仕舞った、と見開かれた黒曜石が、目に焼き付いた。
もしかしたら、敵対ファミリーの仕業だったのかも知れない。ただの馬鹿な車がスピンしただけだったのかも知れない。
いずれにせよ、今はそれを確かめる術も余裕もない。
死角からいきなり突っ込んできた黒いセダンに、俺は気づく事が出来なかった。
アッと思う間もなくステアリングは用を為さなくなり、二人の乗ったフェラーリは、情けなくくるくると地面を舞った。そしてがつんと鈍い音がして、リアから宙に浮くのを感じる。
やたらスローモーな動きで世界が回転。ぐるぐる。
ああ、死ぬかも。と思った瞬間がつんと運転席側のドアが地面に叩きつけられた。しかし回転は止まらず、壊れたドアがぷらんと情けなく開く。鍵をかっておきゃ良かった。なんかの拍子にシートベルトまで外れてしまい、俺はGに逆らいきれず車から放り出された。
咄嗟に助手席を見ると、恭弥が少しだけ驚いた顔でこちらを見ていた。ああ、恭弥はちゃんと鍵、掛けてたもんな。偉いな。
俺の車は曲がりなりにもレーシングカー仕様で特別製だから、フレームだけは丈夫だぜ。ちゃんとお前を守ってくれるから、お前だけは生き残ってくれよ。
そう思うと、不思議と笑顔が浮かんだ。
けれど次の瞬間背中から地面に叩きつけられて息が止まる。
どこからとも無く部下達が駆け寄ってきて、大丈夫か、と抱き起こされた。
ほんの少しの間咳き込んだが、俺は直ぐに立ち上がった。だって、まだ、車の中に恭弥が。
辺りにものすごい衝突音が響き、ようやく赤い車体は回転を止めた。天井が地面に張り付いてとまったのは、不幸中の幸いと言えるだろうか。少なくとも助手席側のドアが下敷きにならなくて、よかった。
バケットシートに縫い止められている恭弥は、悠長にやれやれ、という顔をしてシートベルトに手を掛けた。
大きな怪我は無いようだ。……いや、もしかしたら怪我をしているのに強がっているのかもしれないけれど。けれど、少なくとも動けないという訳ではなさそうだから、ここはひとまず安堵しておく。
この様子なら一人で出てこられるだろうとホッとして、迎えに行こうと一歩踏み出した、瞬間。
空気を引き裂くような破裂音と爆風が辺りを包み込んだ。
ガソリンにでも引火したか、俺の車に突っ込んできた黒い車が、隣でひっくり返って燃えていた。
まず、それが俺の車で無かったことに胸を撫で下ろし、しかし見る見る火の手が辺りに広がっていく事に戦慄する。
パッと見た限り、こちらの車のガソリンタンクは壊れていないようだったけれど、いつ黒い車と同じ運命を辿るか分からない。
気持ちだけが焦るけれど、炎に阻まれて車に近づく事もできない。とにかく、早く出てきてくれ、恭弥。
祈るように、黒煙越しの助手席のドアを見る。恭弥は、こんな事態だというのに相変わらずのポーカーフェイスのまま、手際よくシートベルトを外し、鍵を開けてドアを開けようとしている。
が、上手く開かないらしい。衝突の衝撃でフレームが歪んだか。
焦れるような思いで足もとがソワソワし出す俺とは対照的に、当の本人は溜息一つ、トンファーを袖から取り出して振りかぶった。ガラスを割って脱出しようと言う魂胆か。
本当に冷静な恋人を持って良かった。この様子なら大丈夫だろう、と俺はなんとか胸を撫で下ろす。自分の車の仕様も忘れて。
がつ、と鈍い音が響いたのが微かに聞こえた。
けれど、それだけだった。
そういえば俺の車の窓にはまっているのは防弾ガラス。
いかな、恭弥のトンファーと言えど簡単にうち破れるものではない。
仕舞った、という表情が一瞬、見えた。
その時、またしても爆発音が響き渡り、俺は息が止まる。
幸い、爆発したのは俺の車では無かったが、もう時間の問題だ。
殺しても死なないような顔してるけど、恭弥だって生身の人間だ。殺したら死ぬんだ。あんな爆発に巻き込まれたら、ひとたまりもない。
火の手が俺の車に迫る。
もうだめだ、と思った瞬間、足が動いていた。
「ボス!危険過ぎる!」
背後から腹心の声が聞こえたけれど、俺の脳には届かなかった。だって、恭弥が、恭弥が。
ちりちりと炎が皮膚を焼くけれど、不思議と熱くは無かった。
赤い車に取り付いて、外側からドアを開けようとするけれど、歪んでしまったフレームが邪魔をして開けることが出来ない。
俺は咄嗟に、懐から携帯している銃を取り出して、至近距離から窓ガラスに打ち込んだ。
一発、ガラスにめり込んで止まる。二発、ヒビが広がる。少し位置をずらして三発、四発、五発。シリンダーの中身が空になる頃、漸く小さな穴が開いた。
気を付けて、と恭弥に目で合図をして、その小さな穴へ向けて思いっきり蹴りつけると、さしもの防弾ガラスも砕け散った。
そのまま勢い任せに窓枠に手を掛けて、引きちぎった。
ようやく、人ひとり通れる大きさの脱出口ができあがる。
俺はがむしゃらにそこへ腕を突っ込み、恭弥の体を抱き寄せて引きずり出した。
お姫様抱っこだとか、格好良い抱き上げ方なんてしている余裕はなくて、華奢な体を小脇に抱えるようにしてその場を離れる。
「ちょっと!降ろして!」
恭弥の声が聞こえた瞬間、三度目の爆発音が響き、背中に熱風が吹き付けた。
溜まらず恭弥を取り落としてしまいそうになり、その体を庇うように抱き寄せてしゃがみ込む。
爆発は一瞬で、振り向くと俺の愛車は盛大な火の手を上げていた。
「ボス!キョーヤ!」
呆然としていた俺を現実に引き戻したのは、ロマーリオの声だった。
人混みの中を掻き分けてこちらへやってくる。
俺は未だに自分がしたことへの実感が無いまま、ぼんやりその顔を見上げていた。