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ローヴェルの猟犬
1ー5 抜殻の心、空虚の躰

 悲鳴の様な鉄を擦る音を響かせて停止した電車から降り、改札を通り抜ける。左手のPDAが点滅、料金が自動で支払われる。

 眩しい陽射しが降り注ぎ、俺は瞳孔と目を細める。クロストのアパートの最寄りの駅から五つ目の駅を降りた、平地レグアスの中でも中央都市ランフェルトに最も近い街、俺の故郷でもあるルエルクの地を歩く。綺麗に舗装され、辺りには等間隔に木が植えられ、高くもなく低くもない商業ビルが道の両脇を並んでいた。人影も、車道の交通量も多くはない。
 改めて溜め息を吐く。電車の中で気付いたのだが、俺の上着の胸ポケットに御使いのメモ書きが入っていた。俺が出掛ける事は予測済みという事らしい。だが、現金は持っていないしPDAには電車賃や最低限使用するであろう代金しか入っていない。行き着けの兵器・防具店はアパートの近くにあるのだが……電車が四つ目の駅に止まった時に気付いたからこそ、どうしようもなく。この街にも一応店はあるのだが、顔見知りでもなく気安く行けない所が気掛かりだ。賞金稼ぎの金を集める武器、身を守る防具を買うのは自身達だけでなく、商売敵は多く居る為に……同じ場所で買い続けていたいのだが。非常に面倒だ。

 ポケットに手を突っ込みながらその街の端の道を尾を揺らし歩く。木漏れ日に彩られ、優しく輝く光に車線挟んだ向こうの歩道で犬獣人の子供がはしゃぐ。それを慌てて追う母親……その光景を俺は眺めて、そして視線を前へと向ける。首に掛け胸元にぶら下がるネックレスが揺れる。


……理想も無い。希望も。

 もう出来ないのだ。積み木を積み重ねる事など。崩れる苦しみが、あまりにも怖く。恐ろしく。ただ、傷付きたくないエゴと……深い憎悪だけが心に残された。
 もう、何を糧に生きているかが解らない。死にたくないから生きている、訳でもない。自殺する等と馬鹿げた事もする気はないし、あの世の存在も認めるつもりはない。

……だけれども。


 俺は歩いていた足を止めて、右後ろへと首だけ振り返る。子供の声と、その子を抱き上げた父親であろう姿。追い付いた母親が微笑みながら……その父親と空いている手を繋ぎ、駅の方へと歩いていく。俺は、また歩き出した。

 目的は、全ての生きるべき目的は…何も無くとも、俺に何も得られなくとも…心では解っていた。二度と同じ様な思いをさせないと。

 だが、この空虚を埋められるものがこの守るべき世界に見当たる筈がないと知れば、素直になれず。全てが無意味、無関係に思えるのだ。
 俺は何の為に戦い、何の為に生きているんだ?その問いの答えを知っていて、しかしその答えで納得はしていなかった。

 この犬族と猫族の住まう国、ローヴェルに目的など存在するのだろうか。かつては国家が存在し、隣国との大きな戦争で打ち勝ち、今はその国家が……武器を造っていた低層の企業連合に打ち壊され、そしてこの国を賄い始めた。しかしその企業自体も複数存在し、刺客達が各々の研究者を殺させ失脚させようとしており、その殺害専門の部隊も存在する。企業が権利を持つという事は、殺しの定義も企業が握る。殺しは道徳的に悪いから裁かれる、ではない。その殺しにより、どんな不利益が生じるか……どんな利益が生まれるか……それが重要なのだ。
 殺しが公になれば評判が下がるが、知られなければ相手を抹消し、利益を得られる。見えなければ何をしても良い、それが、この国だ。
 既に、その時点でこの国は……死んでいる。
 こんな壊れた国に、空虚な俺はお似合いかもしれない。そう考えてから、鼻で笑う。明らかに無駄な思考であろう。

「アードロッ……ド。だよね?」

 後ろから女性の声。自身の名を呼ばれ、ポケットに手を突っ込みながら上体を振り向かせる。そこには、大きなギターケース背負った少し派手目な黒猫獣人の女性の姿があった。自身よりかは15cm程背が低いその女性に見覚えは無く……と、此所で頭の中の検索に引っ掛かる。

「うわっ!本当にロッドじゃん!?今まで何処行ってたんだよっ!?」

「……アミシア、か」

 その猫の女性、アミシアが駆けて来て手前で急ブレーキを掛けて止まる。金色と真紅に染められたツンツンの髪の下のその瞳には問い詰める鋭い意志が宿っていた。

「何だよその興味無さげな感じはっ!アタシ達ほったらかして突然消えて、何してたんだよっ!?ああっ!もうっ!まだ聞き足りないっ!近くのカフェで、」

 言って彼女は俺のポケットに突っ込んである手の裾を掴み引っ張り出し──

「──あ……え?」

──その手を、弾いた。それこそ、穢らわしい物に触れた様に。拒絶する意思が冷酷に伝わる様に。アミシアは威勢を失い、困惑した表情をして視線を泳がせ……言葉を探す。が、そんな様子に気に掛ける事もせず俺が言葉を紡ぐ。

「俺に構うな」

 舌打ちして、顔を背ける。首のネックレスが揺れる。

「俺に構うなっ……て……同じ仕事で頑張って……ロッドが突然居なくなって……原因も、何が起きたか、ロッドが何したか何も、何も知らされずにっ……。だからあの日、何があったのかくらい教えてくれたって……!」

 相手の泣きそうな震える言葉に、俺は背を向ける。あの時は誰もが心から笑っていた。満たされていた。貧相だとしても普通に仕事をして、知り合った仲間と下らない日々を過した。だからこの街は嫌いだ。知った顔も知った街並みも知った声も音も……なのに、知っているアイツだけが居ない。此所に来なければよかったと、早速後悔してしまった。
 振り向く事もせず、ポケットに再度手を突っ込み。

「お前は二度も同じ事を言わせたいのか?消えろ。」

 言い放った言葉は、氷点下の雫。冷たい眼差しは相手に向けずにそのまま自身の歩くべき道へと向けて。
 後ろで女は、呆然と立ち尽くしているのか、動く事をしなかったが……俺は構わず歩みを進める。後ろで踵を返す靴裏の擦れる音に続いた駆ける足音は、遠ざかって行った。

「二度と……二度と、戻れないんだよ……。なのに……思い出させるなよ…………馬鹿がっ」

 ギリ、と歯軋りし……正面を睨み俺は怒りを露にするが、頭を左右に振り、気持ちを静める。
 が、いきなり後ろから抱き着かれる。流石に、これには予想外過ぎて、それでも沸騰する頭。勿論、憤怒で。

「……テメェ……。二度と俺の目の前に────あ?」

「ロッド君。怖いよ?」

 振り向き様に殴ろうとしたそこには、犬獣人のマズルが見えた。昨日、共にアルケオスと戦った前衛……イサナがふざけて背に張り付いていた。鬼の形相で拳を振り上げた俺と、耳を伏せて叱られた仔犬の様にするイサナ。そも、何故こんな事になっているかがイマイチ良く解らない。

「イサナ……どうして此所に?というか、何のつもりだ?」

「さっきのが彼女さんかなぁ、と思って。別れた後に後ろから抱き着かれたらどんな言葉を掛けるのかなぁと思ったらいきなり鉄拳制裁とは酷いなぁ、と。いや……お話は盗み聞きしましたけど」

 最後の言葉で俺は拳を解除しそのまま指を束ねて真っ直ぐ伸ばし、イサナのニット帽被った頭へとチョップを振り下ろした。

「いたっ。……前の職場のお友達ですかね?酷く冷たく接していたようですが」

 俺はその右手を再度ポケットへと納めて歩き出す。横の車道で車が通り過ぎる。

「……知った所で、意味なんて無いだろ。イサナ、金、持ってるか?」

「話題変えないで下さい。意味は無いとしても、僕達はあまりにも御互いを知らなすぎる。命を削り殺し合う戦場で背を預ける者の正体くらいは知っておきたいものです」

 後ろから着いてきたイサナは咎める様に言い、溜め息を溢した。そういえば俺は、イサナの事も、クロストの事も、レインの事も……何も知らない。同業者であり、後者の二人は先輩というだけだ。それだけの関係。別に戦いに身を捧げた理由など、全くもって俺には関係無いのだ。

「聞いていますか?ロッド君。僕は、」

「あーあーあーあー。言えば良いんだろ言えば。楽しくこの街に住んでたけどアルケオスに襲われた、して、色々失った、そこをクロストに拾われた。あれはもう二度と思い出したくないその時の知り合い。御仕舞い。納得したか?」

 遮る様に声を出して振り向けば両手を抜き取り腰に当てて一気に言葉並べれば、睨む様に視線落として吐き捨て、白い尾を翻して歩く。その俺の背を僅かに遅れてイサナが追う。

「無理矢理簡潔にしましたね。そんなに過去を詮索されるのが嫌ですか?なら今後ともロッド君の目の前では深入りしないように注意します」

「……で?何でイサナが此所に居るんだ。」

 相手の言葉の意味を考えれば、恐らくはクロストかレインに聞くのだろう。呆れ混じりの溜め息を吐いて、空を見上げる。木洩れ日が突き刺さり眩しかったのですぐ視線を下げる。

「少し用事がありましてね。ついでにとそこの路地裏の方でレトルトの麻婆豆腐買って、此所に出たらロッド君に会った、と。

「俺に、どう突っ込んで良いのかを教えてくれ」

「じゃあ突っ込まなくて良いです」

 そして沈黙が流れたまま、俺達は歩く。

「まだお前、答えてなかったな。金持ってるか?クロストに御使い頼まれて、そこらの武器屋にでも行こうと思ってたんだが」

「……何でわざわざ此方まで来たんです?それに、注文すれば良いじゃないですか」

 俺は肩を竦める。

「それを言わないでくれ」

 注文し届けられるとしても、それは玩具などではなく人を何百と殺せる兵器でありガードは完璧で。故にその送料で酷く抉られるからこそ自身で取りに行かなくてはならず……何故此所の武器屋に足を向けるかというのは、もうイサナに言う必要は無いだろう。此所には長年住んできたが、流石に武器を売っている場所を憶えている筈もなく、イサナに聞く。PDAの地図で検索を掛ければそれはそれで良いのだが、都合良くイサナが知っていたから彼に着いていく事にする。

 本来行くつもりだった場所の方向だったから好都合でもあった。そこでイサナに金を払わせ、解散としよう。


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