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すれ違いB

湯に入ってきたのか天井から降りてきた佐助の髪が濡れていた。
ろくにふきもせずに急いでかけつけてくれたのだろう、今にも雫石が滴りそうに髪の毛の先に珠を作っている。

「旦那、遅くなってごめん。でも死体を触ってきたから穢れを落とさない訳にもいかなくて…」

「…殉職した四人の事か?」
佐助が頷き、心を悼めた幸村は哀しそうに目線を下に向けた。

「…幸い、苦しんだ様子はなかったよ」

「そうか…手厚く弔ってやらねばな…」


佐助はその言葉だけで十分だと思ったが、主人が譲らないのを知っていたので話を合わせて頷いた。

「ところで、こんなに遅くまで何をしていた。何かあったのか?」

幸村がそう言って聞くと、佐助は険しい顔で急に姿勢をただし深々と頭を下げて改まった口調で単独で今朝方の無礼と単独で行動をとった事を詫びた。

「旦那…いや、幸村様。まずは今朝の無礼に続き、勝手をしました事、深くお詫び致します」

小言の一つでも言ってやろうと思っていた幸村は、完全に出鼻を挫かれる事となり、こう真剣に謝られては文句の一つも言えない。

「…俺の事はもう良い。それより、些細な事でも良いから分かった事を報告してくれ」

頷いた佐助は今日分かった事を全て幸村に報告した。
殉職者の事、
被害者の事、
恐らくは数日前から甲斐に多数の売人が侵入している事、
確証は無いが、売人の一人だと目を付けている男がいる事…。

報告の最中、佐助の髪から雫石が幾つか落ちて佐助の肩を濡らした。幸村は報告内容に耳を傾けながらもそれが気になって仕方がない。

「みすみす一味を逃すような事があれば、幸村様や信玄公の顔に泥を塗る事になります。…つきましては、この件が解決するまでの間、お側を離れる事をお許し頂きたくお願い申し上げます」

「…城を離れて解決に当たりたい、と?」

また深々と頭を下げていた佐助が、今度は真っすぐに幸村を見つめて頷いた。


佐助の濡れた髪からポタリポタリとまた雫石が落ちる。

幸村は立ち上がり、佐助の前に座りなおすと自分の着物の袖で髪を拭ってやった。
驚いた佐助はそれをとめようとしたが、幸村が動くなと命じたので渋々従った。
居心地悪そうに目を伏せている。


「…なぁ佐助、お前は何をそんなに焦っている?」

「…それは…」
佐助は長次郎の事を包み隠さず話した。
幸村は佐助が外泊していた事に驚いたが、その男の事があったから急いで城を離れたのだと納得した。

「そうか…じゃあ、俺は避けられた訳では無いのだな」

安堵した幸村は無意識に呟いていたのだが、目の前の佐助が一瞬小さく息を呑んだのを見逃さなかった。

幸村は軽く動揺しながら、髪を拭う手を止めて改めて問い掛けた。

「佐助…佐助は俺の傍を離れたいのか?」

佐助の瞳にぶれを感じたが、佐助がしっかりと「違う」と言ったので幸村はそれで良しとした。

「わかった…俺は佐助を信じている。だから、城を出るのが必要なら許可しよう…その男の事は任せる」

「御意」

幸村が髪を拭う手を止めていたので、佐助の顎を伝って雫石が落ちた。

「いつから行くつもりだ?」
「…できれば、今からすぐにでも」


明日から佐助がいない生活が始まる。
雫を追う視線が、自然と口元へと引き付けられる。
昼間思い描いていた通りに佐助の唇は薄く、身体が冷えているのかいつもより色も薄い。


幸村は小さく呟いた。

「…なぁ、佐助」

「はい」

「………お前は、誰かと口付けを交わした事はあるか」

どこかで聞いた台詞に、佐助はギクリとした。

「……そりゃあ…」

普段の砕けた口調に戻った佐助は、幸村からの質問に同じ返答をしそうになって口籠もった。
そうしているうちに、幸村の暖かい手が頬に添えられ、顔が近づいてきたので佐助は瞬きさえ忘れて身動きもできずに固まるしかなかった。


これは……


そっと重なってきた唇は、佐助の知る通りに柔らかかった。


「…忍びも案外簡単に襲えそうだ」
唇を離した幸村は、ほんのり赤い顔でしてやったりと笑っていた。

幸村自身、何でこんな事をしたのか説明が出来なかった。ただ、今朝の夢が忘れられず夢をなぞるように身体が動き、それを誤魔化すように笑うしかできなかったのだ。


佐助にしてみれば、ふい打ちも良い所だ。
今の幸村は酔っている訳でもなければ寝呆けている訳でもない…はず。

何の心構えもしていないところに、こんな事をしてくるのは反則だった。

俺は試されているのか?


「…旦那、大人の口付けって知ってる?」

「ん?口付けに大人も子供もあるのか?」

「うん…興味、ある?」


佐助は、そう訊きながらも幸村が首を振る事を願っていた。

『旦那…ここで断ってくれれば俺はとまれる…』

だが、幸村は悩んだ様子を見せて頷いてしまう。



旦那…俺もう我慢出来ないよ…。


佐助は片手を伸ばすと、今度は自分が幸村の頬を優しく撫でてやった。
みるみる顔を赤くする幸村の頭を固定し、耳元で囁いた。


「…花婿修行の一環として、俺が教えてあげる」


言い訳めいた言葉に、びくっと幸村の身体が震えた。

「ゆっくり目を閉じて…そう、そのまま動かないで…」



その日、二人は初めて合意の上で口付けを交わした。
ゆっくりと唇を重ね、幾度も角度を変えながら次第に深く口付けていく。
意外にも幸村は佐助の言う事を素直にきき、たどたどしくも教えた通りに口付けに応えた。

佐助はそんな幸村が愛しくて仕方がなくて、これは夢だろうと目眩を起こす。



好きだとは言えない。

だけど…。

今だけはこのありったけの気持ちを貴方に伝えたい。


いつしか二人は互いの身体を抱き締め合い、夢中になって舌を絡め合っていた。
深く互いを貪り合いながらも酷く優しい口付けに酔いしれる。痺れたように躰が浮き始め、次第に互いの境界線がわからなくなっていく。
それは甘い甘い極上の酒のようだった。


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あきゅろす。
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