秋雨前線は今日も活発で、元気に大雨を降らせてくれている。
この時期本州は雨続きで、たとえ朝は晴れていても傘を持ち歩くのは常識。
だけど、それは日本人にしか通じないらしい。
午後に入ってから応接室の窓ガラスを静かに叩き始めた雨粒に、金髪のイタリア人はなんとも情けない声で、傘がない、と言い出した。
「馬鹿だね。」
「朝は晴れてただろ……」
「この時期は、傘を持ち歩くのが常識だよ。」
迎えを呼べば、と切り捨てようとしたけれど、あの馬鹿は
「部下たち……温泉旅行に行かせちまって……」
とか、抜かした。
「どうやって帰る気だったのさ……」
「いや、車はあるから……」
「で、ご自慢のフェラーリはどこに停めたんだい?」
徒歩五分の位置にある駐車場だと言うから、僕は自分の傘を差し出して、一言。
「取ってこい。」
とは言っても、まさか車を昇降口に着けさせる訳にもいかない。
校門前に赤い車が停まり、中からディーノが傘を広げて降りてきた。
あそこまでは、傘ひとつで行かなければならない。
まああれくらいの距離だ、大した雨でもなし、跳ね馬には濡れ馬になってもらうとしよう。
と、算段していたはずなのに。
いざ昇降口まで降りてきて、差し出された傘を取り上げ、情けない顔をする跳ね馬を振り向き、そこまでくらい我慢しなよ、と言いかけた、その瞬間。
ぴしゃーんどかーんと轟音が轟き、ざあああっと馬鹿みたいな大水が空から落ちてきた。
まるでバケツをひっくり返したよう、という比喩がこれほど似合う雨も珍しい。
さすがにこの雨を我慢させるのも可哀想か、と僕の仏心がちらりと顔を出した丁度その瞬間、濡れそぼった子犬のような目をした跳ね馬と視線が合って、気が付いたら傘の中へと招いていた。
一歩、二歩歩くたびに、外側の肩が濡れる。
「持つよ。」
三歩目で、跳ね馬に傘を取られた。
確かにディーノの方が背が高いから、そちらの方が濡れないのだけど。
なんか癪だ。
四歩、五歩、無意識に歩調が早くなる。と、傘の下から外れてしまって、途端に肩がひどく濡れた。
「……濡れる、だろ。」
ディーノの手が、妙にゆっくりと肩に触れる。
反射的に触らないでよと振り払うと、それはすぐに引っ込められたけれど。
濡れるのは確かなので僕は一歩だけ、跳ね馬を待つ。
ああ、あの赤い車まではまだあんなに遠い。
きっとこの重たい雨の所為。
鬱陶しさに少し苛立ちながら、跳ね馬と歩調を合わせてゆっくりと校門を目指す。
いつもうるさいくらいの跳ね馬は何故か無言で、一つの傘の下、奇妙な距離感が僕たちを包む。
こんなにディーノの傍に寄るのは、戦いの最中くらいで、その時は決まってすぐに間合いを取られてしまうから――彼の武器は中距離を得意とするものだ――こんなに長い時間、間近にディーノの気配を感じるなんて――初めて、だ。
香水の匂いだろうか。雨のにおいとは違う、かすかな、甘い。
別に、だからどうということはないんだけれど、ただ、さっきから触れるか、触れないかの位置を揺れているディーノの手が。
何故だかわからないけれど、僕にじれったく、もどかしい思いを抱かせる。
赤い車までたどり着けば、ディーノはきっといつもの跳ね馬の顔で、気障ったらしく車のドアを開けるんだろう。
だから、この息苦しさは、それまで。
あと、十数歩。