すき、と言う言葉は特別なひとに使うのだと、教えられた。
―ぱぱも、ままも、きょうやがすきだよ。
そう言っていたのはもう顔も覚えていないふたりの男女で、それが僕に「すき」という言葉をくれた最初で最後のひとたち。
そのひとたちはどこかへ消えてしまって、それから僕に「すき」という言葉をくれる人は一人も居なかった。
だから、僕はすきと言う気持ちを知らない。分からない。
並盛は好きだ。
学校も好きだ。
けれど、ひとをすきだと思う気持ちは分からない。
赤ん坊は好き。
けれど、僕が好きなのは「赤ん坊と戦うこと」。
それは多分、あのふたりがくれた「すき」とは違う。
それがとても特別で、大切な言葉だということは、なんとなく分かっているけれど、じゃあどう違うのかと言われたら、分からない。
あのひとは。
「好きだぜ、恭弥。」
僕を好きだと言う。
けれど同じように、誰にでも、好きだ、と言う。
きっとあのひとは、僕と戦うのが好きなんだ。
あのひとの好きは、特別な「すき」じゃない。
だから、僕はあのひとが、嫌い。