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私的青春謳歌法
凡人の考察




友人や知人、まあそれなりに仲良い人と話す時、かなりの確率で悪口を言う場面に遭遇するのではないか。はたまた自分が悪口を言ったりするのではないだろうか。
悲しきかな。およそ80%以上の確率で悪口や愚痴などが出て来る。しかもそれが大変盛り上がり高確率で相手との仲、絆、信頼などが深まるのではないだろうか。
世の中とは皮肉なものである。そのようなけして良いとは言えないもので仲が深まるなど。

そして、その悪口の中でも家族、特に親に対しての悪口などが抜きん出て多い。

「ウザい」「ムカつく」「死ね」

さまざまな悪口の中でも特にこの三単語はよく聞く。

「親がガミガミウザい。死ねばいいのに」

例文をあげるとしたらこのような感じだろうか。この文を読まれている読者様方の中でも友人の愚痴を聞くことがある人ならば一回は聞いたことがあるのではないだろうか?

私はその言葉を聞いた時思った。
遺憾である
と。

それでは現にこう語っている私は親に対して怒ることがあるかどうかと問われればもちろんある。
私だって人間なのだ。感情ももちろんあり、その感情の中に″怒り″というものも存在している。
私が言いたいのは親に対してムカつくな、不満を持つな、という事ではない。
「死ね」という単語について申したいのだ。

確かにムカつく、不満を持つ等はするだろう。
だが、「死ね」というのは些か言い過ぎではないだろうか、と私は思う。
ここまで育て、必要なときにはけして安くでは無いであろう金額を出し、躾をしてくれているのではないのではないか?

いつでも我が子の事を考えているはずである。
確かに癇に障るような物言いもある。
しかし、それは嫌な事があって我が子に八つ当たりしているのではなく、間違いを正したり、常識を与えるための、子供を想うが故の愛情ではないのだろうか?

叱られたということは原因は少なからず自分にあるはずである。
それを棚に上げて″死ね″など失礼にもほどがある。
私たちのような、まだ親の脛をかじらなくては生きてはいけない子供がその人の人生に指図するなどお門違いというものではないだろうか。

事実、私たちは親に頭が上がらないのだ。

そして感謝すべきではないのか?
少しの間違いでも正そうとしてくれること、自分の身の回りの世話を365日、1日も休むことなく焼いてくれること、そして、自分に生を授けてくれたことを!

今からでも些細なことに感謝をし、その意を、「ありがとう」を伝えていこうではないか…!

後に後悔のしないよう…







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あきゅろす。
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