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音のない世界で(本編)
…[9]

▼勇翔side




 帰路に着き、アパートの、自室の前に立つ。帰りは全速だったにも関わらず、中に入ろうとすると鈍足になってしまった。

 何事もなければ中には他人がいる。
 それも自殺を図ろうとした奴が。
 今更ながら、何で連れ帰ったりしてしまったんだろうとか、どんな奴だったかもよく分からずに部屋に上げて寝かせてしまった、とか

 後悔と不安を抱えて、玄関扉を開いた。





 重い足取りで部屋に上がり、野良人間を寝かせてきたリビングに向かった。ソファーの前に布団を敷いて寝かせてきたはずが、ノラはソファーの上で布団にしがみ付いて丸くなり、俺の方を見ていた。


「…………」
「…………」


 言葉にはならなかった。ノラも驚いているのか硬直しているようだ。っつか……。


 こいつ、こんな顔してたのか。
 じっくり見る余裕もなく部屋を出たから改めて驚いた。

 困惑しながら立ち尽くす。


「あ……具合は?」


 ノラが話し始める気配もないので思いつきの言葉を投げかけてみた。


「…………」


 ……ノラは話す気がないらしい。
 勝手に名付けているけど、こいつの名前も知らないんだ。

 言っとくけど人見知りするのはお前だけじゃないんだからな。

 話す気がない相手にこれ以上かける言葉もないと思い、俺は勝手に過ごすことにした。


 そうして適当にくつろいでいたところで、ノラが何かを話したそうに俺の顔をチラチラと見てきたので、見つめ返したらビクつかれた。


「なんだよ……?」
「ぁ……」
「……ん?」


 初めて声を聴いたような。


「具合はどうかって、聴いてんだけど」
「……ぁ、ぅ……」


 ……ど、どうしたんだ……。
 こいつ、何か、変じゃね……って、薄々と相手の異変に気付き始めた俺は、目の前のノラに釘付けになり、興味津々ってな感じになっていた。


「話せる?」


 そう聞いたら、ノラは首を横に振って、漸くまともな反応を寄越した。


「話せないのか……」
「…………」
「なんで……」


 ああ……、泣かせそう。
 かなりの人見知りなんだな。俺も大概コミュ障だけど、ノラは俺より酷いんだ。


「はみ……」
「?」
「はみ、へんひう」
「…………」


 ノラの言葉を聴き取ることができずに黙り込む。もしかしたらノラは歯が全部ないんじゃないかと思い始めていた。


「ごめんな、もう無理すんな」


 歯がないんじゃ喋れねーよな。
 ノラはきょろきょろと部屋を見渡して、何かを探しているようだった。もしかして、

 思い当たるものがあったので、俺はノラを助けたときに拾ったノラの荷物を渡すことにした。


「これ、お前のだろ」
「あいあとう……」
「おう」


 歯がないだけで、どうにか会話になって良かった。にしても、こんな可愛い顔してんのに歯がないって……何があったんだろう。

 ノラは荷物を手探りして、ノートと鉛筆を取り出した。ノートは水分を吸ってふやけてしまっている。困り顔になったノラを見て、また可愛いなどとぼんやり思いながら、書くものが欲しいのだと察した俺は、メモ用紙を渡してやった。


「何か書くんだろ?」


 ノラは俺を見つめてから、メモ用紙に鉛筆を走らせた。


 “ぼくは みみが きこえません”


「(ぼくはみみがきこえません?)」


 そこに書かれたものを見て、俺はまた衝撃を受けたのだった。






2018,8,25
2019,2,22…改訂


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