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邂逅ー2
 春の日差しを一杯に浴びて佇む桜。上空では風が巻いているのか、ひらひらと花びらが舞散り、その周囲を円いピンクに染めていく。

 いつもと変わらない光景。それ故に美しい。

 しかし、その時はいつもとは違った。

 たった一本で聳える桜の根本に、女の子の人影がその幹に寄り掛かり空を見上げていたのだ。黒い髪の毛を頭の高い位置で一つに括った彼女。白いワンピースを身に纏った姿は、まるで天使のようだった。もしかしたら、降りしきるピンクの花弁と戯れる様子が余計そう思わせたのかもしれない。

 とにかく、俺はその光景に目を奪われてしまったのだ。

 しばし見とれていると、彼女はやや勢いをつけて桜の幹から背中を離し、すたすたとこちらに向かって歩き出した。

 もう帰るのか、それとも今からどこかに出掛けるのかは定かではないが、こちらに向かって歩いてくるのは確かだ。

 その段になって初めて、自分の背中に汗が滲んでいるのに気付いた。この時期にしては高い気温に対して服装があっておらず、しかもさんさんと日差しの降り注ぐ日なたに立っていたのだ。そうなるのも当たり前か。

 そしてそれと同時に、自分が今しなくてはならないことも思い出す。

 そういえば、俺は保険証を取りに帰る途中だった。早く帰らなければ、診察待ちで午前中が丸々潰れる、なんてことになりかねない。

 あの娘も近づいてくることだし、早くこの場を去ったほうが良さそうだ。今まで彼女を見つめていたのがばれれば、不審者かストーカーか変態か、とにかく邪険な扱いをされることは目に見えている。

 俺は体を九十度右に捻り、自宅への道を歩き出すことにした。

 そもそも、何でここら一帯には歯医者があそこしかないのだろうか。おかげで診てもらうのに時間が掛かって仕方がない。

 あと一つや二つ開業しても、他のところでやるのに比べれば絶対儲かるのに、と心の中で毒づきながら足を何歩か踏み出すと、突然背後から声がかかった。

「ねぇ、君っ」

 どうやら女の声らしいが、俺の知り合いにこんな気さくに声をかけてくるやつはいない。っつーか、俺は『君』なんて呼ばれたことがない。

 不審に思って、声は出さずに振り向く俺。

 途端、俺の心臓は大きく跳ね上がった。心臓だけでなく、体も若干跳ねたかもしれない。

 目の前には、桜の木の下にいたあの娘が立っていたのだ。

 綺麗な二重瞼の大きな瞳と長いまつげ。血色の良い唇は微妙に三日月型に曲がっており、彼女が微笑んでいることが窺える。見た目は高校生くらいだろうか。少なくとも、俺より年上ということはないだろう。

 正直に言おう。俺が今まで見て来た女の中で、彼女が一番可愛かった。先入観や光の加減なんかでそう思っただけで本当は普通程度の容姿なのかもしれないが、俺にはしっかりとそう見えたのだ。

 俺が唖然として頭一つ分ほど低い位置にあるその女の子の顔を見つめていると、何故か彼女は慌てた様子で再び喋り出した。

「あっ……ご、ごめんなさい。へ、変だよね、こんないきなり話し掛けて」

 どうやら俺が彼女に釘付けになっているのを、不審な目で見ているのと勘違いしてしまったらしい。

「え? …い、いや……そんなことないよ」

 この娘に話し掛けられていたことに今更ながら気付く俺。

 今まであまり女の子と話す機会がなかったことに加え、今目の前にいるのは――俺ビジョンでは――今まで見たこともないような美少女。必然的に顔が赤くなって呂律が回らなくなっていく。

 それでも、話を続けなければこんな千載一遇のチャンスが無駄になる、という本能的なものが働いたのか、無意識のうちに「どうしたの?」という言葉を繋いでいたのだった。


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