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フラン、仕事を始める
フランドールの武道教習(10)
〜フランドール視点〜

 紅魔館を出た私は急いで寺小屋に向かう。本当はお姉様ともっとゆっくりお話したかった。そりゃぁ、新聞の真相が気になるっていうのも、もちろんある。だけど、それよりも、話したい事、報告したい事がいっぱいあるんだ。
 でも、お姉様が私を愛してくれている、それだけ分かれば、今は取り合えず十分だ。だって、これからはもう、いつだって話し合う事が出来るんだから。

 それよりも今私が気にしているのは、静流ちゃん。あの子がなんで学校を休んだか、なんで強くなりたいと言ってきたのか、あの子の体にあった痣は、何を意味しているのか。
 それは、もしかしたら今、射命丸の奴が探ってくれているのかもしれない。だけど、あいつが解決してくれるという確証がない以上、私だって何かしらのアクションを起こしたい。だから、私は静流ちゃんに会いにいく。会って、話したい。言いにくい事なのかもしれない。それを無理矢理聞くのも気が引ける。だけど、それで私が一歩踏み出せない間に、静流ちゃんの身に何かあったら、私は一生後悔するかもしれないから。

 私が寺小屋に着く頃には、時間は丁度お昼前位になっているだろう。静流ちゃんと話し合うには、丁度良い時間だ。





 予想通り、私は丁度寺小屋の子供達がお昼を食べている時に到着した。だけど、私が行った先には、彼女の姿はどこにもなかった。不審に思った私が慧音を訪ねると、私の嫌な予感は的中していた。

「静流は、今日もお休みだ。熱がぶり返してしまったみたいでな」

「そんな」

 昨日、あれだけ元気だったのに? 確かに、まだ子供だ。そういう可能性だってない訳じゃない。だけど、昨日の静流ちゃんを思い返すと、私には、あの子の身に何かあったんじゃないかと気が気でならなかった。
 もしかしたら、今も彼女は、あの痣の原因となる“何か”に巻き込まれているのではないだろうか。

 慧音の話を聞くと、彼女も静流ちゃんの事を心配しているようだった。本来は元気いっぱいで活発な静流ちゃんだけど、ここ最近から妙に欠席が目立ち、寺小屋に来ても元気がない事が多いみたいなのだ。
 何度か静流ちゃんに話を聞こうとしてみたが何も答えてはくれず、何度か家庭訪問もしたみたいだが、母親も特に変わった様子が見受けられなくて、慧音も困っていたみたいだ。そして、私がお父さんの様子を聞くと、彼女は予想外な言葉を口にした。

「静流のお父さんはな、一年前に、お亡くなりになっているんだ」

「――え?」

 そんな馬鹿な。そんなはずはない。だって、私があの家族を助けた時、春恵さんは静流ちゃんを見て、確かに言った。


――さぁ、それじゃぁ、お父さんも待ってるし、帰りましょう。


 あれは、嘘だったとでも? それとも、仏壇のお父さんが待っているという事か? それとも、亡霊? その可能性は、十分にある。ここ、幻想郷では、考えられない話ではない。


 私は腕を組んで考え込む。もし、悪霊が神谷崎家に取り憑いているとしたら、厄介だ。だが、よっぽど高位の霊でなければ、私なら消滅させる事も容易いだろう。もちろん、それではあの一家も可哀想だし、霊夢とか巫女の力を頼るなりして成仏の道を探した方がいいかもしれないが。
 もちろん、他の可能性だってたくさんあるだろう。じゃぁ、春恵さんが静流ちゃんを傷付けたという可能性は? それは、ないと思う。あの親子は仲良しだったし。

「どうしたんだ、フランドール。お前、何か知っているのか?」

「い、いや」

 私だって、何も知らない。何の確証もまだ得られていない。私から確実に言える事は、あの子が何かを抱えていて、それで強くなりたいと思っているのは間違いないという事、それ位だ。

 取り合えず静流ちゃんに、いや、あの一家に会って話を聞かない事には始まらない。だけど、長年静流ちゃんを見てきただろう慧音でさえ何も知らないというのに、私なんかが聞き出す事はできるのか?

「フランドール、最近静流とよく会ってるみたいじゃないか。本当は、何か静流の事を知っているんじゃないか?」

「え? いや、それは」

 慧音は私に疑いの目を向ける。

ど、どうしよう。下手な事は言えないし。静流ちゃんが学校をサボってた事を知ってて慧音に黙ってたなんて言ったら。そん時は私が慧音にハリケーンミキサーくらっちゃう! それに、静流ちゃんと約束もしたし――

 私は慧音の問いにどう答えようか考える。どうにかして誤魔化さなければと必死に思考を練っていると、寺小屋の入口から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「お昼休みに失礼しまーす。フランドールさんいませんかー!?」

この声、カラス天狗!?
急いでいる雰囲気だし、わざわざ私を探しにきたって事は期待してもいいんだろうな?
丁度いい!
利用させてもらうよ!

「はーい、いるよー!」

 私は大声で返事を返す。数秒の間を置き、私と慧音が対話している部屋が開いて、射命丸が入ってきた。

「あぁいたいた。やっぱりここでしたか。探しましたよ」

「文じゃーん! どうしたのー?」

 私を見るなり期待通りの言葉を掛けてくれた彼女に、私は務めて明るい笑顔を作り、彼女の元へと駆け寄った。

「あ、あや? どうしたんですか? これはまた、不自然な程に友好的というか」

だー、うっさい!
余計な事は言わんでいいんだよ!

「あぁそっか! そういえばもう文との約束の時間過ぎてるっけ? ごめんごめん。すっかり忘れてて!」

「え? 約束?」

 首を傾げる彼女に、私は慧音に見られない角度でギロリと睨んだ。いいから合わせろ! そう目で訴える。

「あ、あー、そうですよ! もう何やってるんですかー? 30分も遅刻してますよフランさーん!」

 彼女は私の意図をすぐに理解してくれたみたいだ。私に習い、極めて友好的な態度で話を合わせてくれる。咄嗟の機転が効く奴みたいで助かった。

「ごめんごめん、行こ!」

 私は窓の扉を開け、外に飛び出す。

「おい、フランドール!?」

 ごめん慧音! 後でハリケーンミキサーでもなんでもすればいい! でも、今は時間が惜しいんだ! 取り合えず、この勢いで急行突破!

「慧音ごめん! 私達ちょっとこれから用事があって。文、待たせてごめんね! 急ごっ!」

「えぇ! それじゃぁ慧音さん、ごきげんよう!」

「お、おい、待てよ二人とも!」

 私は慧音の言葉が耳に入っていないふりをして聞き流し、その場から逃げ去るように、文と二人で大空へ向かって羽ばたいた。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 突如現れた射命丸のおかげで、何とか慧音の元から逃げてきた私。もう、ここまで来れば大丈夫だろうという所まで飛行を続け、遥か下方に広がる人里を尻目に、私は射命丸と向き合った。

「はぁ、本当助かったよ。ありがとう」
 
 結果、彼女も巻き込む形にはなってしまった。私の彼女に対する個人的な感情は置いておいて、ここは感謝をしておくのが礼儀だろう。
 それに、お姉様に会い、射命丸が言っていた事は本当だと聞かされて、私の彼女に対するマイナスな印象も少しずつ改善されつつもあるし。それを口に出して彼女に言ったりはしないけど。

「いやー、お役に立てたのであれば何よりです。それより、もう一度私の名前を呼んでもらえませんか?」

「え? 射命丸」

「違う違う、そっちじゃなくて」

「は?」

「いやぁ、文って親しみを込めて呼んで頂けたら嬉しいんですが」

「調子にのんなカラス」

「ひ、ひどいですね。さっきはあんなに友好的に話し掛けてくれたのに」

 射命丸はしょげた目線をこちらに送る。全く、昨日まで私があんたにどんな感情抱いてたのか忘れた訳じゃないだろうな? 確かに、私一人がいつまでも頑なに拒絶した態度を取り続けるのも馬鹿みたい。だけど。そう簡単に変えるなんて不可能だっつの。本当に馴れ馴れしい妖怪だな。

「そんな事より、わざわざ私を探していたって事は、なんか分かったの?」

「はい」

 射命丸は私の問いを受け、さっきまであった軽い態度を変えた。シリアスな表情で手帳を開いてパラパラとめくる。その変化に私も自然と緊張し、肩が強張った。

「先ずは、私が集めた情報を話していきますが、静流ちゃんの家庭、神谷崎家ですね。それは、一年前から母子家庭みたいです。静流ちゃんの家族は春恵さん一人という事ですね」

「じゃぁ、お父さんは?」

「病気で、お亡くなりになっています」

 やっぱり、慧音が言っていた事は本当だったのか。だとしたら、春恵さんの言うお父さんっていうのは、一体誰だって言うんだ?

「ちょっと待って。私、春恵さんが静流ちゃんに、お父さんが待ってるから帰りましょうって言ってたのを聞いたんだ。じゃぁ、静流ちゃんの痣って、もしかしてその亡くなったお父さんが悪霊になって暴れてるとか?」

 それは私が最初にした推測だった。根拠もないので自信はなかったが、やはりどうやら違うらしい。射命丸は首を振って否定した。

「残念ですが、違います。その方が、まだ事は簡単だったかもしれませんね。退治して、それで終わりに出来ました。でも、今回はそうじゃない。もっと醜いものですよ」

「どういうこと?」

「神谷崎家と親しかった人達にお話を伺ってきたのですが、春恵さんは早くに夫に先立たれ、とても傷心していたみたいです。しかし、半年が経過した頃、その様子が変わる。調べてみると、丁度その時期に、彼女はある男性と交際を始めたみたいです」

「こうさいって?」

「お、お子ちゃまですね。つまり、男性と付き合い始めたって事ですよ。結婚も視野にいれて」

「お、お子ちゃま言うな! つまり恋人って事ね? いいことじゃない。それで?」

「所がです。こいつがまた、とんでもなく駄目男でして」

「っていうと?」

「その男、大山潤一郎といって飲食店を経営してるんですが、衛生上最悪な食品を客に出してたみたいですね。営業方針に嫌気が差して辞めた従業員に聞いたところ、とにかく気は短く、気に入らない事があるとすぐに手を出す奴だったみたいです。相手が客だろうが、女性だろうが、子供だろうが、お構いなしで」

「は!? な、なんで、春恵さんはそんな最低な奴と!?」

「話を聞く限りの推測ですが、傷付いた女性は落ちやすいってやつですよ。そういう女性を狙う奴みたいですしね。最初は本性を隠して近寄ったんだと思います。実際、この男と以前付き合っていた女性とコンタクトを取れたのですが、まぁ、実際にそんな感じだったみたいでしたしね」

「――それ、慧音は知ってるの?」

「恐らく知らないでしょうね。神谷崎家と交友関係にある人達には周到に隠してるようですし、周りは神谷崎家と大山は仲が良いと勘違いしてますよ。少し厳しい人位にしか思っていないでしょう。なので、私でさえ情報を聞き出すのに苦労しました」

「よく、そこまで調べられたね」

「得意なんですよ、情報収集が。これでも新聞記者ですから」

 射命丸は、別に自慢な態度を取る訳でもなく、平然とそう言ってみせる。恐らく、私が一人で頑張ったとしてもこの真実まで到底辿り着かなかっただろう。それを考えると、射命丸が静流ちゃんの為に動いてくれて、本当に良かったと思う。

「ここまでは信憑性のある確かな情報。そして、ここからは私の憶測も含まれた話となりますが、聞きますか?」

 彼女の表情から推測するに、憶測だろうが、きっとそれは射命丸なりに情報を整理した、自信のある答えなのだろう。実際、さっきの憶測話も、きちんと情報を集めた上での推論で、筋はしっかりと通ってる。なのに、射命丸はわざとらしく言葉に含みを入れる。つまり、聞くのなら覚悟しろという事だろうか。上等だ。

「当たり前だよ。お願い、話して」

 どんな答えであれ、聞かない訳にはいかない。真実を知らなければ、静流ちゃんは守れないからだ。

「分かりました。では、話しますね。静流ちゃんの体に刻まれていた痣を作ったのは、果たして誰か。フランドールさんが最も知りたいのは、恐らくこれでしょう」

 私は頷く。

「神谷崎家と大山家のご近所に話を伺い、口論や争いの声を聞いた人はいないかと質問をしてみたのですが、はいと答えた人は、残念ながら一人もいませんでした」

 恐らくは、これが先程、慧音も知らないだろうと推測した理由なのだろう。しかし、わざわざ“残念ながら”と前置きをして説明したという事は、何か、続きがあるという事だろう。その私の推測は当たる。

「しかし、大山が営業している飲食店の倉庫。そこに、大山が度々春恵さんと静流ちゃんを連れ込んでいる姿は、二ヶ月前から何度か目撃されています。以前働いていた従業員に伺うと、そこは防音、交際していた女性も、そこで暴行を受けた事があると」

 私は、彼女の言葉を聞き、自然と拳に力が入っていた。

「静流ちゃんがちょくちょく寺小屋を休むようになったのは、七月から、つまり同じ二ヶ月前からみたいです。その翌日から、今でこそ時期的に違和感のない格好ですが、静流ちゃんと春恵さんの二人が、不自然な厚着を着て学校や職場に通い始めたと聞きました。まだ蒸し暑い時期だというのに」

なんだよ、それ。ふざ、けんな。ふざけんな!

 射命丸が調べた現実の一つ一つが、最悪の結果を紡いで行き、私はやり場のない怒りに、ぎりぎりと歯ぎしりをする。

「更に補足を加えると、最後に大山が二人を連れ込んだのは、六日前、これは最近静流ちゃんが休んでいた日とも――」

「もういい!! もう、いい・・・」

 もう、私はそれ以上聞きたくはなかった。聞くのが辛かった。悲しくて、悔しくて、苛立たしくて。もう、たくさんだ。回りくどい言い方はたくさんだ。もう、結果だけでいい。

「じゃぁ、静流ちゃんの体に残されていたあの痣は」

「証拠がないのが残念ですが、可能性は高いと思います。あれは明らかに傷害によるものでしたし、四肢の至る所にあったのも不自然です。あの子の様子では、腹部や背部にもあるでしょうね。少なくとも、静流ちゃんが言ったような、自主的な練習の中ではとてもあぁはなりません」

 射命丸の語るそれは、決して憶測なんかではなかった。確固たる証拠はないとしても、あらゆる事実が最悪な答えを導き出していた。

「じゃぁ、じゃぁ! やっぱり、あの! あの、痣は――」

その、その男にやられて出来た痕だっていうの!?
あんなに可愛い子供なのに?
あんなに優しい子供なのに?
なんで! なんであの子が、そんな理不尽な暴力に晒されなければならないんだ!
あんなに優しいのに!

 妖怪の私なんかを信じてくれて、慕ってくれた、静流ちゃん。初めて会った時に、無邪気にお母さんにしがみ付いた笑顔が思い出される。


――待てよ。初めて会った時、静流ちゃんは眩しい笑顔で春恵さんに抱き付いた。その時、あの子はなんて言ってた?


――お母さん、大好き!


まてよ、じゃぁ、まさか、静流ちゃんが守りたい人って、もしかして――

自分の、お母さん?

あんな、あんな小さいのに?
あんなに痣が出来る程ボロボロにされて、それでも自分の母親を心配するの? その為に私に、私に、強くなりたいってお願いをしてきたの?

「うわぁああーーっっ!!」

 私は叫んだ。腹の底から喉が枯れる程の声を出して。あの子の、痛々しい程に優し過ぎる気持ちを知って、そうせざるにはいられなかった。


――私も、フランお姉ちゃんみたいに強くなりたいの! 誰かを守ってあげられる位、強くなりたいの!


あの子は、一体――


――どんな厳しい事でも耐えます! お姉ちゃん、私のお願い、聞いて下さい!


あの子は、あんなに小さい体で一体、あの笑顔の下で一体、どれだけの決意を持っていたんだ!? あんなに体に痣を作って、痛かっただろうに、自分だって苦しいはずなのに!

ちくしょう! ちくしょう! 私は、私は! 気付いてあげられなかった! あんなに近くにいたのに、あんなに一緒に話したのに、気付いてあげる事が出来なかった!! なんで、なんでもっと話を聞いてあげなかった! なんで? なんでだぁー!!

「わぁああーーっ!!」

 後悔してもしきれない。彼女の決意に気付いてあげられなかった自分が情けなくて、腹立たしくって、私は慟哭の叫びをあげ続ける。
 そんな私の両肩を、射命丸はがしりと強く握り締めた。

「――え?」

 彼女は、真っ直ぐに私の瞳を除き込む。

「フランドールさん、落ち着いて下さい。あなたが取り乱してしまってどうするんですか」

「・・・」

「私は、ほんの短い時間ですが、あの子とあなたが一緒にいる時間を見させて頂きました。あなたと一緒にいる時の、あの子の嬉しそうな顔、今でも忘れられません」

「射命丸」

「だから、あなたが助けるんです。あの子に信頼されていたあなたがあの子を救ってあげないで、一体誰があの子を救うんですか!?」

「――うん」

 彼女の力強い言葉に、私はようやく冷静になる。そうだ。こいつの言う通り、私がしっかりしないでどうする。こんな所で声を出してなんになる。そんな事をしている場合か? 今、こうしている間にも、静流ちゃんは何をされているかは分からない。私が、私があの子を助けるんだ! 私を信頼して、頼ってくれたあの子を!

「これは、神谷崎家と、大山家、それに、例の倉庫の地図です」

「あ、ありがとう」

 私は、彼女から手渡された地図を眺める。すると、私は倉庫が建てられている場所を見て、ある事に気が付いた。

――え? ここ、って、確か。
そうか、あの時の、あいつか!

 私は、静流ちゃんを傷付けた相手が誰だか理解し、耐え難い憎しみに襲われる。私相手だったら、まだいい。だけど、あの時のあいつが、今度は静流ちゃんを傷付けている。それは、私は許せない。

私の大切な宝物に手を出した事、後悔する位殴り飛ばしてやる!

 とめどない怒りが湧き上がり、地図を握る手に力が入り、自然に震える。

「フランドールさん!」

「え?」

 私は彼女の声にはっとなる。頭が真っ白になる程に、負の感情に支配されていた私。そんな私を、再び射命丸は連れ戻してくれた。

「フランドールさん、私が、ただの人間を厄介と言った理由、分かりますよね? 人間なのにじゃない、人間だから、厄介なんです。まして、相手は罪人ではない。証拠がないんです。だから、決して、早まった真似だけはしないで下さい。あなたにもしもの事があれば、それで貴方の噂が酷くなったりしたら、あの子も悲しむ! それだけは忘れないで下さい」

「――うん」

 あぁ、確かに、彼女の言う通りだ。私が一人だったら、それでもいい。だけど、私は一人じゃない。
 私の噂なんて、どうでもいい。そんなもの一つであの子を助けられるなら、安いものだ。だけど、それが、静流ちゃんにも悪影響を及ぼしてしまったら? それに、私はあの子に言った。簡単に、暴力に訴えるなと。
 私は、また自分の感情に振り回され、誤ちを犯す所だった。本当に、助かった。彼女がいてくれて、彼女と知り合って、私は、本当に助かった。

「ありがとう、文」

「え?」

 文は、私が初めて彼女を名前で最初の呼んだ事に目を丸くして驚いていた。だけど、やがて、ふっと柔らかい顔になる。

「どう致しまして。フランさん」

 先程言った、彼女の言葉。文って親しみを込めて呼んで欲しい。私は、彼女のそのお願いを聞いてあげた。ううん、上から目線だな。私も、彼女と親しくなりたいと思った。
 今なら、分かる。自分の新聞とは無関係な事なのに、私と静流ちゃんの為に、ここまでたくさんの事を調べてくれた彼女を知れば。
 それに、私を取材したいと言ってきた彼女。彼女だって、最初は私と会いたくなかったに違いない。これ以上関わりあいたくなかったに違いない。それでも、彼女はここまで、愚直なまでに私と真っ直ぐに向かい合ってくれた。
 それをみれば、私でも分かる。この人は、文は、本当に、真っ直ぐな奴なんだって事が。

「文!」

「え? おっと!」

 文は、私が投げ渡したサツマイモをキャッチする。
 
「な、なんですか? これ」

「お礼! 食べて、甘くて美味しいから! じゃあ、私、行ってくるね!」

「あっ、ちょっと!」

 私の行動が理解出来なかったのか、後ろから文が止めるように声を出す。だけど、私は止まらなかった。時間はないかもしれない。今、こうしている間にも、もしかしたら、静流ちゃんは。文が、文がせっかくここまで調べてきてくれたんだ。それを私は、無駄にはしたくない!

ありがとうございます。フランさん。


 風に乗って、文の声が聞こえた気がした。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





〜第三者視点〜

 人里に建てられた、薄暗い倉庫。その中は、いるだけで頭が痛くなるような埃とカビのきな臭さで充満している。

 そして、光さえ満足に差していない中、部屋の隅には人影が三つ。丸々としてかっぷくのある男性が一人、そして、細身の女性と、小柄な子供。大山と、春恵、静流だ。射命丸の推論は、最悪な事に全て的中していたのだ。

 静流は、春恵に抱き締められる形で、隅に座り込み、ガタガタと震えていた。快活で人懐こかった笑顔も、今では見る影もない程に恐怖が刻まれている。

 そして大山は、まるで獲物を追い詰める獣のように表情を強張らせ、その親子を見下ろしていた。

「静流、お前、最近あの吸血鬼と度々顔を合わせているみたいじゃないか。どういう事だ?」

 静流は言葉を発せない程に恐怖で固まっていた。それだけ、この大山という人間は、この一ヶ月の間に彼女の心に傷を付けていたのだ。しかし、この大山という人間は何も答えない静流を見て苛立ちを募らせる。

「どういう事だって聞いてるんだ!」

「ご、ごめんなさい。大山さん! 静流には、私から言って聞かせますから!」

「お前には言ってないんだよ!」

「きゃっ!」

 大山は、思い切り春恵の頬を引っ叩いた。大きな乾いた音と共に、悲鳴が部屋の中に響く。しかし、その声は誰かに聞こえる事もない。

「お母さん! あぅっ!」

 春恵を心配して顔を出した静流を、大山は無理矢理引っ掴み、引き寄せた。

「静流、俺も、本当は暴力は振りたくないんだよ。だけどな? あの害虫とお前達が仲がいいなんて思われたら、俺の店にも影響が出るんだ。もちろん、お前達にも悪影響がでる。分かるな?」

 この大山という男が厄介なのは、自分のやっている事を心の中で正当化してしまう性格にある。今、この家族を監禁し、暴力を振るっている事さえ、この男の中では、自分とこの二人を守る、正しい事なのだ。
 静流は、いつも屈していた。最初こそ怒鳴られる程度ですんでいた暴力が、この倉庫に連れ込まれてから外傷を伴うものに変化した。それも、どんどんとエスカレートしていき、今、彼女の体にある痣は数えきれない。腹部を蹴られ、嘔吐した事さえある。その恐怖は心に刻まれ、抵抗なんて出来はしない。ただ、この男の機嫌を損ねないよう、なるべく早く解放してもらえるよう、泣き、頭を下げるしかなかった。だけど――

「・・・うな」

「ん? 聞こえないな」

「お姉ちゃんの悪口を、言うな!」

「あ?」

「お姉ちゃんは、私とお母さんを助けてくれたんだ! 私たちになぐるけるしかしないお前が、お姉ちゃんを悪く言うな!」

 今、この時、彼女はそうしなかった。自分の何倍もあろうかという巨大な悪漢に、彼女は勇気を振り絞り立ち向かった。怖かっただろう。事実、彼女の足は、以前に痛みつけられた恐怖を忘れてはおらず、ガクガクと震えている。
 それは、あまりに無謀な行為、静流も自分で分かってはいた。だけど、それでも彼女は許せなかった。自分が尊敬している吸血鬼、フランドール・スカーレットを侮辱される事が、彼女には許せなかった。
 しかし、当たり前だが、静流の言葉は大山の怒りに油を注いでしまう事になる。

「この、ガキ!」

「きゃぁ!」

 頭に血が登った大山は静流を殴りつけた。静流の小さな体は吹き飛ばされ、地面に倒れる。

「ちっ、いけねぇ。顔を殴っちまった。あの半獣に疑われたら厄介だからな」

 やるなら腹か背中に、大山は心の中でそう繰り返し、のしのしと静流の方へ歩いた。その背中に、春恵はしがみ付き、懇願する。

「お願いします、大山さん! これ以上、静流を殴らないで下さい!」

「うるさい! だいたい、お前も、あんな半獣が開いている学校になんか静流を通わせて、何を考えてるんだ! お前がそんなんだから、このガキもこんなどうしようもない奴になったんだろうが!」

 大山は、春恵の髪を引っ張りあげる。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 晴恵は何度も謝罪の言葉を叫ぶ。しかし、痛みを訴える彼女の悲痛な叫び声さえ、この男にはなんの効果もなかった。

「全く、お前も静流も、本当に俺がいてやらなければ駄目な奴らだな! 静流は俺が教育してやる! 人外が経営している寺小屋なんて今すぐに辞めさせるんだ! 分かったか!?」

「お願い! あそこは静流の友達もたくさんいるの! それだけはなんとか、きゃぁ!」

「うるさい! お前は、黙って俺の言う事を聞いていればいいんだ!」

 大山は晴恵の髪を振り回し、彼女を地面に叩き付けた。

お母さん!

 その姿を見て、静流は決意する。その、小さな体で。

私が、お母さんを助けないと。その為に、私はお姉ちゃんに鍛えてもらってたんだから!

 静流の頭の中に、フランの言葉が蘇る。


――いいかい? 静流ちゃん。私達妖怪はともかくとして、人間の中では体格の違いは絶対だ。いくら静流ちゃんが武術を習って今より強くなったとしても、そう簡単に大人を倒したりなんか出来はしない。相手を下手に逆上させたら、それこそ状況は悪化するかもしれない。だから、何かあったら、逃げる事を考える。それが、一番の護身だ。

――だけど、それでももし、万が一、自分の身を守る為に誰かと戦わなきゃいけない事になったなら、その時は・・・


「てやぁー!!」

 静流は駆け出した。本当は、寝たままうずくまってしまいたい気持ちを堪え、自分の中にあるなけなしの勇気を振り絞るように叫び声をあげる。

 そして、大山の背後から、男だけにある急所、つまり、金的を狙い、蹴り上げた。

「ぐぁ!?」

 いくら女性の攻撃であっても、男であればここだけは我慢はできない。しかし、それでも静流はまだあどけない女の子。大山が怒りで逆上し、アドレナリンが分泌されれば、事態は余計深刻になる。しかし――


――だから、金的だけで終わるのも危険だ。相手から逃げる際に、最も有効なのは、相手の視界を封じること。つまり、狙うは――


 静流は、フランドールの教えに従い、大山が怯んでいる隙を付いて膝の裏を蹴り飛ばす。足の支えがなくなった大山は後ろに倒れる。露わになった大山の顔面。そこへ、静流は目つぶしを放つ。五指の指で、擦り付けるようにして、大山の両の瞼を攻撃する。

「ぎゃぁー!!」

 大山は目を抑えて転げ回る。その隙を付いて、静流は晴恵の腕を引っ張り、起こし上げた。

「お母さん! 逃げよう!」

 晴恵は、まさか静流がこんな行動に出るとは思ってもおらず、驚いていた。しかし、すぐに頷き、静流と一緒に駆け出した。


 この部屋さえ出てしまえば、大山も簡単には手を出せない。二人の頭に、希望が過る。彼女達は倉庫の扉まで来て、取っ手に手を掛けた。
 しかし、空かない。鍵が掛かっていたのだ。自分を正当化しておいてなお、自分の行為を周到に隠す卑劣な大山が、なんの保険もなしにしておく訳はなかった。逃げ出されてもいいように、南京錠を掛けておいたのだ。

「こ、の、ガキ!」

 後ろでは、大山がのそりと起き上がる。目つぶしにより、目はまだ赤く、涙で潤んでいたが、その瞳には明らかに凶悪な怒りが宿っていた。
 万事急須だ。大山も、もうさっきのような遅れは取らないだろう。静流も、それは重々理解していた。第一、また怯ませる事が出来たとして、どちらにしてもここから逃げ出せないのだ。もはや、どうしようもなかった。

「お姉ちゃん」

 静流は後悔した。最初に、フランドールは静流に言った。何かあったら、自分を頼れと。だけど、静流は出来なかった。
 何故なら、フランドールの人間と仲良くなりたい思いを知っていたから。もし、フランドールが自分の為に大山と揉め事を起こしたらどうなるか。それを考えたからこそ、彼女はフランドールを頼れなかったのだ。

「フランお姉ちゃん!」

 だけど、それでも、今は彼女に助けて欲しかった。あの夜のように、自分と母を、この場から救い出して欲しかった。

「この後に及んで、まだあの吸血鬼か、静流。俺にこんな事をしておいて、あの吸血鬼か」

 大山が二人に近付いてくる。その目は鬼の形相だ。
 殺される。私は、きっと殺される。静流は恐怖のあまり、涙を浮かべ、その場にへたり込んでしまう。

「静流!」

「どけ!」

 それをかばうように晴恵は静流を抱え込むが、また、男の強力な力に無理矢理ひっぺがされて、地面へ無造作に投げられる。

「父親を亡くしたお前らをサポートしてやったのに、その恩を仇で返しやがって、ただで済むと思うな! このくそガキが!」

 大山は、拳を思い切り振り上げた。


――私、絶対に静流ちゃんを守るから。


「助けて!! フランお姉ちゃーん!!」

 自分に優しく微笑みそう言ってくれたフランドールの顔が思い出され、静流は叫んだ。心の底から、必死に縋り付くかのように。
 しかし、大山にとっては、それは自分を逆上させるものでしかない。彼の理性は静流の叫びより更に失わされ、振り上げたそれを無慈悲に振り下ろした。

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あきゅろす。
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