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新小説
始まり
 ぽつりと、頬に冷たい感覚が当たった。
 雨だとすぐに理解できた。
 まだ自分に細かな感覚が残っていることに驚いた。
 空はいつの間にか分厚い雲で覆われていた。
 この様子では、すぐに土砂降りの雨が来るだろう。
 今までは容赦無く、肌が焼ける程眩しい太陽熱が降り注いでいたっていうのに、太陽が沈みそうになった途端これだ。
 どうやら、天にも完全に見放されたらしい。

「ぐっ」

 なんとなく体を動かそうとし、それが叶わず、代わりに鈍い痛みだけが体のあちこちに走った。
 今まで鍛え続けてきた身体も、もう自分の言うことさえ聞いてくれないただの重荷になり下がっているということは重々理解していたのに、何故俺はそんな無駄なことをしたのだろう。
 恐らく無意識なのだと思うが、もしかしたら心の奥底ではまだ生にしがみ付いているのかもしれない。
 バカバカしい。
 どれだけ願おうが、抗おうが、もはやそれは絶対に叶わないというのに。
 もはや俺は、剣を取ることや、魔法を詠唱することはおろか、自分の足で立つことすら叶わないのだ。
 四肢の主要な腱はナイフでぶった切られて、俺の手足は垂れ下がってる。
 それは舌も同様で、もはや満足に喋ることすら叶わない。
 それだけではない。
 肘と膝の関節は巨大な金槌でぶっ叩かれて決して曲がらない方向にひん曲げられて、その上で生きたまま十字架に貼り付けときたもんだ。
 恐らく俺は、このまま数日の内に、いや、この出血量の中雨に打たれでもすれば、多分今晩中に息絶えるだろう。

 おれは、なんの為に生まれたのだろうか。
 振り返ってみれば、ろくでもない人生だった。
 まぁ、まだ生きているだけ、今まで生きて来られただけ、マシかもしれない。
 むしろよくもまぁ二十年も生き延びられた。
 幸運に幸運が重なってきた、とも思ってる。
 だが、それでも、振り返ってみれば、なんの意味もない生だった。
 他者の物を奪い、そして、命を奪って生きてきた、そんな下らない生だった。
 他人の幸せなど考えたこともなかった。
 最も、自分の幸せとやらも考えたことはなかった。
 考える余裕もなかった。

 俺の親は、物心ついたばかりの俺を奴隷として売り払ったらしい。
 売られた先の盗賊団の一員に後から聞いた話だが、どうやら、ろくな家具の一つも買えないようなはした金だったらしい。
 金の為、というよりは、そもそも望まれた命ではなかったのだろう。
 だから、安値でもなんでも、さっさと手放したかったのだ。
 最低の親とは思うが、仕方ない。
 別によく聞く話だ。
 だから俺は、親を恨んでもなければ、復讐しようとも思わなかった。
 むしろ、よくそんな最低の親が俺を産み、あまつさえ物心着くまで生かしておいてくれたと感激している。
 そして、俺がいた盗賊団も、よくもまぁ微々たる金で俺を買い、生かし、育ててくれた。

 とにかく俺は、その盗賊団に売られた故に、なんとか命を繋ぎ止めることが出来た。
 その盗賊団というのが特色で、リーダーが良心的かつ子供好きだったのが幸いだったのだ。

 団員は十と少しの小さな集団だったが、彼らは多くの生きる術を持っており、俺はそれを学んで育つことが出来た。
 窃盗や、略奪、小さな悪業を重ねる集団ではあったが、命を奪う行為を良しとしない変わった盗賊集団であったし、リーダー以外にも俺に良くしてくれる奴はいた。
 俺の勝手な期待かもしれないが、もしかしたら彼らは俺を家族の一員のように思ってくれていたのかもしれない。
 思えば、この頃が一番、幸せだった。
 その頃の俺は、捨てられないよう技術を磨く事しか頭になかったが、もう少し周りに甘えを見せていたら、果たしてどうなっていたのだろうか。

 いや、よそう。
 きっと何も変わらなかったし、今更振り返っても意味はない。

 何故なら、年齢が十になる前に、俺の人生は再び転落したからだ。
 国が、治安を守る為に傭兵団を使って盗賊狩りを行い始めたのだ。
 そのターゲットの中には、例外なく俺がいた盗賊団も含まれていた。
 盗賊団のリーダーや仲間たちは、俺ともう一人を除き、皆殺しにされた。
 俺のいた盗賊団は人こそ殺してなかったが、それでも悪業は重ねてきたのだから、まぁ自業自得だったのかもしれない。
 俺たちがやってきた罪に対しあまりに重い刑罰だとも抗議したいが、仕方ない。
 お国のお偉いさん方から見てみれば、盗賊なんてどいつも変わらずゴミの集団にしか見えないだろうから。
 なので俺が怒るべきことは、まだ子供というだけで、俺だけが不条理にも生かされたことだ。
 俺だって、今まで立派に悪業を重ねてきたのにも関わらず、だ。
 そして、もう一つ。
 同じ団員でありながら、自分が生き残る為に俺らの情報を売って国に泣き付いた腐った野郎が、まんまと生き延びやがったという事だ。
 風の噂では、その後国お抱えの諜報員だかなんだかになったらしい。
 明日も分からないチンケな盗賊団から、仲間を売るという最低な行為により安定した国の人間に一躍進展ときた。
 腐ったシンデレラストーリーのような話だが、この世界で生き残る為には、そういう器用さも必要なのかもしれない。
 そうは思いたくないが。
 そういう奴にこそ、本来神が、あるいは“神の都(みやこ)に住む女神”とやらが鉄槌を下すべき、そう思いたいが。

 いや、だから、よそうって。
 過ぎた話も、無駄な期待もするべきでない。
 他者に頼るなど、それも、いもするか分からないものに祈るなど。
 話を戻そう。
 俺のその後だ。
 その裏切り者ではないが、俺も俺で、その後の人生は劇的に変化した。
 俺を生かすよう周りを説得した傭兵は、他ならぬ盗賊のリーダーを斬った男だった。
 そいつは俺に告げた。
 自分が憎ければ、自分を殺せる程強くなれ、と。
 それはつまり、うちの団の傭兵になって、共に働けということだった。
 俺は、最初こそ首を振った。

 そんな事に意味はない。
 強くなりお前を殺した所で、仲間たちは生き返らない。
 だから殺してくれ。

 ……と。
 だが、却下された。

 だめだ。
 生きろ。
 生きて、自分が生かされた意味、生きる理由を探し出せ。

 そんな事を返された。
 俺は、俺の住処を奪った傭兵団と共に生きるハメになった。
 死が隣り合わせの、傭兵として生きる事になった。
 だから、俺の望みは、すぐに叶うはずだった。
 死のうと思えば、いつでも死ねたのだ。
 だが、俺は生き抜いた。
 言われた通り、生きる意味を探し続けようとしたとか、そんな訳じゃない。
 かと言えば、強くなって、あいつに復讐しようと思ってた訳でもない。
 ただ、生きようと必死だっただけだ。
 多分、そいつに殺せとか言っておいて、本当は死ぬのが怖かっただけだ。
 そして、そいつは俺に、それでいいと言った。
 嬉しくもなければ、腹立たしくもなかった。
 これでいいのか、と納得し、その数秒後には、いや、これでいいはずがない、と否定した。
 そして、かつて言われた通り、生きる意味を考えようと思った。
 けれど、そんなものは見つからず、次第に忘れ、俺はまた、生きる行為に没頭した。

 俺が最初に人をこの手で殺したのは、十の時だ。
 初陣だった。
 相手は大人で、体格も俺よりずっとあったが、なんてことなかった。
 力では劣っていたが、剣技でも、速さでも、俺の方が上だった。
 俺はそいつを斬り伏せ、首を跳ねた。
 案外、何も感じなかった。
 その後、もう一人切っても、二人切っても、十人切っても。
 最初に人の命を奪った時が一番迷うとか聞いていたが、そんなことはなかった。
 そういう事を考えると、俺は戦の才能があったのかもしれない。
 別の言い方をすれば、ただ冷徹、というだけなのだが。
 そして、どうやら俺は、剣を振るう才能もあったらしい。
 これは誇っておきたいが、しかし人を殺す行為が卓越してる、と言い換えれば、誇って良いのか分からなくなる。
 とにかく、俺は戦争に行く度に生き残り、力を付け、人を殺める数も増えた。
 ただ、人を殺める恐怖より、自分が死ぬ事への恐怖の方が強かった。

 それからも俺は武勲を重ね、十三になる頃にはそれなりの地位を獲得していた。
 だが、それでも俺は彼らに心を許す事はなかった。
 なにせ彼らは、俺の生きる場所を一度奪っているのだから。
 別に復讐心はなかったが、かと言って馴れ合う気は起きなかった。
 そんな俺がこれから部下を率いて良いのだろうかと考えた。
 もちろん、良いはずがない。
 俺の為にも、団の為にも。
 だから、ここにいるのも潮時か。
 次第にそんな事を考え始めるようになった。

 そう思っていた矢先の事だ。
 傭兵団での生活までもが、唐突に終わりを告げることになったのは。
 元々、傭兵なんてのはいつおっ死んでもおかしくない職業だが、あれは酷かった。
 確かに俺は、あの傭兵団での生活を終わりにしたいと思っていたが、あれは決して俺が望んでいたような最後ではなかった。
 俺らを雇った領主にはめられたのだ。
 それも、その領主に着き、戦争に勝利したというのにだ。
 どうやら勝利を祝うパーティーで毒を盛られたらしい。
 団員の誰かが知ってはならない情報を知ってしまったとかで、その口封じだ。
 俺が無事でいられたのは、彼らに心を許さず、そういう祝い事にはいっさい顔を出さなかったからだ。

 そして、俺を残し、その傭兵団は全滅した。
 俺は逃げた。
 やはり、復讐とかは考えなかった。
 明日からどうやって生きればいいのか。
 そんな事を先ず考え、次に、やはり他人には心を許すべきではないと悟った。
 遅れて、仲間が死んだのに真っ先にこれからを考え、怒ることもなければ悲しみにくれることもない自分に気付いた。
 俺は人を殺してもなにも感じない。
 仲間が死んでもなにも感じない。
 きっと、俺の心は、壊れてる。

 そこからは、一人で生きた。
 誰にも心を許さずに、盗賊団にいた時と、傭兵団にいた時の知識や技術を合わせ、窃盗と戦を繰り返した。

 やがて戦が激化していき、亜人や魔獣までもが入り乱れるようになった。
 人間よりも遥かに身体能力の高い連中や、厄介な魔法術に長けているような連中だ。
 これから先、剣術だけでは生き残れないと考えた俺は、行きすがりの魔術士からくすねた魔道書を読んでは独自に魔法を覚え、立ち寄った店から錬金術の本をくすねては、やはりそれも覚え、独自に魔導具を作り、そしてまた戦に赴いた。
 そんな日々を繰り返しているうちに、いつしか俺の名前は傭兵としてそれなりに有名になっていったようだ。

 だが、そんなことに意味はない。
 武勲や名声など、なにも。
 結局のところ俺はただの盗っ人であり、単なる人斬りだ。
 死ぬのが怖いから生きてきた。
 結局、生きる意味さえ見出せなくて、見出せないまま死んでいく。

 それにしてもこの仕打ちはあんまりだと思うが。
 戦争に勝って帰還し、祝いの会を開く、褒美もあるので是非参加して欲しいとか言われ
、気まぐれに参加してみたら、毒を盛られ捕まった。
 起きてみれば、いわれのない容疑を掛けられており、拷問のすえ、この有様だ。
 まるで十三歳の頃のデバックだ。
 いや、それより数段酷いけどな。
 あの時、俺は他人を信じるなと悟ったはずだったのに。
 くそ。
 どうせだったら、どうせ死ぬのなら、どっかの戦場で、剣を振り回しながら倒れたかった。

 ……そんな事を考えてる間に、予想通り雨は土砂降りになった。
 叩き付けられるような雨は、やがて俺の感覚を根こそぎ奪い去っていく。
 今や、雨が肌に当たる感覚すら残っていなかった。
 ただ、寒かった。
 瞼が、重くなっていった。

 ……そんな時、目の前に、人の気配があった。
 顔を上げると、男が立っていた。
 雨よけの為にフードを被ってはいたが、その口元には卑しい顔に笑みが見て取れた。

 そんなに罪人が苦しむ姿が面白いのか?
 こんな状態だ。
 手も足もでない。
 笑いたければ、好きなだけ笑え。

 普段の俺なら、感情の起伏が乏しい俺なら、そんな事を思い、無視を決め込んでいただろう。
 だが、この時の俺は、どうしてもその口元が目に付いて離れなかった。
 意識が朦朧としている中、雨にもさらされ、ろくに前も見えないというのに、何故かその男の顔だけははっきりと入ってきた。
 どこか見覚えのあるその顔に、今まで感じた事のない不思議な感情が芽生え始めた。
 なんか、こう、胸の奥が重くて、熱くて、頭がぐちゃぐちゃかき混ぜられるような、不思議な感覚だった。
 
「久しぶりだな」

 と男は口を開き、やがて嫌みたらしく口元を緩ませたかと思えば、わざとらしい芝居がかった口調で「おっと」と言った。
 どこか覚えのある声に、俺の頭が余計ぐちゃぐちゃにされたような気がして、思わず吐き気を催した。

「そういえば、もう喋る事も叶わないんだったか。悪いな、パックス」

 そう言いながら、男はフードを取ってみせる。
 だが顔を見るまでもなかった。
 パックス。
 その男は、俺の事をそう呼んだ。
 その名前は、今の俺の名前でない。
 かつて名乗っていた名前。
 それだけで、俺はこの男が何者なのか理解した。
 なんとなく、薄々勘付いていたが、もはやそれは間違いない事実となった。
 名前に愛着や重要性を感じていなかった俺は、名前を何度か変えている。
 そして、パックスという名前を名乗っていたのは、俺が盗賊団にいた頃だけだ。
 こいつは、裏切り者の……

「ヴゥヴゥァアアーーっ!!」

 あの時はよくもという恨み。
 何故お前がここにいるという疑問。
 そういった言葉が頭の中に生まれる前に、ただただ俺は吠えた。
 閉じられかけていた瞳は、今や醜悪なその男の笑みを捉えて離さない。
 男の歪んだ表情、仕草、全てがはっきりと認識できた。
 もはや満足に動かないと知りながら、それでも身体は前に進もうとする。
 もはやろくに言葉も話せないと分かりながら、喉が裂け、血反吐を吐き出さんばかりに叫び声が止まらなかった。
 あぁ、これが怒りか。
 そうだ、俺はこの男が憎いのだ。
 本当は、憎くて憎くてしかたなかったのだ。
 殺したくて殺したくてたまらないのだ。

「そうか。お前、俺を憎んでいたのか。もはや忘れ去られていると思ってたんだが、覚えていてくれて嬉しいよ」

「ァアっ!! ヴァアっ!! ヴェァアっ!!」

 俺も、そうだ。
 俺は、感情の起伏に乏しい。
 だから、この男の事など今更どうでもいいと思ってた。
 だが、違った。
 俺にも感情があったのだ。
 燃える炎のような、激しい感情が渦巻くことだってあったのだ。
 ただ、押し殺していただけだったのだ。

 俺は叫ぶ。
 ただ叫び、睨み付ける。
 恨みをぶつけるように。
 呪い殺すように。
 これまで溜めてきた感情を全て爆発させるかのように。
 だが。
 奴は笑った。
 何も気にせず笑った。
 むしろ、怒気を発する俺を見て、より一層愉快そうに笑い、告げた。

「思えばお前とは縁が多いなぁ。って言っても、お前は多分知らないだろうから、冥土の土産に教えてやるよ。今回お前をはめたのはもちろん俺だ。それは、俺がこうして出て来た時点で薄々勘付いてたか? だが、それだけじゃないんだぜ。あの後お前を拾った傭兵団、それをはめたのも、実は、な?」

 男はにたりと頬を吊り上げる。
 一瞬、何を言ってるのか分からなかった。
 あの後って、どの後だ?
 俺を拾った傭兵団?
 いや、誤魔化すな。
 現実から逃げるな。
 そんなもの、一つしかない。
 確かに俺は、傭兵として色々な国、領主の元に行き、戦った。
 だが、俺は常に一人だった。
 団に入っていたのは、一度だけ。
 俺を生かしてくれた、俺に、生きる意味を見つけろと言ってくれた、あそこだけ。

「ガァアァアァアアアっっ!!!!!」

 俺は血反吐を吐き出しながら叫んだ。
 今度は比喩でもなんでもない。
 喉が裂け、赤い飛沫が舞い、それでも俺は叫び続けた。
 そんな俺を、奴は虫けらでも見るように見下しながら笑い、罵倒した。
 滑稽だと言った。
 無様だと言った。
 愚かだと言った。
 その通りだ。
 今の俺には何も出来ない。
 こいつにしてみれば、踏めば潰せる小さな虫も同然だ。
 それでも、何も出来なくても、俺はこの男を、殺したかった。
 仇討ちとか、そんなものではない。
 俺は、そんな真っ当な事を思える人間ではない。
 この気持ちは、単なる個人的な復讐心だ。
 俺はこいつが憎い。
 だからこいつだけは殺してやりたい。
 俺の全てを奪ったこいつを。
 例え悪魔に魂を売ってでも、この身を悪魔に変えてでも、殺したかった。

 その時だ。
 “あれ”が飛来したのは。
 奴の顔が青ざめる。
 当然だ。
 俺もこの目で“あれ”を見るのは初めてだが、一瞬の内に理解した。
 “あれ”の前では、ちっぽけな人間等、否、生きとし生けるもの全てが虫けらも同然なのだと。
 動けない俺も、動ける奴も、変わらないゴミなのだと。
 どうやは俺の死は、予想よりも早く訪れそうだ。
 だが、それでもいい。
 確かに俺も、生きる価値のないクズではあるが、それでもこいつよりはマシなはずだ。
 だから、こいつだけが生き延びるよりは、ずっとマシだ。

 そんなことを思うと、自然と身体の力が抜け、瞼が重たくなっていった。
 思えば、ずっと、肩に力を入れて生きてきた。
 今度生まれ変わったら、もっと気楽に、適当に生きてみよう。
 そうでなければ、疲れてしまう。
 俺は、疲れた。
 だから、そろそろ、休もうか。


あきゅろす。
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