魔法の仕掛け
額に汗が浮かぶ。
黒い後姿を見失わないように必死になって追い掛ける。
先導する影は、大きく突き出した木の根も、自分と然程変らない大きさの岩も、軽々と飛び越えていく。
高い位置からの着地も御手のもの。
片足で着地して次の足は高い枝の上まで飛んでいる。
更に高い枝に手を伸ばしてそれさえも飛び越える。
空中で身を翻すその姿は体操選手のそれよりも美しい。
黒衣の合わせに使っている細い鎖が、動く度に小さく揺れて音無く煌く。
まるで鳥を追い掛けているような気分になった。
追いつけないのはすごく悔しいのに、空高くを滑空する姿は見ていて楽しくなる。
そんな、気分。
振り返ると自分の後を必死についてくる姿が見えた。
手を貸すこともできると思うけど、どうやってしたらいいのかわからない。
自分を守る術しか教えてもらえなかったから。
でもそのおかげで、身体は小さいし力もそこまでないけど自分の身ぐらいは自分で守れるようになった。
でもそれ以外の事、誰も何も教えてはくれなかった。
飛び交う悲鳴、畳の上に無造作に広がる赤い海、耳に焼きつく怒号、暗く狭い部屋の中できつく抱きしめられた腕の力、掠れた深い言葉、冷たくなってだんだん固くなっていく指先の意味を。
だから今は何もできずにいるけど、たまに躓いて転んだとしてもすぐに起き上がって走り出してくれるから、少しペースを合わせながら進む事にした。
一人じゃないって結構疲れるもんなんだね。
こんな気持ち、初めてだよ。
「…………………………………………なぁ。」
「え、何〜?」
目の前に立ちはだかる大岩から飛び下りようとしていたアオイは、呼ばれて慌てて振り向いた。
え、何〜?……じゃねぇよ。
「どんだけ歩きゃいいんだよ。さっきからずっと歩きっぱなしじゃねーか。俺はもうヘトヘトだ。時計のガキも見つかんねーし。」
兎は息を切らせながら抗議した。
残り時間も後どんだけあるかわかんねーのに……。
実際の所現在鬼ごっこ開始から二時間四十分経過している。あと二十分しか時間はないのだが、リラを捕まえるという鬼ごっこのエンディングを迎える気配は全くない。
「しょーがないじゃん。ジャングル広いんだもん。僕一人だったら木を伝って飛んでくんだけど、卯紗義さんはそーゆーわけにいかないでしょ?歩くしかないじゃん。」
そりゃそーだけど。
だって俺兎だし。一応飛べるよ?30cmぐらいならな。
でも、俺兎だろ?軽いだろ?持って運ぶ事ってできないのか?………んな事自分からは言えない、否、言いたくないけど。確かに(いろいろあって)薄汚れた兎なんて抱えたくない。嫌ならいいんだ、嫌なら。
アオイは唯単にそこまで思考がまわらないだけなのだが。
「だからって、歩くのもどーかと思うけど?」
枝の上を飛んでいて追いつけなくなって、走っていても速さは変らず追いつけなくなり、仕方なく歩いてリラを捜索中。その原因を作った奴の台詞とは思えない。
「あ。」
ガサガサッ
「そこ、気をつけて。」
と言いながら兎を見上げるアオイ。
「対リラ用の罠が仕掛けてあるから。」
「…………。」
兎は木から吊るされた網の中でジタバタともがいている。
早く言えよ。
「動かないで、すぐ下ろしてあげる。動くと余計絡まるようになってるから。」
……早く言えよ。
兎は網の中で雁字搦めになっていた。
網は複雑に絡まって解けなかったため、アオイの持っていたナイフで網を切って兎を救出した。
「………せっかく作ったのにな〜。」
アオイは壊れた仕掛けを拾い上げてブツブツ言っている。
……俺は死ぬかと思ったんだけど。そもそも早く言えよ。
そうは思いながらも、仕掛けが壊れたのはどっちかと言えば注意してなかった自分のせいだし、あいつもちょっと落ち込んでるみたいだし、文句言うのは今度からにしよう、ということで兎は何も言わずに先を歩き出した。
「あ、そこも。」
ズテッ
途端に地面と御対面。
「早く言えよ!」
兎は顔面に土をつけながら抗議する。
「罠、たくさん作りすぎて何処に仕掛けたか忘れちゃってた。」
「…………。」
殴ってやろうかと思ったが、大人気ないと思ってやめておいた。
「こんなのんびりしてて、時計のガキを捕まえられんのか?」
前を歩いていたアオイが足を止めて振りかえる。
「大丈夫だと思うよ?このジャングルも無限に広いわけじゃないから。それに、リラもこっちに向かってるはずだしね。」
兎も足を止める。
……何を言い出すんだこのガキは。
「感か?でもそれはお前の憶測に過ぎない。」
怒るかと思いきやアオイはニコっと笑った。前を向いて歩き出す。兎も慌てて後を追う。
「そんな事ないよ?類は共を呼ぶっていうじゃない。兎は兎を呼ぶってわけ。きっとすぐに来ると思うよ。リラは足が速いから…。」
……そんなんでいいのか?
しかし俺の疑問は五分後には消える事になる。
「あっそ。」
どーでもいいけどこいつよく喋るなー。
「君さぁ、何で兎なの?本当は人間なんでしょ?二本足で歩く兎なんて滅多にいないし。喋り方も兎の訛り(そんなものがあったのか!)がないし。それに何より、瞳が人間だ。君の目、赤くないもん。リラ以外で、目の赤くない兎は見た事がないよ。」
アオイは今度は振りかえらずに前を向いたまま兎に尋ねた。
それに対して兎は早足(二足歩行)で歩きながら応える。
「まあ…俺にも事情があって…。」
早歩きで喋ると息が乱れる…。なんであいつ普通なんだよ。(それは足の長さが違うから。そして兎なのにニ足歩行だから)
「へぇ〜、じゃあ本当に人間だったんだね。僕適当に言ってみたんだけど当たっちゃったんだ〜。」
アオイはへらへらと笑っている。
…ピキッ
「フンッ。今はこんな姿だが、人間の俺は(自称他称共に)『結構美青年』で通ってたんだよ。」
これじゃ唯のナルシストだ…(自滅)
アオイは目線だけを後ろに送る。
「へぇ〜、美青年だったんだ。でも今の姿で言っても説得力ないよ?」
最後のほうはすでに含み笑い。ちなみに最初の方は棒読み。
……ピキピキッ
こいつ今、嘲るようにして笑った…。しかも目が『軽蔑』を物語っている!それに見下されてるし(それは現在の身長的に問題あり)。俺ガキってマジ嫌いだ。
しかしまぁ………説得力か………………確かに。無いな。今の俺。
兎が落ち込んでいるのに知ってか知らずか、アオイは前を向いて言葉を続ける。
「それよりさぁ、まずはリラを捕まえないとそれどころじゃないよね?急ごうよ。」
そう言って歩調を速めた。兎は息を切らせながら後を追う。
「………。」
話し振ったの誰だよ…。
「まだこんなとこにいたんですか?もうすぐ時間切れですよ?」
聞き覚えのある声。忌々しい、あの嫌味たっぷりの声。
「ほら、来たでしょ?」
顔は笑っているがアオイの声に笑みは混じっていなかった。一秒後には真上を睨みつけていた。
「あぁ、そうみたいだな。」
上を見上げると、遥か上空にリラの姿を見つけた。真横に突き出した太い木の枝に腰を下ろして、楽しそうに足を揺らしていた。
「あの高さじゃ、僕が気配を読めなかったのも納得いけるや。」
アオイは苦笑いしながらそう言った。既に右手には幾つか手裏剣が握られていた。その手裏剣が僅かに震えている様に見える。
「高さの問題?」
リラの声は良く通る。この距離でも聞き逃す事無く耳に響く。嘲笑を交えた嫌味な言葉と共に。
「確かに僕は、君が人の気配を感じる事のできる距離を知ってるよ。だからこそ今の今まで君は僕を捕まえられなかったんだもの。なるべく気配を消して、君から離れてね。」
兎はリラが何を言いたいのかよく分からなかったが、アオイの眉間には皺が刻まれていた。
「でもさぁ、今のこの距離、確実に相手が見えるよ?僕の言ってる事、君なら解るよね?それとも、馬鹿だから解らないかなぁ?」
一瞬の事で目が追いつかなかった。
木の葉が数枚落ちてきて、見上げた時にはリラのいた枝に五つの手裏剣が深く突き刺さっていた。その枝に座っていた本人は隣の木の枝で同じ様に腰を下ろして足を揺らしていた。極上の笑みを浮かべて。
「訓練足りてないんじゃない?」
ギリッと奥歯が鳴る音がした。リラは更に続ける。今度は冷たく、冷淡な声で。
「忍びとして失格だね。」
見下した視線で。
「うるさい!!!」
アオイの悲痛な叫びが響く。
「うるさいうるさいうるさいぃぃ!!!!!!」
最後の一声と同時に手裏剣が一つ投げられた。それを避けようともせず、標的は足を揺らしている。
ドスッ
投げられた手裏剣は目標から僅かにずれ、リラの座っている所から手裏剣一つ分、枝先に向かった所に突き刺さった。リラは顔色一つ変えずに、枝に刺さっている手裏剣を横目で見た。そして眼下にいる忍びを見据えた。
「五月蝿いのは君だよ。悔しいのなら僕を捕まえてみせなよ。…できるものならね。」
そう言ってリラは姿を消した。アオイは俯いていて動かない。兎はどうしたらいいのか分からなかった。リラの逃げた方とアオイを交互に見やる。
…よくはわかんねーけど、
「追いかけるぞ!」
そう言うしかなかったんだ。
それでもアオイはピクリとも動かない。
あーもーイライラする!
兎はアオイの足を思い切り蹴り飛ばした。それがなんと弁慶の打ち所に当たり少しだけ反応を示した。
「いいいぃっったいじゃない!!!何すんのさぁー!!!」
少しと言わず、かなりの反応を示した。
怒りが込み上げ兎の横腹にエルボーを食らわせる。(八割ぐらいは八つ当たり)
それも一発では済まなかったそうな。
哀れ。
「あ……僕…は……何を………。」
わなわなと震える自分の両手。
………の向こうに、横腹を抑えながら地面に顔を埋めている白い兎。
「わぁ大丈夫!?生きてる!?」
アオイは慌てて兎の右足を掴んで持ち上げた。逆さ釣りになった兎の顔は土まみれになっていて、軽く手で払ってみたら、いつもの(より薄汚れた)兎の(不機嫌な)顔が覗えた。
……何だよ正気じゃねーか。
「お前が俺を殺す気じゃなけりゃな…。」
兎は力なく言った。
「よかった、生きてるね。」
「で、リラが逃げた方向、こっちであってるんだよね?」
「……ああ。」
「ちなみに、卯紗義さんて今より高い所も大丈夫?」
「??………ああ。たぶん。」
「じゃ、行くよ。振り落とされないでね。」
「…………(絶句)。」
今ある二人の現状。
察しはついているだろうが、兎はアオイの左腕に抱えられたまま十二階建てビルの高さを飛んでいる。下を見る度に頭がクラクラしていた。
いくら高所恐怖症じゃないったって、この高さはないだろう…。
「卯紗義さん、大丈夫〜?」
前を向いたまま大きな声でアオイは尋ねた。
「……ああ。(たぶん)」
兎は呟きにも聞こえるほどの声音で返答する。
「でもだんだん口数減ってきてるよ〜?」
愉快と言わんばかりに兎をからかうが、その眉間に僅かに皺が寄せられている事に気付いてはいない。
…………元々無口な方だからな。
「ま、落ちる事は(たぶん)無いから安心してよ。」
「ね?」と、励ましにも慰めにもとれる言葉をかけられるが、不安は少しも消えてはくれない。
「…………ああ。」
最後は唸り声に聞こえなくもなかった。
「………おい。」
「え〜?何〜?」
アオイはひょいっと軽く木と木の間を飛びながら返事をする。ちなみに兎は今もアオイの腕に抱えられたままの状態。
「お前って頭悪いのか?」
カチ―ン
「卯紗義さんまでそういう事言うの!?」
アオイは太めの木の枝の上に立つと、兎の両足を掴んで逆さ釣りにした。見たくもないが下を向くと木の枝を越えた遠くに微かだが地面が見えた。
「……このまま落とすよ?」
ヤケに冷たい声で言われ兎は冷や汗をかいた。背を伝う汗は常と逆向きに流れて行く。
「………やめてくれ。」
そして妙に素直に謝ってしまうのだ。
「俺が悪かった。」
フンっと鼻を鳴らして兎を脇に抱え直して次の木に飛び移った。
「それで?何か分かったんでしょ?」
アオイは視線を変えずに兎に尋ねた。ちなみに言うと眉間に皺を寄せたままで。
「……なんとなくだけどな。」
兎はアオイの形相に冷や汗を流しながら答える。
「なんなの?」
「………否まだ何となくしか…。」
「いいから教えてよ。……怒ってないから。」
嘘だ!眉間の皺がそれを物語っている!
「………このジャングルとあいつの魔法には矛盾をかんじるんだよ。それが何かはまだはっきりしないけど。」
アオイは一瞬だけ兎に視線を向けた。
「矛盾?どういう事?」
「それがわからねーんだって。」
「ボソッ………(役立たず)。」
「…………おい今何て言った?」
兎の身体を支えているアオイの腕の力が緩む。兎は一気にバランスを崩しアオイの腕に必死にしがみついた。
アオイは薄く笑みを浮かべて。
「何も?」
こんなやりとりが幾度と繰り返された。
「ねぇ僕ってさ、見た目何才ぐらいに見えるの?」
木の枝から軽やかに飛び移りながら尋ねられた。
「……13、4…ぐらい。」
忍びには疲労というものが無いのだろうか。あれから結構な距離を移動し続けているが、息が上がるような気配はない。
「そうだよね。本当はそれの十倍ぐらいなのに。」
それどころか、落ち着いていて乱れない。
「……ここに来た時から成長止まってるんだろ?」
「そうだよ。僕の身体はジャングルと共に時間が止まっているみたい。髪も伸びなければ爪も伸びない。一日というものが無いから眠くもならない。お腹も空かない。まぁ、夜が来ない分明るすぎて寝る気にもならないけどね。」
疲労を感じないのはそのせい?
「じゃあどうやって年を数えてるんだ?」
「たまーにジャングルの外から迷い込んでくる旅人に聞くんだよ。今は何年の、何月何日ですかってね。その人達は偶然ここを通りかかるだけで、このジャングルに取り込まれる事はないから、それっきり会う機会はないんだけどね。……僕一人、ずっとここにいる。」
それとも他に理由が…?
「そいつらは魔法がかかってないから時間を感じるんだろうな。ここから出られるって事は。」
「きっとそうだね。僕は全く時間を感じないもの。リラと鬼ごっこをした三時間も、何時の間にかってかんじだったから。」
時間を感じない……?
「じゃあ鬼ごっこの時間切れはどうやって分かったんだ?」
「だーかーら、何時の間にかなんだってば!その時通りかかった人に時間を聞いてみたら、ここに来てからとっくに一週間も過ぎてたっていうんだもの。」
…もしかして。
「終わりを告げたのはリラじゃなかったのか?」
「違うよ。聞かなくたって分かっているんだから。」
ああ、そうか。
「分かった。」
「えっ何!?」
アオイは急ブレーキをかけ、木の枝の上で立ち止まる。枝が細くて安定しないのか、幹に手をかけ身体を支えた。
「何が分かったの!?」
兎を抱える腕にぎゅっと力が篭った。
「…………矛盾、してた事が……。」
どうやら胴体を絞められて少し苦しいらしい。声が濁っている。ついでに手足も力無く揺れている。そんな事にはお構いなしでアオイは先を尋ねた。
「と、とりあえず苦しい……。」
「ああ、ごめんごめん。」
ちっとも悪びれた様子も無く、きつく絞めた腕の力を抜いた。いきなり力を抜かれたので兎はボテっと枝の上に落ちた。よかったね、枝の上で。
「それで?何なの?」
枝の上で機用に正座しながら尋ねる。立ち話じゃなんだからと言われても、枝の上で正座できる人間は少ないと思う。ちなみに兎は細い枝の上で立ったまま。それも少ないと思う。
「結局は、時間は止まったままだったって事だ。」
アオイは少し眉を寄せる。
「それは分かってるよ。それが矛盾?」
訝しげに兎を見やる。
「そうだ。時間は止まっている。三時間経った事にはならない。」
「えっ……?」
アオイは言葉に詰まった。
「お前の鬼ごっこもまだ終わってない。ここから出られないのも、まだ鬼ごっこが終わってないからなんだ。解ったか?」
「そんな事って……。」
アオイは目を大きく開けたまま呆然としている。
「信じ…られない……。」
唇が僅かに震えているのが見えた。
「僕……ここから、出られるの?」
兎の角度からだとアオイの表情はわからないが、落ちてくる小規模な雨がジャングルの転機を生む。
「追いかけよう。」
アオイはそれだけ言うとあとは口を閉ざしてしまい、暫くは無言が続いた。
その少ない言葉さえも震えていたのだから無理もない。
兎はたまに降る雨が頭に当たるのを無視して後を追った。
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