すれ違い
今朝方、早くに目を覚ました幸村は蒲団から上半身だけ起こし片手を額に当てて頭を抱えていた。
幸村が頭を抱えているのは、決して二日酔いのせいではない。
もともと代謝の良い幸村は酒が抜けるのも早く、薬のお陰もあってか余程飲み過ぎない限りは辛い二日酔いになる事は無い。
奥州での失態は異例中の異例だった。
俺は…昨夜、何をした?
酒は程々にすると約束しながら、気分が良くなってつい結構な量の酒を飲んでしまった覚えがある。
そのうち眠くなって、気付いた時には蒲団で横になっていた。喉が渇いたと言うと佐助が水を飲ませてくれた気がする。
度々酔い潰れるのは恥ではあったが、そこまではまだ良かった。
自分は、その後何をした?
俺は、佐助に……。
なまじ佐助と口付けをする夢を見ていた所為で、朧気に残るこの記憶が夢か現つか判断できない。
幸村は額を押さえていた手で口元を覆った。
もし、酔った上での事とはいえ佐助に対して不届きな事をしたのであれば詫びなくてはならない。
だが、あれは現実だったのだろうか?
もしかしたら、自分の作り出した夢かもしれない。
ふいに、ひっかかりを感じた幸村の思考が止まる。
゛自分が作り出した゛…夢?
寝癖で盛大に跳ねた頭を幸村が抱ていると、いつものように佐助が起こしにきた。
「旦那、朝だよー…ってもう起きてるし」
佐助は朝餉の準備が出来ていると、用件だけ言って去ろうとする。
「あ!佐助!!」
「ん?なに旦那」
「ぁ…いや、その…」
佐助があまりにも普段通りなので、幸村はあれはやはり夢だったのかと口籠もってしまった。
「変な旦那。あ、もしかして昨日の事ちゃんと反省してんの?」
昨日の事…。
やはり、自分は佐助に口付けをしてしまったのかと幸村は堪らず頭を下げた。
「すまない!!佐助、昨夜はすっかり酒に呑まれてしまって…」
「昨夜『も』でしょ。ほんっと、飲み過ぎないって約束したのに結局酔い潰れちゃってさー」
「この通り!!すまなかった!!!」
幸村は何度でも詫びるつもりで深々と頭を下げた。
「酔った上での事とは言えお前に…せ、接吻など…俺は…」
とても佐助を直視できなかったので幸村が頭を下げたままでいると、少し間を開けて佐助が口を開いた。
「…旦那、もしかしてまだ酔ってる?」
「いや…今はすっかり素面だが…?」
幸村が恐る恐る顔を上げると、佐助が小さく吹き出した。
「旦那ー?何か悪い夢でも見たんじゃないの?」
「…へ?」
「まぁー俺様の魅力に揺らいじゃうのも分かるけどさぁ。で、どんな夢見たの?」
『自分から口付けを迫った』とは言えず、幸村は顔を真っ赤に染めた。
何とか違う言い回しをしようとして、ある意味余計に意味深な答えを呟いた。
「佐助を襲ってしまった…」
いよいよ大きく吹き出した佐助が、珍しく小さく声をあげて笑った。
すっかり気分を害した幸村は、ムッとした表情で佐助を睨む。
「ごめん、ごめん。怒んないでよ旦那。でも、安心して良いよ、俺様襲われてないから」
「…だったら!!そんなに笑わずともそう言えば良いではないか!!…俺がどんな気持ちで詫びていたと…!!」
幸村がいきりたつと、佐助は相変わらず楽しそうにまた詫びた。
「ごめんって!!でもそれってさー、そもそも飲み過ぎた旦那がいけない訳でしょ?」
「…ぅっ…」
「そもそも忍を襲うなんてそうそう出来るもんじゃないよ。まして旦那はベロベロで、相手は優秀なこの俺様だし?無理に決まってるでしょー」
佐助が茶化してくるので幸村はまたむっとしたが、佐助が言うように飲み過ぎた自分に非があるので何も言えない。
幸村の不服そうな顔を見た佐助が、ニヤリと口元を歪めた。
「もしかして、旦那は俺を襲いたいの?」
「な…!?」
「あ、それとも俺様から襲われたい?」
おかしな夢を見てしまった幸村にとって、それは最悪の冗談だった。
質の悪い冗談にとうとう怒った幸村が、手元にあった枕を佐助に向かって投げつけた。
「馬鹿佐助!!お前など…お前などもう知らん!!」
佐助を睨み付ける幸村が、さっさと出ていけと言わんばかりに、今度は蒲団を投げてこようとしたので、佐助は早々に部屋を出る事にした。
「減給だ!!」
そう叫ぶ幸村の声が辺りに響いた。
**********
減給は勘弁してくんないかなぁ…
佐助は幸村から投げ付けられた枕を持ったまま、誰も使っていない一室に身を置いていた。
見た目にはわからないが、それでも感情の制御が出来ない自分にかなり落ち込んでいる。
佐助は昨晩飲んだ酒と共に全てを流したつもりでいた。だがどうだろう、幸村を一目見ただけでこんなにも胸が苦しい。
流してしまったはずの感情は、あっという間に息を吹き返して佐助の心を支配してしまった。
このままでは、主人の傍にはいられない…。
冷静さを欠いた忍は、もはや忍ではなく只の"人"。
重要な任務の際、万一失敗するような事があればこの命一つだけでは済まない事もある。
それに…
考えたくはないが、このまま幸村の傍にいては、自分自身こそが幸村の害になりかねないと、そう思う。
気持ちの整理をつけたかった佐助は、どうしても幸村と距離を置きたかった。
だが、仕える側が主人を遠ざける訳にもいかず、幸村の方から距離を置いてもらう必要のあった佐助は、わざと幸村を怒らせる事にした。
これから暫くの間、幸村の方から自分を避けてもらうように仕向けていかなくてはならない…。
すぐに気持ちの整理をつける自信が無い佐助は、いつまでこんな事を続けるようになるのかと暗い先を思ってうなだれる。
減給で事が済むなら、こんなに安いものはないのだが…。
今もこうして幸村の枕を手放せずにいる自分の女々しさに自嘲するしかなかった。
幸村への罪悪感と、そのうち愛想を尽かされてしまうのではないかという不安が佐助の心を苛んだが、全ては主人の傍らに在り続ける為だと自分に言い聞かせる。
佐助は枕で手遊びしながら天井を見上げた。
それにしても、幸村が昨夜の事を覚えていたとは思わなかった。
かなり酔っていたので忘れていると思い込んでいたのだ。
あの時、幸村の身体を抱き締めていたらと思うとゾッとする。
危うく、幸村の傍に居られなくなるところだった…。
幸村に声をかける前、主人が珍しく早起きしている事に気付いた佐助は、こっそりと天井から幸村の様子を見ていた。
頭を抱えて悩む姿を見て改めてこう思った。
『昨夜の事は無かった事にするのが一番良い』
(実際その通りなので)酔った上での事と言って片付ける事もできたが、生真面目な幸村は気にするだろうし、その為によそよそしい態度をとられようものなら今の佐助には到底耐えられそうもなかった。
変に意識されて近寄るのを避けられたり、
まっすぐに自分を見てくれなくなったり…
幸村の反応はだいたい予想もつくが、佐助が一番恐れたのは幸村が自分との口付けに嫌悪感を抱く事だった。
そもそも、幸村には男色の趣味は無い。
主従の契として躰を繋げる者もいたが、幸村にはそのような考えも持ち合わせていない。
気持ち悪い事をしてしまったと、そう思うのが一般的な反応だとも思う。
だが、拒絶されているも同然の反応が佐助には辛い。
伝えるつもりの無い、実る望みの無い不毛なこの気持ち…。
ましてや主人と一介の草。
希望など端から持つつもりもなかったが、拒絶されてしまってはひっそりとこの気持ちを己の胸の内に灯し続ける事さえ許されなくなってしまう。
本来持ってはならない感情だとわかっていながら、佐助は自分でもどうしようもないこの気持ちを否定されるのが恐かった。
…旦那。
日に日に募っていくこの気持ちは、どうやって整理すれば良い…。
このままではいつか爆発してしまいそうで、佐助は自分自身が怖い。
初めての経験にさしもの佐助も途方に暮れてしまいそうだった。
ふいに気配を感じた佐助が障子の向こうに声を掛ける。
「何か用?」
障子を開けて入ってきたのは、侍の姿をした鎌之助だった。
部屋に入るなり、すぐに戸を閉め佐助の前に座る。
「長。この甲斐に阿片の売人が入り込んだようだ」
「…その様子だと、ガセじゃないみたいだね…」
鎌之助は真剣な面持ちで頷いた。
「国境に放っておいた草が四人殺られた。それに、甲斐のすぐ手前で中毒者と思われる死体が三体見つかったそうだ。」
実は、阿片の売人が南から北へと向かっているらしいという情報は以前からあった。
噂では難破して流れ着いた南蛮船から大量の阿片が見つかり、それを売りさばいている組織があるのだという。
これは信玄も幸村も知る話しであり、他国で実際に中毒死した者が出ていた為、国境に精鋭部隊を放って張らせていたのだが、残念ながら防げなかったようだ。
「成る程ね…詳しい情報は?」
鎌之助は首を横に振った。
「わかっているのは、草の遺体から見て腕の立つ刀使いがいる事のみ。噂を裏付けるように中毒者の増加が南から北上してきている事実から、大量の阿片を所持する組織ぐるみの仕業である事が想定されるが…今のところ大荷物の一行を見たという情報は無い。目立たないよう複数に散って物を運んでいる事が考えられる。…あくまでこれも想定の話だがな」
「…わかった。噂以上の情報は出て無いって事か」
「そういう事だ」
「悪いけど、今の報告を大将と旦那にしといて。大将のとこには小助に行かせるといい。俺は中毒者が出たところに行ってみる…草の遺体は?」
「今こちらに運ばせている…が、長が直接情報収集に行くなら尚の事幸村様への報告は長からした方が良いのでは?」
訝しげな顔の鎌之助に、佐助は自虐的な笑みを浮かべた。
「いや、今朝旦那を怒らせちゃったからねぇ…後の事は海野とお前に任す。夜には一度戻るから」
佐助が立ち上がると、鎌之助が強い口調でそれを呼び止めた。
「佐助…俺はお前の事などどうでも良い。だが、幸村様を悲しませるものは許さん。例えそれがお前であっても、だ」
佐助は意味を計りかねたが、鎌之助からの友としての忠告に「頼りにしてる」と言い残して姿を消した。
佐助を見送った後鎌之助は眉を潜めた。
佐助の様子がおかしい。
『花婿修行』の事もあってか幸村にも違和感が感じられる。
何事もなければ良いが…。
二人から感じる僅かな違和感に一抹の不安を抱えつつ、鎌之助は海野を探す為に立ち上がった。
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