「はいこれ。」
応接室に入るなり突きつけられたのは、一枚の紙切れだった。
日本語は読めないが、「¥」マークが意味する所と、その右に続く数字の列は理解できる。
さんじゅうきゅうまんえん。
……1ユーロ130円として、3000ユーロほどか。
俺にとってはそれほど大きな金ではないが、一介の中学生−−にしてはやけにこの街に絶大な影響力を持っているようだが−−にとっては明らかに大金だろう。
それが領収書なのか請求書なのかはたまた小切手なのかは解らないが、少なくとも恭弥の普段の生活を見る限り、こんな大金を扱うようなことは無いはずだ。
「ええと……取り敢えず……ひさしぶり、恭弥。」
「そうだね。二ヶ月ぶりかい?」
うん、と頷きながら、取り敢えず二ヶ月ぶりに再開した愛しい人を腕に抱きしめる。
……その手の中の何か、金がらみの紙切れは、とりあえず無視して。
恭弥はひとまず大人しく抱かれてくれたけれど、背中をぽんぽんと二回叩く、いつもの挨拶のハグを済ませた途端に俺の胸を突き放した。
「だから、はいこれ。」
「……で、これは何だ?」
取り敢えず突きつけられた小切手のような領収書のような……謎の紙切れを受け取る。
いちじゅうひゃく……やっぱり、39万円と書いてある。
恭弥の字ではないようだ。
「請求書。」
「……何の?」
「あれ。」
そう言って恭弥が指さしたのは、応接室の一角に置いてあった花瓶…のような何か。
特に花が生けてある訳でもないが、綺麗な絵の描かれた、多分白磁とかそういうもの。ツボって奴か。
そう言えばこの部屋にはあんなようなツボが置いてあった気がするが、確か青っぽい色をしていた気がする。買い換えたのだろうか。
それにしたって、その請求を受ける謂われは、俺にはないんだけれど。
……いや、恭弥の頼みとあればそれくらい幾らでも出してやるんだけど、でも、金蔓と思われるのもアレだし、それに理由くらい教えてほしい。
「……なんで?」
素直に聞くと、何故か恭弥はカッと顔を赤くして俺を睨み付けてきた。
「うるさい!いいからこれ払って!」
恭弥がこういう反応をするときは、決まって照れている時だ。
しかしツボを手違いで割ってしまった事を恥ずかしがっている、という感じでもない。
「あなたの所為で割れたんだからね……っ!」
いや、俺、この部屋のツボなんて触ったこと無いし。
やっぱりこれは、アレ、か。
「……俺が居なくて、淋しかった?」
頭を撫でながら顔を覗き込んでやると、ただでさえ赤かった顔が、ぼんっと煙を立てそうな勢いで朱に染まる。
「そんなわけ無いでしょ!苛々したからアナタの代わりに殴っただけ!」
そう言いながらも、不機嫌そうに細められた目はこちらを向かずに空を泳いでいる。
強がりなのが見え見えだけど、敢えてそこには触れないで抱きしめる。
「二ヶ月も相手してやれなくて、ごめんな?」
「も、うるさい……!」
さっさと払ってきて、と言う恭弥を店の場所がわからないのを口実に応接室から連れ出す。
さ、ツボの代わりにサンドバッグにでもなってやろう。
それがこの素直じゃない恋人の愛情表現なんだから。