた。 「なんで?キレイだからキレイって言ったのに」 至極真面目に仙道は男である洋平にそう言ってきた。本人的に自覚があるのかないのか。これではまるでタラシの台詞だ。 「下ろしていたほうがいいよ。少し流す感じで」 仙道の両の手がすっかり下ろされた洋平の髪を梳いてきた。 「ほら」 洋平はなんだか恥ずかしかった。嫌な気はしなかった。それよりもむしろ触れられた感触にドキリとした。 顔を上げて仙道をまじまじと見てしまった。 よく見ると造形の整った顔をしていることに気づく。睫毛が長かったり、彫りが深かったり。 ‥‥‥女にモテんだろうな。こんだけ背が高いし、顔が良くてじゃ。性格はどうとして‥‥。 ふと、仙道の顔が視界から消えた。というより眼前に迫っていた。自分の思考に入ってしまっていた洋平は唇が掠められてもしげしげと至近距離にいる仙道の顔を観察していた。 すんげぇ長いよな。マッチ棒乗りそうだよな。何本ぐらい乗っかんかな?ラクダみたいに長いよな。 この前と違って抵抗してこない洋平に気をよくした仙道は更に深く口づけていった。 やっと唇に触れている感触に気づいた時には引き剥がすこともできなくなっていた。 ―――ちょっ、ウソ―――――。 さっきまで梳いていた大きな手が頭を包みこむようにしていて動けなかった。仙道との距離も抱きこまれて体が密着するほど隙間がなくなっていた。 洋平は手を仙道の背中に回してシャツが伸びるのも構わず引っ張った。悪いのは仙道なのだからと。 やっと抵抗らしい抵抗をしてきた洋平だがシャツを引っ張ったぐらいで仙道を止めることなどできるわけがない。歯列を割って奥に浸入してこようとする仙道に洋平はできる限りに顔を背けたりと試(こころ)みた。自分よりも遥かに体格が上回り、力も半端じゃない。敵うわけがなかったが洋平も大概に諦めが悪く、背中を叩いたり引っ張ったりとした。それでも執拗に嬲る仙道。舌が絡み、口腔を弄(まさぐ)る深い交わい。舌が痺れるような感覚。洋平だってキスが初めてなんてことはない。こんなキスは初めての経験だけれども。それでもする側とされる側ではこんなにも感覚が違うものなのかと。 足に力が入らなくて立っていられなかった。 いつもなら女相手にするキスはどこか状況を相手を見ていられる。けど、今はそんな判断できる回路は機能を止めてしまって役立たずだ。 膝から崩れ折れてしまう洋平の腰を仙道は片手で支えてやる。 洋平の瞳は仙道のキスに翻弄されて潤みきってしまっている。 「っ‥‥‥」 漏れる息も直ぐ様飲みこまれてしまう。 さっきまで引っ張っていたシャツは自分を支えるためにしがみつくものに変わってしまっている。 口腔内は痺れて感覚がなくなってしまっていた。思う存分仙道に舌根まで嬲られまくった。 もう、このまま流されてしまってもいいかもと洋平の頭に過ったが、シャツを托し上げて肌に触れてくる仙道に反射的に体がビクついた。 その拍子に仙道の舌を洋平は噛んでしまった。 「――――っ」 突然の痛みに仙道は唇を離し、支えていた腕も弛めてしまった。仙道の腕からずり落ちるように洋平は床に崩れ落ちた。 「‥‥は‥ぁ‥‥」 塞がれてままならなかった呼吸に洋平は酸素を求めた。 「っ痛ぇ」 仙道は口元を押さえ痛みと口中に広がる鉄臭い血の味に顔を顰めた。 足元では洋平が酸素を求めて咳き込みながら呼吸している。 あらかた呼吸は落ち着いてきた。洋平は頭上にいる仙道を警戒しながら立ち上がり、真っ直ぐに仙道を見上げた。少しフラつく足元に舌打ちをする。 「歯ぁ食い縛れよ」 「え?」 洋平は言うなり、仙道の頬目掛けて右拳を食らわせた。いきなり頬に叩きこまれた。避ける間も仙道にはなかった。 「右だからそんなんでもねえよ」 確かに洋平の利き手は左だ。手加減していると言っても喧嘩馴れしている洋平に殴られれば相当なものだ。殴られた衝撃で仙道の顎はまだガクガクしている。 「キスのお礼」 そう言って洋平は部屋を出て行った。 外はまだ雨が降り続いている。 痛む顎や頬を擦りながら仙道は薄く笑った。 「―――お礼って、お礼参りじゃん。しかし、手強いなあ。けど、それだけ意欲が沸くってもんだ」 更に洋平を欲しいと思う気持ちが強くなった。 ■END■ |