百年の決着(後)
アオイは今までと比べものにならない速さで木々の間を飛び交う。
その傍らで、兎は一生懸命呼吸をしていた。速すぎてあぷあぷしている。
酸素だ!酸素をくれー!
しばらくすると前を行く銀色の兎が視界に入った。
「見つけた!!」
アオイが嬉しそうに叫んだ。
「よし、このまま追いかけろ!」
兎はあぷあぷしながら、空気の混じった声で言う。
しかし、気合いを入れたものの、アオイのスピードはこれ以上速くならない。
そもそも無駄に気合いを入れたおかげで、精神的に疲れてしまうのではないだろうか。
そんなことにはお構いなしで、アオイは「ちくしょー!!」とか「このやろー!!」とか気合いを入れまくっている。
それでも、スピードは落ちることはないにしても上がる様子もない。
リラの姿は視界に入ってはいるのだが、お互いの距離は全く変わらなかった。
「あのね、兎さん」
アオイは改まった様子で兎に話しかける。
……何だ?
兎は息が苦しいので、顔だけ上げた。
「僕ね、手裏剣とかの命中率はいいんだけど。それは初めて会った時に証明してるよね?」
兎は無言で頷く。
……何が言いたいんだ?
「手裏剣はお気に入りってだけで、その他の投げ技もね、命中率は変わらないんだよね?」
……それって。
「兎さんって高いとこ平気だって言うし」
……まさか。
「相手に気づかれずに近付く方法って他に考えつかないし」
……やっぱり。
「だから」
……投げるのか?
「いいよね?」
アオイはにっこりと笑っている。
拒否権も与えられぬまま、アオイは兎の胴体を鷲掴みにした。
「兎さんは動いちゃだめだよ?狙いが外れたら、どこに行くかわからないから」
え?それって、やばくない?
兎の返事も聞かずに、飛行機を飛ばすようにして思いっ切り兎を投げた。
ぎゃあ−−−−!!!
兎は声にならない声で叫んだ。
それがリラの耳に入ったかどうかは分からないが、リラが驚いた様子で振り返る。
気付かれたじゃないか−−−!!
リラは余裕の笑みを浮かべて。
手にした懐中時計をチラッと見て。
「ストレリチア」
聞き覚えのある呪文を一語一語、丁寧に唱えた。
それからは前回と同じように、空中でピタッと止まって。
目の前にいるリラは呆れた様に溜息をついて。
届くはずだった手が握手をし損ねた時のように虚しく伸びたまま、引っ込める事ができない。
ちーくーしょー
「猿でも同じ手にはかからないよ。君は猿より知能が低いの?」
リラはいつもの様に挑発の言葉をアオイに向ける。しかし、アオイはいつものように、それに乗るわけででもなく、一定距離から近付くわけでもなく、ただそこに立っていた。
リラはアオイの様子に疑問を浮かべた。
今日のアオイは調子が狂う……。
「…アオ、イ…………!!?」
最後の『イ』は、どちらかと言うと『ヒ』に近かったかもしれない。
兎の視界の隅で、リラの膝の端に小さな傷があり、その部分だけ銀色の毛が赤く滲んでいるのが分かった。リラは枝の上でよろよろと足元がふらつき、幹に手をついてもたれ掛かる。
「−−−クッ−−」
完全に力が入らなくなったのか、ズルッと枝から滑り落ちた。
「−−キフクリンアカリファ」
言葉を発するだけの力は残っていたようで、リラは自らに魔法をかける。
力が入らないせいか、自分にかけた魔法はすぐに効果を示さない。急降下は地面スレスレで止まった。
「今回は僕の作戦勝ちだったね」
倒れているリラの横にしゃがみ込んで、最高級の笑顔を向けるアオイ。
「今までの手裏剣も、当たったらこうなってたって知ってた?」
アオイは兎を投げたその一瞬後に、痺れ薬のついた手裏剣を投げつけていた。
それも、視界に入りにくい足元を狙って。それにより、リラは未だに動けず、言葉も出せないでいる。
「当たったのは今回が初めて。今までのは全部避けられてたんだね〜」
悔しそうにそう言いながら、リラの鼻をつついて小さな復讐を行う。−−−豚鼻。
「〜〜〜!!」
リラは鼻息を荒くすることで必死に抵抗した。
「あははは、ごめんごめん、うい嬉しくって」
そんなやり取りをしているアオイの背後には、仰向けに転がった兎がいる。
リラがかけた魔法は思いの外早く切れてしまい、アオイが助けに来る前に地面に落下した。「ああ!兎さんが−−−!!!!!」と叫びながらもアオイに焦る様子は窺えない。
それ以前に、兎は気を失っていたにも関わらず、落下する際には動物の本能からか無意識に体勢を整えていて、元々体重が軽いおかげで(何せ兎だから)胸を強打するだけで済んだのだ(あと擦り傷少々…アオイに蹴られた時の傷を除き)。
アオイもすぐに地上に降り立ち、兎の様子を見てみると「なんだ大した怪我してないじゃん、心配して損したー。転がしときゃそのうち気がつくよねー」と言って、動けない宿敵を弄りに行ってしまったのである。
今までの事(殴られたり蹴られたり地面に埋まったり)を思えば、相当の高さではあったとしても、そこから落ちるぐらいで死ぬことはおろか、重傷を負うとも思えない。
丈夫な体に産んでもらってよかったね。
兎が目を覚ましたところで、両腕を縄で縛っておいたリラを尋問にかける。
「約束だ、俺についてきてもらう」
リラは身動きの取れない身でありながら、そっぽを向いて不満そうに口を尖らせる。
「え〜、どこに連れ込む気ですかー?」
「ええっ!?兎さん、何かそれってあやしいよ!?」
「勝手に解釈するな」
アワアワしているアオイにビシッとツッコミを入れる。
「男の約束だろう、それぐらい守れ。黙ってついてこいよ」
リラはまだ口を尖らせている。
「わかりましたよー。約束だし、仕方ないからついて行きますけど、せめてあの時の人参下さい」
まだ覚えていたらしい。しかも図々しい。
「……」
言い方にはやや腹が立つが、一件落着したところで非常食はもういらない。というか、なるべく早く手放したい。
「……やるよ」
大嫌いな人参を懐から取り出し、リラに差し出す。
リラは両手が使えないので、そのまま人参に噛みついた。
まるでジャガ●コを食べるかの如くポリポリと音を立てて一気に平らげた。
その様子はあの、本物の、普通の兎の姿そのもの。初めから兎には変わりないのだが。
「おいしい!……でも、お腹空きました。もっと食べたいです……」
リラは悲鳴を上げる自分のお腹に視線を向けた。
「そういえば僕もお腹減ったよ〜」
アオイは思い出したかのように、お腹に手を当てた。
こいつら何なんだよ…!
「……あれ?」
アオイは目を丸くしたまま固まった。
そういえば。
ジャングルに来てからは、さっきまで俺も空腹とか感じなかった。
「時間、動いてる…?」
アオイは空腹を訴える自分のお腹を見つめる。
「そりゃそうだよ。ジャングルにかけた魔法、解除しちゃったんだから」
リラはつまらなさそうに、また口を尖らせ出した。
ふと、アオイに視線をやると、リラは目を見開いた。
「動いてるんだぁ……」
黄金色の瞳から幾筋もの涙が次から次へと流れ落ちる。
リラはバツが悪そうに俯いて地面を睨んだ。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
ジャングルには静けさが戻り、遠くでは動物達の生きる声が重く響いた。
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