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幕間 〜とある宮殿の広間にて〜





 静謐な大広間。そこを行く、一つの影があった。

 天井から降り注ぐ白光によって映し出される表情は、まだあどけない少年のそれ。小柄な体躯も相俟って、まだ齢幾許もない事を暗に示している。

 そんな彼の行く手を塞ぐように現れるのは、数メートルの等間隔で林立する、乳白色の太い柱。表面に施された幾条かの縦溝と、根本に近づくほどに太くなるその荘厳な形状は、ドーリア式と呼ばれる古代ギリシアの建築様式である。

 わざわざそんな物を大量に並べたのも、この場の創造主たる神の下界好きが大きな要因だった。造り上げた当初こそ、何故このような設計にしたのかと、従者である天使も密かに首を傾げていたのだが、今となってはそれを口にする者は殆どいない。皆がこの光景に慣れてしまったこともあるだろうが、他の不便に注意が逸れてしまったというのが、どうやら一番の要因のようだ。

 その不便というのが、ここ、大広間の莫大な床面積。正面の扉が豆粒ほどの大きさにしか見えないほど、無駄に広いのだ。

 このホールは、他のセクションとセクションとを繋ぐ連絡通路、ターミナルのような役割を果たしている。時間によってはある程度の往来はあるのだが、それら全てを飲み込んでも余りある程の空間が、360°の大パノラマで広がっている。それ故に、移動に時間の掛かる不便さと面倒臭さだけが際立つ形となっていた。普段この場を行き交う天使達にとっては、柱のデザインなどよりも、実務的な方面に目が行くのは当然の結果である。

 だが、主である神が設計者の為に、声を大にして文句の一つも言ってやれないのが、彼ら天使の悲しい性だった。先日の女天使のように、変に主の機嫌を損ねて、見知らぬ世界に堕とされては堪らない。

 とはいえ、数分前から同じ光景が後方へ流れていくのを目にしている彼にしてみれば、溜息の一つも吐きたくなる。毎度の事ながら、これだけは慣れるものではないらしい。

 と、正面の柱の裏から、人影が一つ、踊り出る。

「あ、藤田くん」

 名を呼ばれた彼――藤田波流は、反射的に立ち止まった。

 彼の瞳に映ったのは、自分と同じ年頃の少女。身に纏う制服と抱える大量の書類の山から、彼女が事務全般を担う部署に所属していることが推し量れる。上背がないために、顎で手に持つそれを無理矢理押さえ付けて、何とかバランスを保っていた。

 藤田も、彼女とは面識があった。自分と同年代の天使は少ないために、記憶にも残っている。

 だが、面識といっても廊下での擦れ違いざまに挨拶を交わす程度。向こうの名前も知らないし、階級も思い出せない。こんな風に呼び止められること自体初めてだった。

「……何」

 胸の階級章は見えないが、やっていることはパシリ同然の下働き。年齢の面から考慮しても、自分より上級であることは考えにくい。

 そんな一瞬の逡巡が、向こうだけが自分の名前を知っている事に対する不信感の表出に、一役買う。無論敬語も使わない。

 対する彼女は、藤田の言葉に一瞬びくりとしながらも、しかし語調は揺るがない。

「へ? あ、うん。そんなに急いでどこに行くのかなって思って」

「ちょっと下界まで。急ぎの用事だって」

 自分の格好から所属部署は分かるだろう、との考えからくる簡潔な答えである。

「あ……下界ってことは、もしかして……」

 意外なことに、俯く少女の顔に薄い陰が落ちる。

 先日発布された詔は記憶に新しい。下界と聞いて真っ先に頭に浮かぶのはその事だろう。普通の天使なら顔色一つ変えないところだが、どうやら気に病んでいる様子。‘彼女も’下界出身なのだろうか?

 などと邪推しつつも、しかし藤田は表面上は冷静に言葉を繋いでいく。

「指令の内容は他人に話せないことになってるから」

「あっ……そ、そうだよねっ! 私ったら何言ってるんだろ」

「……あのさ、もう行っていいかな。俺、急いでるんだけど」

「あ、うん。ゴメンね、呼び止めちゃって」

 彼女は「それじゃ」と、手を振る代わりに淋しげに微笑み、藤田を残して向こう側へと駆けていく。あれほど大量に紙束を抱えているというのに、器用なものだ。

 藤田はそんな背中を見送りつつ、自分も目的の方角へと足を踏み出す。

 ふと、彼女を手伝ってやるべきだっただろうか、という思いが浮かぶ。いくら紙とはいえ、あれだけ大量に抱えれば重量は相当なものになるし、なにより持ちにくい。小柄な少女には些か酷な作業である。

 今から追いかけてでも……いや、やはりそれは無理だ。何しろ、今回の任ばかりは失敗は許されないのだから。タイミングを逃せば恐らく次はない。だけでなく、自分の立場、命まで危ぶまれる。不必要な、それも名前さえ知らない相手に対するお節介に、時間を割いている暇はない。

 先を急ぐ彼の眼前に、漸く出口となる両開きの扉が現れた。厳めしい木製のそれは、遠くで見るよりも圧力が数段違う。単純な大きさではなく、年期の威風を漂わせる木目が存在を強調していた。

 無駄に歩き続けた時間と、扉の巨大さに軽く舌打ちをかましつつ、藤田は自分の背丈の数倍はあるそれの取っ手に手を掛けた。

 ゆっくりと、手前に引く。


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あきゅろす。
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