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新小説
戦争
 緑香るなだらかな丘の上、頬を通り過ぎる風が気持ち良かった。見上げれば青空。眩しい日差しを手刀で遮りながら、ディン-アーリュはなにを見るわけでもなく遥か彼方を眺めた。平和。そう感じることに抵抗がなくなりどれ位経っただろうか。
 過去の悲劇の爪痕は未だ残り、現在へと続いているし、怨みや悲しみが消える訳ではない。それどころか、自分たちは命懸けの旅もしている。だが、それでも世界が平和になったことは変わらない。
 そろそろ時間だ。ディンは手刀を下ろし、左腕に巻かれた腕時計に似た装置を見ながら立ち尽くした。ハンディ-テレパジュウムという情報発信機の携帯型で、HTPという略称の方が広く親しまれている。
 だらんと落ちた右手には、木の枝と水色の宝石が合わさった杖が握られていて、その隣には花束を抱えた青髪の少女がいる。
 やがて腕時計に似た装置から『ポーンっ』というピアノの鍵盤を弾いたような甲高い音が響いた。時報である。少女は花束を1m程の高さの墓石の前に置くと、両膝を付いて座る。そして手を組み合わせ、目を閉じた。
 今日は世界平和記念日だ。命日などは関係なく、これまでの戦争で命を落とした全ての人々への追悼を捧げる特別な日。今頃、アスランダ王国とカダス帝国の世界平和記念館ではお偉いさん方によるミサが開かれ、人がごった返していることだろう。
 丘を駆ける風が少女の青空に似た色の髪を優しく撫でる。その姿をディンは黙って見守った。静かな時が過ぎていく。やがてそっと青い水晶のような瞳が開いた。

「あなたは、いいのですか?」

 顔を向けるでもなく訪ねられる。

「俺? 俺は、悪いがお前の親なんて知らないし、祈るにしてもなにを語りかけていいのやらなぁ」

「違います。あなたの大切な人に対して、です」

「大切な人、っていうか……」

 誤魔化そうとした所で少女の瞳が彼をとらえた。猫のように大きな丸い瞳がディンの顔を真っ直ぐに覗き込む。
 誤魔化せそうにない。相変わらずガキかと自笑する。頑なに自分の心を偽っても仕方ないってのに。あいつはもう、世界のどこにもいないのだ。

「そうだな。大切な人、だな」

 その本心を、本人を前にこれまで言えたことがない。それどころか、自分でも気付いていなかった。大切なものは失って初めて理解出来るなんて言葉があるが、まさかそれを痛感する日が来ようとは。

「ただ、今日は忙しくてあいつも疲れるだろうし、日を改めて、静かな日にゆっくりと、な」

「そうですか」

 格好付けてるようなキザったらしい台詞だが、あいつもそれでいいと言うだろうとディンは思う。今年もあいつは英雄扱いを受け、きっと疲労困憊していることだろうから。
 一年前はディンもアスランダの平和記念館に足を運んだが、その時も彼の石碑の元に集まる人集りは凄かった。像まで建てられて称えられる姿はディンも誇らしく感じるが、それ以上に滑稽だった。きっと、本人もそう思ってるに違いない。
 だが、そもそも俺はあいつのなにを知っている? なにも知らない。結局、あいつがどんな人間で、なにを考え、なにがしたかったのか、俺は全く知らないのだ。
 少女はそれ以上なにも言わず、ディンの手から杖を取り上げる。元々彼女の持ち物だ。

「お前こそ、もういいのか。遥々故郷に戻って来たのに」

「えぇ。元々がついでだったので。用事もすんだし、伝えることも伝えました。寄り道はもう、十分です。さっ、行きましょう。旅はまだまだ長そうですから」

 そう言って彼女は歩き出す。その背中を暫く見つめ、追い掛けた。
 彼女、ターニャ-エルリシェルと行動を共にして、まだ一年と経っていない。だが、時が確かに過ぎて行くことを実感するには十分な時間だ。
 彼の隣に、大切だった人はもういない。その人は死に、英雄となった。
 そして、今、その人の代わりに共にいるのがこのターニャ。ふわりとした青髪をなびかせる、魔法使いの少女。
 背丈はディンのあご位までで、同年代と思えない程小さいが、魔法使いとしては極めて優秀で信頼がおける。
 会った当初はなんやかんやあったが、互いの目的のため、二人は行動を共にしている。

「さて、この近くで人がたくさんいるとこは?」

「知りません。地図見て自分で調べて下さい」

「は? ここお前の故郷だろ?」

「言ってるじゃないですか。私、隠遁者だったんですよ」

 ターニャはすました顔で言う。

「ニートだったことを偉そうに自慢されてもなぁ」

「ニートじゃないです! 誇り高き魔法使いの弟子として、日々修行をしてたんです! 何度言ったら分かるんですか!?」

 頬をむくれさせ、ターニャは杖の先をディンに突き付けた。

「わ、分かったから! 杖! 杖を向けるな!」

 その後も喧騒耐えない二人。それが出会ってからこれまでの、本来の二人のあり方である。
 これは、神が当たり前のように信じられ、姿を現し、魔物が自由に闊歩する世界で繰り広げられる、剣と魔法が織り成す戦いだらけの世界の話。
 その世界で英雄となった男と、その英雄の影を追う若者達の物語。

ーーーーーーーーーー

〜二年前〜

 真夜中、母と手を繋ぎ歩いていた。母の握る手はいつもより少し痛い。子供心に母の緊張が伝わってきて、伝染した。
 やがて三人の男が現れた。三人とも黒いローブで全身覆われ、フードで顔も目深に隠されている。風でローブがぶわぶわ揺れる。まるで母が童話で聞かせてくれた、夜に子供をさらうという亡霊のようだ。
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 うわ言のように繰り返す母。誰に向けられた言葉なのかは分からない。だが、その様は悪夢に苛まされているようだ。
 そう、これは悪夢なのかもしれない。ただの夢。だとすれば、痛みを伴えば現実に戻れるだろうか。この先を見ずにすむのだろうか。
 そんなことを考えている節、亡霊の一人が母に麻袋を渡した。
 母は俺の手を離してそれを受け取り、中を覗く。安堵の表情。母の先程までの不安な表情が少し和らいで見えた。
 それは俺も嬉しいはずなのに、何故か苦しく、胸が痛かった。
 それが、最後に見た母の表情。パンと乾いた音がして、硝煙の匂いと共に母は血溜まりに沈んだ。真っ赤に染まりゆく顔には先程と同じ僅かな笑みが能面のように張り付いたままだった。
 憎いとか、そんな感情はなかった。ただただ、母を失った苦しみと、この男達への恐怖ですくんで動けなかった。

「……ィン」

 誰かが耳元で囁く。
 誰でもいいから、誰かこの悪夢から俺を連れ去ってほしい。
 あぁ、でもやっぱりこの現実味ある恐怖は夢なんかじゃないだろう。それに、胸がこんなにも痛くて、苦しくて、張り裂けそうで。

「ディン」

 男達は俺の手を引っ張り、強引にどこかへ連れて行く。抵抗も虚しくなすがままに引っ張られていく。
 馬車が見えた。その荷台には俺と同じ位の小さな子供達がおしくらまんじゅうのように詰め込まれていた。
 懐かしい顔ぶれ。俺は知ってる。こいつらのこと。そして、この先の俺の未来を……

「いい加減起きろ! ディン-アーリュ!」

「え!?」

 名前を呼ばれ、慌てて飛び起きた。窓から差し込む陽の光が眩しい。すっかり朝だった。

「まったく、いつまでぐーすか寝てやがる。朝だぞ、朝」

 見慣れた顔の男が部屋の入り口につっ立ち、呆れた声で不満をたれてくる。年齢は20代中程。獣のように癖っ毛のある黒髪で、すらっと背が高く、ムカつくほど顔立ちが良い。

「悪い。そんな寝てた?」

「おー、もう8時過ぎだ」

 男は指で左腕に付けた腕時計を指し示す。促されて布団から起きると雫が垂れた。泣いていた。慌てて手で乱雑に拭き取る。見られてないよな。

「朝食、出来てるぞ。早く来い」

 部屋の入り口から顎を使って急かされる。あの態度は気付いてないだろ。距離も遠いし。

「悪い。今行く」

「あー、とは言ったが、まぁ疲れてたんだろ。無理すんな。宿舎に泊まるのも久々だったからな。なんならまだ寝ててもいいぞ?」

「え?」

 なんだろう。珍しく、変に優しい声をかけてくる。不自然だ。

「その分お前の飯は頂くけどな♪」

「起きる! 起きるよ!」

 仕事柄体力使うし、育ち盛りの俺に朝食の有無は死活問題だ。俺は慌ててこいつの後を追った。
 扉を出て、隣の部屋へ。
 朝食はこいつの部屋に準備されていた。
 羽振りがいいことに、こいつは宿舎に泊まる際いつも別々に部屋をとる。年がら年中二人で野宿してるので、たまには一人になりたいのかもしれない。俺も同じ意見だし、金を払ってくれる以上なにも言うことはない。
 俺はこいつと向かい合って椅子に座ると、机の上に置かれた食べ物を見渡した。見慣れたメニュー。宿のものではなく自作らしい。相変わらず美味そうだ。これだけはこいつと行動を共にしてよかったと思える、俺の数少ない楽しみの一つだ。早く食べたい。
 しかし、作ったのはこいつだし、一人先に食べるのはいくら俺でも気が引ける。
 早くこいつが手を付けてくれればいいのだが、どうやら机の真ん中に置かれた手のひらサイズの“魔法具”の操作に熱中している。
 そこにあるのはTP(確かテレパジュウムの略。語源は忘れた)という空間に映像を映し出す丸っこい立方体の装置で、魔力の受信を感知すると映像や音声を外部に発信する。今はもっぱらニュース等の情報発信に使用されているものだ。
 こいつが念を送る度にチャンネルがあれこれ変わり映る映像も変化を見せるが、俺にとってはどれも大差なくつまらない。昔は娯楽性ある内容の放映もしてたのだが、最近は戦争、戦況、それにまつわる政治経済の話ばかりである。このアスランダ王国と、カダス帝国が戦争をおっ始めてからは特にそんな感じだ。
 散々悩んだ末、結局こいつは「つまんね」とか言いながらも適当なチャンネルで映像を映しっぱなしにした。
 純粋なアスランダの国民ならばこの戦争の行く末は確かに興味あるかもしれないが、俺たちは違う。祖国などない。雇われ戦う傭兵。その中でも特定の主君はおかずふらふら旅をする変わり種。だから、この戦争がどうなろうと関係ない。自身の身の振り方を考える上で情報収集は常日頃から怠らずにしておく必要性があるにしてもだ。

「お、悪い悪い。待っててくれたのか。先食っててよかったのに」

「一応」

 こいつのご飯を楽しみにしてる、と気づかれるのも癪だし。

「んじゃ、頂きます」

「頂きます」

 ようやくきた。スプーンを手に、赤い色の野菜スープを一口啜る。生薬の独特な香りが鼻に広がる。嫌いではない。というか、普通に美味い。

「泣いてたな」

「え?」

 幸せな朝食を堪能してる際、急にさっきまで気にしていたことを思い出させられた。最悪なことにやはり見られていたようだ。

「よだれも垂れてた」

「うそ!?」

「顔じゅう体液まみれだ」

「嫌な表現やめろ!」

「まぁ、よだれは嘘だが」

「嘘かよ! 殺すぞ!?」

「あっはぁー。やれるもんならやってみなー。いつでも受けてたつぜ」

 そう言われると返しに困る。最初はいつか強くなったらやってやる、位は言ってたんだが。今ではとても言う気になれない。

「相変わらず嫌なやつ!」

 代わりに感じた不満をそのままぶつけてみたのだが、なんか負けた気がする。俺の反応をにやにやしながら堪能してるあたり、本当やなやつ!

「で、なんの夢見てたんだ?」

「別に。関係ないだろ。ってか、覚えてない」

「“ディア”は本当に嘘が下手だねー。まぁいいけど。そうだな。俺には関係ないしな」

「ディアとか言うな。あぁ、あんたにゃ関係ないことだ」

「可愛くないねぇ。そんなところが可愛いけれど」

「やめろ。気持ち悪いこと言うな」

 せっかくのご飯が不味くなる。そんな時だ、こいつの視線がTPから流れる映像に釘付けになった。
 先日アスランダ王国とカダス帝国が北シフィカ海域にて衝突した。王国の警告を無視し、領域を侵し進行してきたカダス帝国への防衛戦だ。
 大方の予想では海洋戦においてはアスランダの勝利が濃厚とされていたのだが、どうやらその予想は覆され、敗戦してしまったらしい。なんでも帝国が飼いならした竜が決め手だったとかなんとか。ちょうど映像が映された。

「うっわ。なんだこれ。馬鹿でかっ」

 TPに写ったあまりの巨体に衝撃を受ける。アスランダの最高戦艦の3分の1はある。ざっと見ても50m? 一口に竜といってもたくさんの種がいるが、こいつは明らかに異質だ。黒く全身トゲトゲした鱗に覆われ、隕石のような炎を降らす。まるで悪魔。神話と歴史に登場をする、破壊を司る邪悪な神だ。こんな竜を、帝国はどうやって味方に付けたというのか。
 海洋戦において敗戦、つまり、恐らくカダス帝国は海を渡ってアスランダに上陸してくる。いや、既にしているかもしれない。
 映像の下の方には傭兵募るとか書いてあるが、こんなのが敵にいると知っては集まるものも集まらないだろう。そう思ってたのだが。

「ふむ」

 こいつは顎に手を当て楽しそうに笑うと、そのまま飯を掻き込み始めた。嫌な予感。

「おい。まさか……」

「お前もとっとと食え、ディン。よし、今後の方針が決まったぞ」

 嫌な予感は的中する。なんたってそんな楽しそうに笑えるのか、俺にはさっぱり理解出来ない。
 こいつと行動するようになってから、本当災難の連続だ。

ーーーーーーーーーー

 アスランダ王国とカダス帝国が海洋にて衝突した数日後、真昼間からアスランダ王国南西部にあるオダロ高原上空は赤黒く染まった。炎が吹き上がり、あちこちから噴煙が上がる。
 戦争が始まったのだ。
 切り立った峡谷が点在する大自然に囲まれた美しい大地は、瞬く間に争いの傷痕が刻まれていく。清らかだったはずの空気は、むせ返るような鉄の匂いと熱気により重々しく淀んでいった。
 王国に攻めてきたのはカダス帝国、そして帝国と共闘関係を結んだ無数の国々だ。一方それを迎え討つ王国も多様な国と同盟を結んでいる。
 全世界の国々がなんらかの形でこの戦争に加わっている。今頃はオダロ高原以外でも世界の各地で戦火が上がっていることだろう。史上類を見ない大戦だった。白刃を晒した白兵戦のみならず、火器、魔術、戦車、飛空挺、魔獣やドラゴンを代表とした生物兵器なと、各国が持つあらゆる技術があますことなく詰め込まれていた。
 年端もいかない子供といえど戦力になるなら駆り出され、命を奪い、奪われる。そんな光景が当たり前となっていた。
 現に高原地帯で剣を手に奮戦しているディン-アーリュもまだ15になったばかりの少年だった。
 全身武装した周りの兵とは異なり、起動力を活かすためか鎧の保護面積は多くない。急所である頭部さえ鉢金だけだ。しかし、その表情に恐怖の色はない。リラックスしているようにすら見える。
 ディンはつい先ほど二人の兵士を斬り伏せるや否や矢継ぎ早次の敵へと駆け出していく。相手はいずれも屈強な大人の兵士だ。
 
「お、らぁ!」

 掛け声一つ、ディンは自分より体格差が上回る相手に剣を叩き付けた。打ち込みは相手の剣に防がれたが、強い衝撃が防いだ両腕を後方へと弾く。小さな少年による攻撃とは思えない肩が抜けるかのような一撃。
 相手が体制を立て直す前に空いた胴に追撃。鎧を抉って剣が食い込む。
 だが浅い。相手は咄嗟に剣を振り戻してくる。
 小さく舌打ち。ディンはそれを剣で防ごうとしたが、剣は鎧と身体に食い込んでいてすぐには抜けない。
 防ぐのを諦め剣を離すと胴にタックル。ついでに足を掛け転ばせる。
 もつれるように倒れた両者。兵士も抵抗を試みたが、上になったのはディンだった。
 ディンは兵士の胴に足を巻き付けると馬乗りになり、剣を持つ腕を抑えながら鼻頭に頭突きを見舞う。怯んだ隙に腰からナイフを抜き取り躊躇なく首に突き立てた。
 刃がずぶりと中程まで食い込む。悲鳴に続き、血を吐き出す嫌な音が耳に残った。
 大人相手に見事な勝利。
 だが、何勝したところで常に危険に身を晒していることには変わりない。
 その時右の耳につけた翡翠のイヤリングが煩わしく響いた。“セル”という音声での連絡を可能とする魔法具だ。聞こえてきたのは耳慣れた声。ディンは不快な顔をする。

「こっちはいっぱいいっぱいだ。説教は後にしろよ」

 独り言のように呟くと、血の泡を吹き呻く兵士には目もくれず、兵の身体からナイフと剣を引き抜き立ち上がる。こびりつく血を拭いもしない。
 イヤリングがまた鳴動した。ありがたいが腹立たしい。こっちは気にせず“そっち”に集中しろと口から出かかるが、笑われるのがおちだ。
 諦め、危険に対処する。
 ドン、と後ろから地響きが聞こえた。一度ではない。ドン、ドン、ドンと規則的に近付いてくる。巨大な足音だった。“警告”通りだ。

「くっ!」

 ディンは咄嗟に飛び退いた。彼がいたところに巨大な戦鎚が振り落とされたのだ。狙いを外した巨大な鉄塊は大地にめり込む。哀れにもディンが倒した兵士は胴を潰され踏まれたカエルのようにぺしゃんこになった。
 ディンは猫科の動物さながらの身軽な動きで飛び起き構える。そして、相手を見るや否や顔をしかめた。
 自然と相手を見上げる形になる。でかい。でか過ぎる。3メートルに近い巨人だ。手に握られる金属質の巨大な鎚が小さな工具のように見えてしまう。
 側頭部からは巨大な角、左右の口元からは鋭い牙が上下に覗く。吊り上がった目は赤く血走っている。己の強さを証明したいが為か、身を守る武具はディンより乏しい。というか、半裸だ。晒された四肢は丸太のように太く、首元や前腕など、一部の体毛は獅子のたてがみのように濃い。
 ウォーガンと呼ばれる亜人種だ。巨体にそぐう怪力と頑強さを併せ持つ。そればかりかその恵まれた体格を活かした戦闘技術は常日頃から部族間の闘争により磨かれている。
 ディンはウォーガンを見るのは初めてだったが、聞いていた情報の通りいかにも好戦的な外見だった。危険度は今まで打ち倒してきた兵の比ではない。
 ウォーガンは追撃せずに肩の力を抜きどっしりとディンを見下ろしている。
 怪力だけではない、熟練度が伝わってくる歴戦の戦士の佇まいだった。攻め入る隙は見付からない。一歩も前に踏み出せない。睨み付けるように対峙するが、それだけで疲労する。
 ウォーガンは三大戦闘民族の一つと呼ばれているが、それも納得だとディンは心の底から痛感した。こういう時こそ助言が欲しいのに、耳元は静かだ。

「その戦いぶり。身のこなし。やるな、小僧」

 ウォーガンが口を開く。普段は部族の言葉を用いているはずだが、アスランダの民が用いる言葉も解しているようだった。イントネーションに訛りもない。
 ウォーガンが住まう北の大地とアスランダ王国は地図の上では隣接こそしているが、アスランダの都市とウォーガンの部族が住まう山との間は広大な氷の平原に隔てられ、滅多なことでは会さない。そして互いに無闇な干渉は行わない。なので、アスランダの言語を解するウォーガンはそういないはずである。たが、このウォーガンは別らしい。戦闘力だけでなく知能も高いとなれば、いったいどこに欠点を見つければ良いのだろうか。

「ギヌ-エンデ-オスフロンド」

「は?」

「俺の名だ。ギヌ族が長、エンデ家が頭首、オスフロンドだ。小僧、お前の名は?」

「……ディン-アーリュ」

 ディンも詳しくないが、好戦的なウォーガンの族長となると想像以上に厄介な相手ということだろう。

「ディン-アーリュ。記憶した。安心しろ。貴様が死してもその名は俺の胸に刻んでおこう」

「そりゃどうも。オスフロンド」

 ディンは短く返答する。平静を装ってはいるが、死刑宣告をされた気がした。
 別にあんたに覚えておいてもらわないでもいいから見逃してくれないかと本気で言おうと思ったが、言ってもきっと無駄なことだ。

「では死合うぞ。構えろ小僧」

 ほらきた。若干15の少年に対し大の大人、というか、巨人がやる気まんまんだ。嫌になる。不満の一つこぼしてもバチは当たらないと思う。
 ディンはその不満を言うべき相手、自分をこの戦争に巻き込んだ男の顔を思い浮かべ、舌打ちをした。今耳元から声がしたら、その時は迷わず文句を言ってやるのに。
 しかしわざわざこちらが構えるまで待ってくれているのはありがたい。ウォーガンに戦場で名乗りをあげるしきたりがあるというのも初耳だ。これが話に聞く騎士道精神というやつか。それともオスフロンドが特別なのか。だがそれにしてはいきなり不意打ちの攻撃をされたのでよく分からない。なんにしても残念ながら情報通り好戦的でたちが悪く、見逃してくれなさそうなのは確実だ。
 オスフロンドに巻き込まれることを恐れてか敵兵の増援がないのは幸運と言えなくもないが、味方の増援も望めないのでやっぱり不運だ。しかしいつまでしょげていても仕方ない。生き残るために最善を尽くすまで。
 ディンは覚悟を決め剣を構えると呼吸を落ち着かせる。
 相手は隙がないので下手に打ち込めない。とはいえ防御に徹してカウンターを伺えば勝機が見えるような生易しい相手ではないだろう。となると、虚をつき一気に攻め込む必要がある。
 向こうがその気になって攻めてきたら一気に飲み込まれる。
 脳裏にさっき潰された無惨な兵の姿がよぎる。そうはなりたくない。
 なら考えている暇はない。一か八か。先手必勝。ディンは身を低くすると思い切って突っ込んだ。

「正面からか。潔い!」

 豹が疾走するかのような低い姿勢。巨体を誇るウォーガンとしては的が低く小柄な分狙いにくくなるはずだ。
 そう踏んでいたのだが相手は百戦錬磨の戦闘種族。巨大な戦鎚を片手で軽々振りかぶると、ゴルフボールを弾き飛ばすが如く振り下ろしてくる。
 左方向から脇腹目掛け迫る戦鎚。その軌道は正確だ。
 様子見で防御に徹してくれればありがたかったが、即座に迎撃というのは当てが外れた。しかし文句をいう暇はない。触れれば身体の何処だろうと致命所は免れない一撃が躊躇いなく迫る。

「くっ!」
 
 効果があるかは知らないが、オスフロンドの頭部へ右手をかざすと短かく詠唱。燃え盛る赤い球体が放出された。
 同時に剣の腹を盾にし横に飛ぶ。
 爆音と同時に金属音。続いて胸に凄まじい衝撃。その後視界が不自然に回転していることに気付く。飛んでいた。どおりで浮遊感があるはずだ。そう思った刹那大地に身体をしこたま打ち付け、何度も転がる。
 起きあがろうとし、呼吸が出来なくなっている事に気付く。慌てて無理矢理息を吸おうとすると激しく咳き込み、胸に締め付けられる痛みが走った。あばらも、背骨も軋んで痛い。腕に至っては感覚がない。生きているだけで奇跡に近かった。
 ディンは痛む身体に鞭打ち起こす。感覚はないが、手元に剣は? 素早く確認。ちゃんと握られている。
 こちらは満身創痍だが相手の様子は?
 相打ち狙いで放った爆炎魔法。それは確かにウォーガンの頭部を捉えた手応えがあった。元より剣を囮にかましてやるつもりでいたのだ。作戦ではそこから一気に畳み掛けるつもりだったがこの際それは仕方ない。
 いくら頑強なウォーガンとはいえ、至近距離から頭部を爆破させられればそれなりのダメージはあるはずだ。
 そう思っていたのだが。

「仕留めたと思ったが、頑強な身体だな」

 自然な足取りで巨体が近付いてくる。頭部の体毛が多少焦げている程度だ。まるでダメージを感じさせない。
 化物が、と頭の中で悪態をついた。

「俺の攻撃の衝撃をいなしたのもあるが、想像以上に高い魔素を蓄えた肉体か。しかも炎に加えクリエイトの魔術まで使えるとは、流石の俺も肝が冷えたぞ小僧」

「あ?」

「謀るなよ小僧」

 首を傾げるディン。対してオスフロンドは半分ほど振り返り、大地に突き刺さっている紫色の剣を戦鎚で差してにやりと笑った。

「宙より飛来したあの剣〈つるぎ〉。これはお前の仕業だろう」

 そこにあるのは飾り気のないシンプルなロングソード。金属ではない。ほっそりとしたその剣はまるで刀身から握りまでガラスのように透き通っており、蛍のような淡い光の粒子を発している。その様はまるでアメジストのように美しかった。

「これがなければ確実に仕留められていたのだが。いや、違うな。仕留めようとしていれば、首か頭を貫かれていた。炎の魔術は目眩しか。まさかこんな切り札を隠し持っていたとはな」

 ディンの記憶では先程こんなものなかったはずだ。とするとオスフロンドの言う通り空から降ってきたのだろう。そして、これがなければディンの命は戦鎚の一撃で終わっていた。
 しかしながらこれは断じてディンが生み出したものではない。しかし正直に否定しても得はないので、ここはなにも言わずに黙っておくことにする。

「咄嗟の判断力も申し分ない。お前、その年でかなりの修羅場を潜っているな?」

「そうでもないさ」

「謙遜するなよ。このオスフロンドが肝を冷やしたのは久方ぶりだぞ」

 勘違いに気付かず楽しそうに笑うオスフロンドに、だんだん哀れみと申し訳なさが込み上げてくる。ついでに、このでかぶつに盛大に誤解されている自分も誰か哀れんでほしい。

「俺はな、小僧。かの名高き傭兵、“ウェルド-アース”と戦えると聞き、嬉々として北の地より馳せ参じたのだ。同じ傭兵を生業にする者として、一度手合わせ願いたいと常々思っていたのでな。だが戦場にて会するは有象無造作の者ばかり。どうにも張り合いなく退屈していた」

 聞き慣れた名前に、なるほど、そういうことかとディンは納得する。
 普段アスランダとカダスの諍いにはこれっぽっちも興味を示さないような辺境の部族がここにいるのは、自分達と同じ傭兵だからだ。それも、彼はウェルド-アースとの戦いを求めこの戦争に参加した。その途中で相見えるなど、ディンにしてみたらなんとも厄介な偶然だ。
 ウォーガンの言葉に耳元からなにかしらの反応があるのではと期待してみるが、まるで静かだ。向こうは向こうでそれどころではないのだろう。
 そんな状態で、この長距離で、よくもまぁこちらを助ける魔術を使えるものだ。やはりあの男は、あの竜以上に人知を超えた化物である。

「わりぃな。あんたご指名のやつは今忙しいみたいだ。文句ならあんたを雇った帝国に言ってくれ」

「らしいな」

 ディンとオスフロンドは空を睨み付けた。遥か上空、視界の端で悪魔のような翼を生やした黒い巨体が踊っている。恐らく二日前にTPで見たドラゴンだ。その周囲は雷雲に包まれ激しく光り、炎の塊が噴火した火山のように放たれていた。呆れるほどの暴力だ。誰かさんが引き付けていなければ、この高原はあっという間に死の大地と化すだろう。

「あの竜、アルトリスというらしい。帝国の切り札が一つよ」

「普通の竜と違うのか?」

「生け捕った竜で交配を重ね、そこに魔術や薬品を用い改良を重ねたそうだ。全く人間は愚かだな。偉大なる自然を征服しようなど醜き所業よ。だがその戦闘力は絶大だ。聞いてるだろう? 先の海上戦ではあれ一騎でアスランダの主力戦艦を根刮ぎ破壊してみせたそうだ。これではいかにかの名高き傭兵とて命を落とすことになるだろう。残念だ」

「不満があるならうちについてくれないか? 悪いがあんたの相手はもう嫌なんだ。あんたは俺を買い被ってくれるがな、はっきり言って迷惑だ。命がいくつあっても足りないからな」

「はっ!堂々敵に命乞いか!」

 オスフロンドは破顔し吹き出した。ついつい本音が出てしまった。今でこそ笑っているこの戦闘種族だが、目が血走ってて恐い。次の瞬間には騎士道精神がとか戦をなんだと心得るとか怒りそうで恐い。だがこの際賭けだ。ディンは最後まで口を止めないことにする。

「あいつも先約を片付けて戻ってくるさ。あいつとの戦いがお望みなら、この戦で帝国を負かしたあとに好きなだけやればいい。そうすれば俺もあんたも救われる。皆そろってハッピーだ」

 ようやく耳元から声が聞こえた。珍しく不満をわめいている。してやったりだ。

「おまけに買収とはな。面白い。そんなに命が惜しいか、小僧」

「まぁな」

「諦めろ。俺が手を下さずとも、この戦は終わりよ。あの化物には誰も勝てん」

「心配すんな。あの化物のところには、あんたご指名のアースがいる」

「……その口ぶり。お前、もしかしてあの傭兵と所縁の者か?」

「まぁ、認めたくないが、な」

 ディンは渋々頷いた。
 血の繋がりこそないものの、関わりはある。大ありだった。なにせディンは、オスフロンドが絶賛するウェルド-アースという傭兵とともに暮らす間柄なのだ。というか、今回の戦争にディンを巻き込んだのもそのアースだった。
 アースがなにを考えているのかはディンも分からない。しかし、最近のアースはあまり戦争への参加意欲が減っていたように感じていた。それはディンとしてもありがたかった。
 だが、帝国がとんでもない生物兵器の竜を戦争に導入している情報をTPを介して知るや否や、このオダロ平原で行われていた戦争へ参戦した。しかも、拒否するディンを半ば強引に連れ出して。
 一方の帝国も生物兵器を再び投入。アースはディンを置いて一人勝手に竜との死闘を始めた。
 少し沈黙。オスフロンドは険しい顔で見下ろしてくる。どうやらウェルド-アースという傭兵は余程気になる存在らしい。
 賭けは成功か、失敗か。鼓動が早まり、じっとりと手に汗が滲む。

「どおりで面白い訳だ」

 オスフロンドは再び破顔すると戦鎚を握り締めた。くそ、失敗か。ディンは改めて戦う覚悟を決めたが。

「いいだろう! 乗せられてやろう!」

「……あ?」

「なにを惚けている。そうと決まれば早々に帝国を潰すぞ。俺はあの薬漬けにされた哀れな怪物を叩きにいく。共に来い! そこにあの男もいるのだろう?」

「言って自分でびっくりなんだが、案外簡単に聞いてくれんだな。あんた族長だろ。良いのかよ」

「なぁに、幸いここに我が同胞はいないのでな! なにをするにも俺の意思次第よ!」

「あ、そう」

 なにはともあれ助かった。ディンは生き残る為には手段を選ばずなんでもやれというアースの言葉を思い出す。あいつの言う事を聞くのは癪だが仕方ない。なにはともあれなんでも試してみるべきなのだ。

ーーーーーーーーー
・魔素
 空気中、物質内、そして生物の身体に蓄えられている万能のエネルギー源。
 剣士は魔素を身体能力強化などに用い、魔術士は魔法(方式を用いて現象に変換させる術)に用いる。
 優れた種族や個体は総じて魔素の保有量や変換能力が高い。

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あきゅろす。
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