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ローヴェルの猟犬
1ー12 それでも女々しく引き摺る

『だいじょーぶ?……カゼ、ひいちゃうよ?』

 その言葉が、最初であった事を憶えている。出逢わなければ良かったとは、今でも思えない。
 暖かい手が触れ、ずぶ濡れの小さな俺が引き起こされる。雨が傘により途切れる。招かれ、その少女の義理の母親が暖かいスープを出す。それから、その少女の母が俺の母親となった。


『アー君ずるいっ!それ私の分のなのにっ!』

 両親の死が俺の当時の年齢の為に浅かった訳ではない。それでも、馴染むのは早かった。
 相手を足で押さえ付けて物の取り合い。この辺りから身長で勝り始めた。それを良いことに、何事も彼女の前に立つようになっていた。前の、何事も手を引かれてしか生きれなかった俺が。


『バーカ。お前は俺に黙ってついてくりゃいいんだよっ』

 言葉の意味は当時は知らない。勿論、何かのドラマでやっていたのを見て、かっこよかったから使っただけなのだろう。
 それからというもの、その少女は俺が何か問題を起こす毎にこの言葉を突き付けて来たからこそ質が悪い。後々にそれは、お互いを意識し始めて口にする事を控えるようになっていた。


『そ、その……あの、さ。私……』

 酷く慎重で、妙に口数が少なかった時期があった。
 そして、問い質した過去の言葉。改めて口にした言葉。俺についてくればいい。そんな言葉を今更引き出して信じてみる馬鹿な女だった。この言葉を出す事で、距離が離れるかもしれないという可能性が怖かった時期だ。気持ちは、同じだった。


『お前が、ッ……カルフィが俺を拾ったんだろうが、馬鹿。勝手に、その、……』

 それでも本当は自分から言おうとしていた為か、強がろうとして言葉が見付からず、不器用に強く抱き締めて口付けを交わす事を答えとした。恐ろしい程に酷く不器用だった俺に、彼女は泣きながら笑った。


『どうしてっ!どうして……何で、まだ、私っ……!』

 母さんが、あまりにも唐突に病気で死んだ。彼女は酷く悲しみに沈み、拾われた俺も何をしていいのか、何もわからなくなった。どうすればいいのか、親の死に、どう向き合えば良いのか。何も。
 ただ無責任に、彼女に、俺が絶対に傍に居るからと慰め続けた。
 後に見付かった母さんの遺書には、俺と彼女の幸せを願った言葉が綴られていた。全てを知っていたかのように、それは死ぬ3日前の日付として書かれていたものだった。


『うわぁ、新築……だね。用意周到というか、もうどこから突っ込んで良いのかわからないよ……』

 彼女の言葉の通りだった。俺達の居た家は直ぐに取り壊しが決まり、家を与えられた、というよりはなんだか追い出されたような気もして。母により用意されていた、俺と彼女だけの家。一戸建ての、小さな。
 それからずっと、そこで住み続けた。


『ねみぃ。仕事。飯。あ゙……ッ!……ちょっ、目覚まし鳴れよっ!?』

 成人を過ぎてから数ヶ月、俺は仕事に就いていてこき使わされる毎日。それでも充実していた事は確かだ。帰れば彼女が待っていてくれる。


『その……俺達、結婚しない、か?』

 俺がペアネックレスを買った時に言った言葉を聞いた、その時のポカンとした表情は忘れられない。血の繋がりが泣ければ婚姻出来る、との事を伝えれば街中だというのに突然大泣きし始める彼女に俺は情けなくも慌てる事しか出来なかった。犬族と猫族の婚姻はこの国では認められておらず未だに異端視されるが、同じく家族内での婚姻も認められてはいない。その事実だけを知っていたらしく、結婚出来ないという思いをずっと抱えていたらしい。
 その帰りに、彼女の口からもうお腹に子供がいるというカウンターを受けた時には、また俺も彼女に言葉を伝えた時と同じ表情をしていたのだろう。





「…………カルフィ……。俺、女々しい、かな……」

 俺は、ベッドから這い出て立ち上がる。部屋の様子は、あの日から何も変わっていない。全てが凍てついたまま。
 歩く。右足を前に、床を踏んだ右足より前に左足を前に出して、歩く。リビングに辿り着けば、椅子へと腰を下ろす。真夜中の無音。時計の音は、この五年で電池が切れたまま。以降響くものは一つとして存在しない。生活感がそのまま置き去りにされ、住んでいるのに誰も住んでいない空間。居るのに居ない。居ない空間。

「乗り越えられないよ……。俺……やっぱり、弱いよ……っ」

 俯いた顔は、上げる事が出来ない。目の前の椅子が、あまりに空虚過ぎて。





 あの日から四日後、彼女は……カルフィア=エルバルトは、アルケオスに殺された。
 俺は、その地獄と化した街の中で、彼女の亡骸すらも見付ける事が叶わなかった。現実と受け入れられなかった。

 そして、カルフィアと出会う前の塞がれた記憶を思い出してしまった事により、俺はそれを現実と認めてしまった。

 俺の両親も、アルケオスに殺されていたという、閉ざされた記憶の奥の、事実を。

 俺の幸せは、俺の大切なものは、全てあの化け物に殺されたという事実を。

 俺は殺意に燃えていた。嘆きを、苦しみを、この理不尽さを全て晴らす為の方法を闇雲に探した。何かをしていなければ、今にも壊れてしまいそうだった。カルフィアが殺された街でアルケオスの駆除に当たっていたクロスト=メイスと関わったのも、この辺りからだ。唐突に弟子入りという形で入った猟犬集団の犬共は、何の知識も持たぬ猫が来たと困惑したものだ。

 それから、五年。

 俺は、何か変わったのだろうか。変わる筈もない。抜け落ちた心の空洞は、何一つ変わりはしないのだ。

 ただ、カルフィアが死んでから二日が経った。一週間が経った。五ヶ月が経った。一年が経った。二年が、三年が。

 そして、五年が経っただけなのだ。









 今日は散々だった。フェルガは全く聞く耳を持たないし、挙げ句に突き飛ばされる。ロッド君は買うものを間違っていたし……元々クロストが指示して、更にそれをイサナ君にたらい回しにしたのが原因でもあるけれど。
 僕は溜め息を吐き、テレビの灯りのみの暗い部屋でノートに多量の金額の上下を書き出した家計簿にペンを走らせる。僕以外にサーベラスの支出を管理出来る人が、メンバーの中に要るだろうか、と検索すれば誰も該当しない。二つ目の溜め息。

 ふと思い出す、今日のフェルガとの会話。


『……貴様らのお陰で俺様達は狙われたんだよ……。誰の反感を買ったか知らねぇが、俺はまだ死にたくねぇ……。他人の為の命でもねぇ』

『知らねぇのか?……あぁ、そうかぁ……クロストがお前には教えてねぇんだな。クックク、あぁっはは!!!檻から逃げる要因は隠す……あの糞野良犬のやりそうな事だ……。テメェも首輪とリードで飼いなさられてる間抜けなんだよ……。明日には俺様は恐らく消える。精々気張れよ?』


 僕の知らない所で、何かが動いている。それを、クロストが隠して握っている……ようにも思える。それがフェルガの命にも関わってきていると取れる。だが何に奪われる?今まで捕らえ、殺してきた犯罪者達の仲間?フェルガ自体も誰の反感かは知らない、と正体も掴めていない。ならば何故解っ──

「お仕事?」

 背中に小さな身体の感触が伝わる。問う言葉は眠たそうなそれであり。

「もう少しで終わるかな。起こしたならごめんよ」

 そのまだ小さな猫族の男の子へと謝る。僕の白銀の体毛とは対を成すような、黒く艶のある体毛を持つ小さな猫族の子だ。ついでに腹の柔らかい体毛はクリーム色だ、というのは共に風呂に入る自身しか知らない事だろうけれど。

 その子は、僕が仕事の最中で助け出した……その事件で全てを失った子だった。

「ううん。……なんでレインは、そんなにがんばるの?」

 つぶらな金の瞳を向けて肩越しに問う。他の人もいるのに、との眠そうな声に微笑んで返し、

「人が困ってるのに、助けない訳が無いよ。ましてや、助けられる僕達が何もしないなんて。そんな事は、駄目だと思う」

「でも、それでしんじゃうかもしれないんだよ?だれかをたすけに行って……レインが、」

「大丈夫。確かに猟犬はこの国に70組程は居る。それらは一組、多くて30人もの人が揃ってる。そういう者達の中でも一番実績を上げているのが僕達のメンバーだ」

 よっ、と小さく声を上げて身体を僅かに傾かせれば相手の方を向いて、右手を伸ばし少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。眉間にしわを寄せて目を瞑る様子が可愛く、微笑む。

「安心していいんだよ。僕達が、終わらせるから。幸せに出来るから……必ず。だから、おやすみ」

 その子は、一度大きく頷けばとてとてとベットへと戻り、毛布にくるまった。また訪れるテレビの最小限の音が流れる静寂。

 何を根拠に、そんな事を言えたのだろうか……と今更ながらに思えた。


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