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フラン、仕事を始める
フランドールの昔話(15)
〜フランドール視点〜

 紅魔館が襲われたという知らせを受けた、その日の夜。私達は自分達の部屋に強制的に戻され、何も出来ずにいた。閉じ込められてしまったのだ。私だけじゃなく、お姉様や、パチュリーも。
 スカーレット家の家臣達は、お父様達に、もし戦の拠点である紅魔館や生まれ故郷の城が襲われた際、必ず私達をこの館の外には出さず、厳重に監視しておくよう命令されていたみたいだ。情報は、何もない。お姉様やパチュリーが今なにをしているかも、そして、アンナが無事かどうかさえ、分からなかった。
 当時の私達はまだ子供で、今とは比べものにならない程力は弱かった。とはいえ、最上級の妖怪でなければそれなりに戦える程度の力位はあったと思う。なので、いかに屈強な家臣達が集まっていても、三人が揃ってしまえば、ここを抜け出して紅魔館に向かう事も出来たと思う。しかし、一人一人隔離されてしまえば、流石にそれも叶わない。
 成長した私達を想定して作られた防壁は、以前私を閉じ込めていたものと同じ堅固な作りで、何をやってもまるでびくともしない。お姉様やパチュリーも、長年研究してきたからこそ、あの時私がいた部屋に入る事が出来た。なので、新たに術式を書き換えられ、更に強力になった今回は、いかにお姉様やパチュリーとはいえ、あの時と同じようにはいかないだろう。打つ手なしという状態だ。仕方なく、私は言われるがまま、アンナの無事を信じて待っているしかなかった。
 だが、その日の夜。

「フランドール、さん。助けて下さい。助けて。フランドール、さん」

 声が聞こえた。何も見えない真っ暗な闇の中、今にも途切れてしまいそうな、アンナのか細い声が。

「アンナ!? どこ!? どこにいるの!?」

 私は、声がした方向に、必死に走った。

「紅魔、館。私は、紅魔館に・・・」

「紅魔館!? 紅魔館に行けばいいの!?」

 私は叫ぶ。すると、闇の中、ふわりと、アンナの姿が浮かび上がった。私は思わず、闇を蹴って駆け出した。

「アンナ!」

 私は必死に駆け寄った。そこには、一年前と何も変わらない彼女の姿が。私は手を伸ばす。あと少し、あと少しで、届きそうだった。不意に、アンナはごぼりと血を吐いた。

「アン、ナ?」

 返事はない。その背後には、赤く光る、巨大な瞳が。

「英雄の娘よ」

 聞き覚えのある声が、闇の中に響いた。忘れはしない。耳に入ってくるそれは、まるで悪意の塊のようだった。

「悪いが、身柄を預からせてもらう」

 アンナの体が、糸の来れたマリオネットのように、私の胸にがくりと崩れ落ちてきた。

「さぁ。次の生贄は、お前だ」

「う・・・」

 その赤い目は、ゆっくりと私に近寄ってきて、

「うわぁぁああーーっっ!!」

 私は、ベッドから跳ねるように飛び起きた。そこは、私の寝室だった。周囲には何もない。目立った異常も、私以外の人の気配も。

「ゆ、ゆめ、だったの? 今の、が?」

 なんで、こんな夢を見たのかは分からなかった。ただ、全身嫌な汗でぐしょぐしょで、それは嫌に現実味のある夢だった。

「アンナ」

 私は、その夢のせいで彼女の身が余計に不安になり、無駄と知りつつ、私を閉じ込めている扉に手を掛けた。すると、思っていたものとは違う、軽い手応え。

「開い、てる?」

 私が押すと、扉はなんの抵抗もなく、外に開いてしまった。理由は分からない。考えられるとしたら、見張り役が防御魔術を掛け忘れたのか。少なくとも、ここが襲われた形跡はない。

「よし」

 私は、迷わず霧に変幻して外に出た。唯一考えたのは、お姉様やパチュリーを呼びに行くかだ。だが、二人の防御魔術まで解けているかは分からない。その危険を考えずに下手に行動し、家臣に見付かって連れ戻されるよりは、このまま紅魔館に行ってしまおうと思った。
 私は見張りの隙を付き、夜の大地を必死に駆けた。アンナの事が気掛かりだった。彼女は無事か。生きているのか。

「・・・」

 走りながら、無言で右手を見つめる。私の能力。あらゆる物体の破壊。今まで私を散々振り回してきた、憎い力。だけど、今はある程度コントロールが出来ている。五年前に私達が襲われた時も、この力があったから、お母様が来るまで持ちこたえられたのかもしれない。使い方さえ誤らなければ、今回だって、きっと。

「待ってて。アンナ」

 私は、右手をぎゅっと硬く握った。私の初めての従者。私の初めて会った人間で、初めての人間の友達で、私に初めて、人間っていう生き物の面白さを教えくれた、女の子。例え人間でも、例え種族がまるきし違くても、私は彼女が大好きだった。その気持ちは、私だけじゃないはずだ。お姉様と、パチュリーだって、同じ思いだったに違いない。
 彼女が戦争への参加を志願した時、私達は止めた。それでもいう事を聞こうとしない彼女を見て、私達も戦争への参加を志願した。だけど、それは許されなかった。そして、そのまま一年が経過した。だけど、私達が彼女の存在を忘れた試しは、一度もない。だから、私は、アンナを、
 走っている途中、東の空から、狼の遠吠えが聞こえた気がした。私がその方角を見上げると、遠くの夜空に、何やら長大な蛇のような影が舞った気がした。だけど、それは一瞬にして見えなくなった。もしかしたら、ただの気のせいだったのかもしれない。今は、それよりも紅魔館に向かう事が先決だった。

「な!?」

 黒い夜が、熱気と共に真っ赤に染まっていた。紅魔館に近付けば近付く程、それは強くなった。私の視界の端に映る紅魔館は、見るも無残なものに成り果てていた。門らしきものは見当たらず、城壁は破壊され、あちこちに火の手が上がっていた。
 群がる悪魔の群れと、お父様の軍隊が戦を繰り広げていた。個々の力は、お父様の軍隊の方が上。打ち落とされていく悪魔達。しかし、黒い悪魔達は、まるで羽虫のように、漆黒の空間からいくらでも湧いて出てきた。そして、紅魔館の上空には、悠然と空に浮く、黒く巨大な城が。

「アンナーっ!!」

 私は、構わず紅魔館に駆け出した。途中、私に気がついた悪魔の群れが向かってきたが、気にしている暇はない。

「邪魔だっ!!」

 即座にそいつ等の『目』を手の中に移動させ、破壊していく。その間も足は止めない。ただひたすら、紅魔館へ向かって足を動かした。
 アンナの仕事は、兵士の補佐だ。普段であれば食事の準備などではあるが、今、この戦況でそれは考えられない。明らかに、外敵に紅魔館の内部まで踏み込まれている。となると、負傷者の手当てか、装備品の運搬か。それすらも怪しい。ならば、何処かに籠城しているか、もしかしたら退避したのか。戦況も全く分からない私は、とにかく紅魔館に入って彼女の安否を確認しようと思った。ひしゃげた城門を飛び越え、中庭に入る。その時だった。

「会いたかった。英雄の娘」

 城門を抜けた時、背後から聞こえた、聞き覚えのある声に、私は思わずびくりと震えた。それは、先程夢の中で耳にしたものと同じ。まるで、悪意そのものを体現したよう。
 私は慌てて振り返る。しかし、そこには誰もいない。代わりに、背後に、再び嫌な気配が。

「再びお前に会う為、その為だけに、五年もの歳月を費やした」

「くっ!」

 私は背中に感じる嫌な気配を頼りに、手の中に目を出現させると、振り向き様握り潰そうとした。だが。指に力が入らなかった。

「え?」

 くるくると、宙に舞う物体。遅れて、腕に激痛が走る。私の手首から先が、切り飛ばされていた。

「ぐぁあっ!!」

 私は思わず悲鳴をあげた。だが、切断された腕を抑えながらも、敵意を消すことなく前を見た。
 長い白髪、白い肌、すらりと細長い体格の、中性的な男がそこにいた。そいつは、寒気のするような冷たい笑いで、私の事を見下ろしていた。年代は20代後半にもいっていない、まだ若い雰囲気だったが、それでも、見ただけで分かった。雰囲気が違った。目を合わせただけで、体が凍り付きそうになる。間違いない。こいつが、グレゴリオ・ゲシュペンスト。スカーレット家の宿敵、北欧最凶の吸血鬼。
 私は、竦みそうになる足を気合いで押さえ付け、そいつを睨み通す。その時だ。私は、そいつの姿を確認した瞬間、思わず敵意や痛みさえ忘れてしまった。信じられないものが、目に映ってしまったいたからだ。そこには、


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〜第三者視点〜

「そこに、は」

 フランドールは、そこで言葉を止めてしまった。風見幽香は、首を傾げる。

「そこには、なにがあったの?」

「わかん、ない」

 フランドールは頭を抱え、苦しそうに唸ってしまう。

「わから、ない。私は、あいつの姿を見て、驚いた。顔も見たことない奴だったけど、でも、確かに、何かに、驚いた。それだけは、覚えてるんだけど、なににあんなに驚いたのか、それが、思い、出せ、ない」

 フランドールは、そのまま膝を付いて蹲ってしまう。

「だ、大丈夫!?」

 幽香は慌てて駆け寄って、フランドールの背中に手を回した。呼吸が荒くなっており、胸郭が大きく浮き沈みを繰り返していた。

「ゆっくり、深呼吸をしなさい。思い出せないものや、思い出したくない事は、無理に思い出さなくって大丈夫。嫌な事も、無理に口に出さなくっても大丈夫だから。ね?」

「う、ん」

 フランドールは、幽香に促され、ゆっくりと呼吸を繰り返した。次第に、彼女は落ち着きを取り戻していく。

「ご、ごめん。幽香。急に」

「ううん。それより、あなたは? もう大丈夫なの? 少し休む?」

「ううん。もう、大丈夫。続き、話すね」

 その気丈な態度に、幽香は呆れる。だが、もしかしたら、話したいのかもしれない。傷口を広げたくはない。けれど、話を聞く事が、少しでもこの小さな吸血鬼が背負う重たい荷物を支える事に繋がるのなら。幽香は、そう思った。

「分かった。でも、無理はしないでね。もしまた気分が悪くなったら、すぐに教えて」

「分かった。ありがとう。幽香」

 そう言って、フランドールは話を続ける。風見幽香は、彼女の話に真剣に耳を傾けながら、同時に考える。

(今のこの子の様子は、明らかにおかしかった。恐らくは、何者かがこの子の記憶を操作している。消された内容は、一体なに?吸血鬼、グレゴリオとやらに関すること? それとも、別のなにか? そんなに重要な秘密なの? だとして、それは、誰が、一体なんの為に? 紅魔館組は、知っている? もし、知っているとしたら、だとしたら、私は・・・)

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 ついに私の前に姿を現した北欧最凶は言った。

「あの二人、スカーレットの吸血鬼夫妻は、まんまとこちらの揺動に乗ってくれた。私の気配を追って、拠点を離れ、遠い東欧の地まで足を運んでくれた。最も、お前達を襲ってからより一層警戒心の強まったあの二人をそこまで連れ出すのに、膨大な力の体現と、五年もの年月を費やしてしまったが」

 私は考えた。この男の狙いは、恐らく私を人質に、お父様とお母様を殺す事。捕まる訳にはいかない。だが、私ではこの男に勝てない。なので、増援が来るまで、今は何としてもやり過ごさなければならない。
 手首を見る。再生は完了しようとしていた。私は、魔弾を放つ準備をしながら、足に力を込める。その時だった。

「フランドール、さん?」

 紅魔館の入口から、一人の女の子が現れた。忘れる訳がなかった。それは、私の従者でありながら、私の友人になってくれた、女の子。彼女は、私の姿を見るなり、笑いながら駆け寄ってきた。

「アンナ! こっちに来ちゃ駄目! 逃げて!」

 だが、彼女は止まらなかった。私は、彼女を止めようと、無我夢中で動いていた。グレゴリオの横をすり抜け、アンナを止める為に足を走らせる。何故か、グレゴリオは動こうともしなかった。ちらりと見えたその横は、醜悪な笑みに満ちていた。
 そして、私は気付いた。こっちに近付いてくるアンナの顔に、あってはならないものがあったのだ。それは、牙。口元に生やした、二本の犬歯。彼女の笑いは、普段の彼女のものではなかった。狂気に支配された、おぞましくも凶悪なものだった。

「アン、ナ?」

 思わず固まる私に、アンナはいきなり飛び付いてきた。ひとっ飛びで十m以上も跳躍し、瞬く間に私を地面に押し倒す。そして、彼女は私の首元に手をやった。

「やめて、アンナ!」

 私はその手をなんとか振りほどこうとしたが、明らかに、その力は人間とは別のもの。片腕のない私では、押し返せない。払うように横にずらすのがやっとだった。アンナは、再び私の首に手を伸ばしてきた。
 私は、彼女に首を閉められながら、お父様とお母様に言われ続けてきた事を思い返した。吸血鬼は、通常の交配以外にも、同胞を増やす術がある。それが、人間の血液に、自らの血液を媒体に魔力を流し込むという行為。しかし、それはスカーレット家では禁じられている。何故ならば、強力な力を持った吸血鬼ほど、その魔力は人に馴染みにくく、失敗してしまえば、その人間は、理性のない化け物になってしまう。それは、まさに、今の・・・

「アンナ、本当に、アンナじゃなくなっちやったの?」

 私は、アンナの腕をなんとか引き剥がそうとしながら、必死に話し掛けた。

「本当に、私の事が分からないの!?」

「ぐ、ぅうーーっ!!」

 彼女は、苦しそうに唸った。それでも腕の力は緩まなかったが、目からは、真っ赤な涙が滴っていた。私は思った。彼女には、まだ理性が残ってる。戦っている。確証なんてなかったけれど、そう、思った。
 アンナは苦しみからか頭を振る。チャリ、と、私の上で馬乗りになっている彼女の首元で、何かが揺れた。卵が二つに割れたようなペンダントだった。片方には、写真が入っていた。それは、ロケットペンダント。

「あ・・・」

 そこには白黒の私達が映っていた。私と、まだ背格好が同じ位だったアンナを中心に、お姉様と、パチュリー。皆で撮った写真。私達の思い出の品。そこには、本当に楽しそうに笑う、私達がいた。

「なんで、どうして、こんな事に」

 それは、あまりにひどい悪夢。これが夢の続きなら、どれだけ良いか。意識が朦朧になる。目を覚ましたら、このペンダントの写真のように、私達四人、楽しそうに笑う毎日が始まる。そうだとしたら、どれだけ。
 だが、これは、決して夢ではない。もう戻れない、厳しい現実なのだ。

「私の血だよ」

(え?)

「同胞を増やす趣味はないが、その子は特別に、私の血を受け渡してみた。結果は、見ての通り大失敗だ。最も、私は最初からそのつもりでやったんだがな」

 グレゴリオの言葉に、私は一瞬頭が真っ白になった。それとアンナが私の右腕に牙を突き立ててきたのは、ほぼ同時の事だった。血を吸われていた。痛みは感じなかった。ただ、その光景が信じられなかった。

『ど、どうぞ! 私ので不満じゃなければ』

 五年前、そう言って、震えながらも私に腕を伸ばしてきた女の子。命の恩人の娘だからと、たったそれだけの理由で、自らの血液を私に差し出そうとした、優しい彼女。それが、今、私の血を吸っている?

「ふ、ざっ!」

 途端に、怒りが湧いた。もちろん、アンナにではない。こんな事をして、私達の日常をぶち壊した、憎い吸血鬼に。

「ふざけるなぁーーっ!!」

 私はぐるりと回転して飛び起きた。血を吸う事に夢中になり重心が前に傾いていたアンナは、反応出来ずに振り落とされる。だが、私の目にはもうアンナの姿は映らない。
 私は走った。グレゴリオに向かって。勝てるかどうかは関係なかった。頭にもなかった。ただ、そうせざるにはいられなかった。

「ぁぁああああっっ!!!!」

 私はおもむろに腕を振るう。だが、容易に掴まれ、殴り返された。重たい衝撃に私は無様に地に叩き伏せられた。だが、その程度では止まらなかった。即座に起き上がり、魔弾を放つ。だが、グレゴリオは微動だにしなかった。どこ吹く風で受け流す。ただ、白銀色の髪の毛だけが揺れていた。

「お前は恐らく勘違いをしているので、一つ、言っておこう」

「黙れ!」

 私はグレゴリオに蹴りを放つ。だが、相手に当たる前に、逆に腹部を蹴り込まれ、吹き飛ばされた。

「五年前、確かに、私はお前達の両親を殺す為、お前達を人質にとろうと考えた。だが、それは五年前までの話だ」

 殴ろうと、蹴りを出そうと、魔術を使おうと、目の前の男には通じない。それでも、私はがむしゃらに攻撃を続けた。

「あの日、あの時、この館の地下でお前に出会った時から、私の目的は変わっていたんだよ」

「ふざけるな! だったら、なんで、私の目の前にいる! なんで、アンナをこんな目に合わせた!」

 言って、私ははっとなった。まさかと思った。だけど、今、この吸血鬼の目的が両親でないというのなら、まさか、こいつの目的は。

「そう。私の目的は、お前だ」

「ふざ、けんな! 私なんて、お前にとっては取るに足らない存在だろうが!」

「取るに足らない?とんでもない。破壊の神の欠片をその身に宿し、なお正気を保っていられる存在など、神話の時代を踏まえてもお前以外に存在しない」

「破壊の神の、欠片?」

「おや、あの二人からなにも聞いていないのか。もう一人の娘は知っていそうな雰囲気だったがな。可哀想に。お前は、あの二人から信用されてないのかもしれないな」

「黙れ・・・」

「それは当然か。あの二人に、お前への愛情はない。だから、幽閉されたんだ」

「黙れ!」

「私を目にした今なら、分かるはずだ。その理由が。信用できるはずがない。愛せるはずがない。お前は、苦しむ為に育てられてきたんだ」

「黙れぇぇーーっっ!!!!」

 私は、右手を突き出した。再生はとっくに完了していた。私は、自分の全身を支配する衝動に身を任せた。目の前にいる最悪最低の悪魔への殺意を解き放ち、私は右手に集中した。
 それは、一瞬の出来事だった。

「え?」

 先程まで、確かに、私の目の前にいたのは、グレゴリオのはずだった。だけど、私が『目』を握り潰そうとした瞬間、そいつはいつの間にか、アンナになっていた。私は、握ろうとした力を、とっさに緩めようとした。だけど、

 ドパンと、水の入った風船を破裂させたような音が鳴った。それは、あまりに呆気なかった。アンナだったものは、トマトを潰したように、真っ赤な血液と共に弾け飛んだ。そこには、人がいたという痕跡すらなくなっていた。ただ、バケツで絵の具を巻き散らせたかのように、赤い血液が広がっているだけだった。

「う」

 吐きそうになり、口元を抑える。同時に、涙が溢れた。その度に、視界は暗くなっていく。ポタリと、涙が落ちた。それは、赤かった。

「ぁぁああああっっっっ!!!!」

 私は、真っ赤に染まった天を仰ぎ、腹の底から叫んだ。それが、自分に対する怒りによるものか、アンナに向けた悲しみによるものか、くそったれな吸血鬼にぶつけられた怨念によるものなのか、今はもう覚えていない。

「はっはっは。全て、計画通りだ」

 私の記憶は、ここで飛んだ。最後に耳に残ったものは、グレゴリオの冷たい笑いだった。


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〜第三者視点〜

 幻想郷の端に出現した城の中へレミリア達三人が侵入した時、それは起こった。最初に気が付いたのは、人里の守護者と言われる、半人半獣の教師だった。

「な、んだ。これは」

 彼女の見上げる空には、なんの前兆もなしに、不自然な黒い亀裂が次々に入っていった。それは、彼女の知り合いが持つ能力に似ているようだが、どこか異なる禍々しさを含んでいた。
 彼女に続いて、他の人里の人間もそれに気が付き、人里はにわかにざわめき始める。だが、彼らの危機意識は低かった。目の前に広がる異変に心のどこかで恐怖を抱きながらも、興味本位で眺めているものが大多数だった。幻想郷は、確かに大きな異変が起こる事も多々ある。だが、博麗の巫女が守る人里に、まさか白昼堂々と攻め込む妖怪等いないだろう。そう思い、油断していたのだ。
 だが、人里の守護者、上白沢慧音は違った。広がる異変に、確かな悪意を感じ取っていた。そして、現在、霊夢や魔理沙、それに、彼女と親しい間柄にあり、人間の味方である妹紅までもが、出払ってしまっている。
 しまったと、咄嗟に彼女は思った。相手は主要な力を持った人妖が出払った隙をつき、攻撃を仕掛けてきた。そうとしか思えないタイミングだった。

「全員隠れろぉーっ!!」

 慧音が叫んだ瞬間、人里の上空に、厄災を招く無数の悪鬼が舞い降りた。一瞬にして、人里は阿鼻叫喚に包まれた。

「慌てるな! 全員少しでも頑丈な建物に避難するんだ! 自警団は住民を守れ!」

 言いながら、慧音は空に向かって弾幕を放つ。しかし、焼石に水程度の効果しか与えられない。例え彼女が満月の力で獣人になっていようとも、広い人里の全てを守りきる等出来るはずがない。確実に、犠牲者は出る。慧音は奥歯が折れんばかりに、強く歯ぎしりをした。

「ひ、ひぃー!!」

 情けない悲鳴が聴こえた。慧音が慌ててそちらに目をやると、無様に尻餅を付いて後ずさる村人と、それに向かって容赦無く剣を振り下ろす、骸骨の騎士が。

「くっ!」


 距離がある。慧音は駆け寄ろうとするが、間に合いそうになかった。

「くそぉーっ!!」

 慧音の叫びが、人里に響いた。


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 その異変は、悪魔城のごとき建造物の中に侵入した三人にも伝わっていた。最初にそれを感じ取ったのは、レミリアだった。

「人里が襲われたわ。あいつならやりかねないとは思っていたけど、本当にこのタイミングで人里に手を出すとはね。私達、あるいは幻想郷全体の戦力を分散させるのが目的かしら」

 人里が襲われたというのに、彼女の声は冷静そのものだった。

「相変わらずゲスな野郎ですね。本当に殺意が湧いてきます」

「人里なら大丈夫。こんな事もあろうかと、準備をしてきたでしょ? 『あの子』はちょっと頼りないけど、やるときゃやるわ」

「本当ーに?」

 怪しむようにレミリアに顔を覗き込まれて、パチュリーは咄嗟に目を逸らし、

「ま、まぁ、一応、悪魔だし」

「名前の前に小(コ)はついてるけどね」

 言われて、パチュリーも不安になった。


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 ガキンという金属音が鳴り響いた。今まさに一人の人間を殺めようとしていた髑髏の剣が弾かれた。
 ついで、ドン、パン、タァンと銃声が響き、髑髏は頭部を破壊され、ガラリとあっけなく崩れ落ちた。

「な!?」

 慧音は銃声のした方向を見る。視線の先、屋根の上には、両手に銃を持った、コウモリの翼を生やした赤髪の女の子がいた。パチュリーの従者、小悪魔だ。彼女は銃口から立ち登る煙に息を吹き掛けて言った。

「今まで忘れ去られてましたが、ようやく出番が来ましたよ!」

 何を言ってるんだ? 慧音は首を傾げる。だが、彼女は気にしない。そのテンションはMAXだった。

「いでよ! 紅魔館の妖精メイド!」

 彼女の掛け声と共に、空に向かってワラワラと、紅魔館の妖精達が飛翔していく。それは、慧音にとって希望の光のようにも見えた。彼女は思った。まさか、小悪魔がこんなに格好良く見えるなんて、と。

「今日の私の役目は、人里の守護! パチュリー様に頼まれたからには、例えこの身が砕けようとも、命に掛けてやり通します!」

「なるほど。流石は紅魔館の頭脳。こうなる事を見越していたのか」

 私も負けてられないな、と、慧音は気合を入れ直した。


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 レミリアは、人里の様子を探知しながら、再び冷静な口調で呟いた。

「まっ、小悪魔も小悪魔なりに頑張ってるみたいね。ただ、数では圧倒的にこちらが不利。どこまで持つかは分からない」

「分かっているわ。だけど、こちらも人里を心配している余裕はない。不安や怒りに振り回されて、冷静さを掻かないようにね。二人とも」

「えぇ、分かっているわよ」

「ご安心を。パチュリー様」

 二人は当然のように言う。確かに、そこに余計な感情は混じっていない。それを確認したパチュリーはよしと頷く。そして、周りに聞こえないよう、二人に対して念話を発した。

『相手は二度も地獄から生き返った不死者よ。とはいえ、吸血鬼は蓬莱人のように完璧な不死性はない。殺せば死にきる存在。それが何故、二度にも渡って蘇ったのか。それを調べる為に二ヶ月近くの時間を費やしてしまった。結局、その理由は分からなかったけど、対策なら立てられたわ』

『アンチ・マジック』

 レミリアの言葉に、パチュリーは再び頷く。

『成長したレミィもフランも、他の最上級の妖怪ですら追従を許さない、圧倒的な再生能力を持っている。その力の源は、魔力。まぁ魔力に限らず、妖力や神力といった、利用可能な不可視のエネルギー源はいくらでもこの世に存在するけれど、あなた達は、体そのものが魔力で構成されている。それが、貴方達の力の正体。時間に囚われ、変化を忘れる蓬莱人と違う、時間と共に生き、変化する不死者。それが、貴方達吸血鬼』

 パチュリーの言葉を、美鈴が続ける。

『けど、だからこそ、蓬莱人とは違い弱点もあれば、死にもする、という事ですね。その中でも――』

 今度は、レミリアが。

『魔術を打ち消す力は、私やフランの天敵よ。何故ならば、それ即ち、私達の体を打ち消す力も同義だからね。最も、私達やグレゴリオを殺しきるには、かなり大規模な術式を展開する必要があるけれど』

『そう。だから、レミィと美鈴がグレゴリオを引き付けている間に、私が術の準備をするわ。そして、美鈴を囮に、レミィはここから退避。そこへ私の術を発動させて、消滅させる。そうすれば、いかに北欧最凶といえど、殺しきれるはずよ』

「オーケイ。やるべき事は決まったわ。それじゃぁ、とっととゲスな吸血鬼をぶっ殺して、フランの笑顔を見に行きましょう」

 三人は頷き合うと、拳を合わせた。

「アンナの分まで、私達の未来を取り返しましょう。アンナも、それを願ってるはず」

「ルーヴ様とサラ様、それに、ディラー様も、ね。貴方たちには、彼らの分まで幸せにならなければならない義務があります」

「もちろん、美鈴も、ね」

 パチュリーは、美鈴に対してウィンクした。言われた美鈴は、恥ずかしそうにはにかみながら、頷いた。その光景を見ながら、レミリアは微笑ましそうに笑うと、目を瞑った。彼女の脳裏には、かつての戦いで命を失った大切な四人の人達と、その戦いで心に大きな傷を負ってしまった自分の妹が映っていた。
 彼女は決意する。今日で全てを終わらせ、過去の汚点を払拭する。今度は、誰も犠牲者を出さず。

「それじゃぁ、行くわよっ!!」

 人里とは遠く離れた、異変の元凶の元、三人にとっての本当戦いが、いよいよ始まろうとしていた。

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