蝶になった夢を見た−−
胡蝶
いつものように、僕は空を飛んで居た。
風に乗って、チャイムの音が聞こえてくる。
そろそろ、あの人があの部屋に来る時間だろうか。
つい、と翼を風に乗せて、あの部屋の窓へと舞い降りる。
コンコン、とドアをつつくと、いつもの彼が窓を開けて、迎えてくれた。
「やあヒバード。元気かい?」
彼は優しく笑って、ひとさし指を僕の方へ差し出す。いつものように其処へ止まると、彼はそのまま窓を閉め、ソファへと腰掛けた。
彼のお弁当を少し分けて貰う。今日はハンバーグだったらしいけど、僕に回ってくるのは付け合わせのニンジンとか。まあ、ニンゲンの食べ物にはあまり興味はないから、野菜で充分なんだけど。
「今日はね、あの人が来るんだって。」
知ってる。
三日前から毎日聞かされてるからね。
だから僕はここへ来たんだ。
「ディーノ」
あの人の名前を呼ぶ。
そうすると彼はにっこり笑って、そうだよ、と答える。
違うよ、君の質問に答えたんじゃない。
そう言いたいけれど、僕のくちばしはそんな器用には出来ていない。だからただ、とぼけた顔をして首を振る。
何を思っているのか、彼はくすくすと笑った。
その時、部屋のドアがノックされて、間を空けずにそれが開く。
長身の、僕の翼と同じ色を持った、一人のニンゲンが入ってくる。
「恭弥、お待たせ。」
優しそうな笑みを浮かべたあの人は、ふわりと彼と、そして彼の肩に止まっている僕の所まで歩いてくる。
蜂蜜色の瞳がこちらを向くけれど、そこに映っているのは僕じゃなくて、彼。
「会いたかったよ、ディーノ。」
彼が笑う気配がする。
そして彼は立ち上がって、両の手をあの人の首に絡める。
足場が揺らいで、僕はたまらず彼の肩から飛び立った。
部屋の中を足場を求めてぐるりと羽ばたく。
その間に、二人のくちばしが音もなくふれ合う。
それを横目に見ながら、僕は窓辺に足場を見付けて降り立った。
「ディーノ、ディーノ!」
僕はあの人の名前を呼ぶ。
こっちを向いてよ、と叫びたいのに、僕の不器用なくちばしは彼の名前を呼ぶことしか出来ない。 彼の器用なくちばしのように、愛の言葉を沢山囁いたり、あの人のくちばしと触れ合うことが、出来ない。
「ディーノ、スキ!」
僕のくちばしが紡げる、たったひとつの愛の言葉。
けれどそれさえ、
「恭弥、ヒバードにあんなこと覚えさせてんのか?」
彼の言葉に紛れてしまう。
「勝手に覚えるんだよ。きっと、いつもあなたの話を聞かせてるから。」
違う、これは僕の気持ちだよ。
あの人の笑顔を見たい。
あの人の傍に居たい。
あの人と話したい。
僕の方を見てチラリと笑った彼は窓を開けて、僕に出て行けと言わんばかりの顔をする。
僕は仕方なしに飛び立った。
遠くのガラス越しに、二人のくちばしが触れ合うのが見える。あの器用なくちばしは、愛のことばを沢山紡いで、あの人からの愛の言葉を沢山受け取って、そして、二人はひとつになるんだ。
僕はただの小鳥だから、彼の名前を呼ぶことしか出来ない。
ああ、僕が彼のようだったらいいのに!
そうしたら、沢山愛の言葉を伝えて、くちばしであの人に触れて、僕にはない、腕というもので彼を抱きしめることができるのに。
夢でもいいから。
そう思いながら、僕はねぐらで翼を丸めた。
意識が少しずつまどろんでいって、眠りに呼ばれる。
何処か遠くから、僕を呼ぶ声がする。
きょうや、きょうや、
「恭弥?」
目が覚めると、ディーノが僕の顔を覗き込んでいた。
ぼんやりする頭を振りながら、体を起こす。
四肢が弛緩していて、上手く手足が動かない。
僕は−−
「どうしたんだ、恭弥?」
そう、雲雀恭弥、だ。
羽ばたこうとしてみるが、翼はない。
腕を伸ばす。その先端に付いている五本の指を、握ったり開いたりしてみる。それは当たり前のように、僕の思い通りに動いた。
僕は無力な小鳥ではない。
「ディーノ」
思い切り腕を伸ばして、ディーノの首に抱きつく。
一瞬戸惑いをみせたディーノは、しかしすぐににっこりと笑って僕の背中に腕を回した。
「どうしたんだよ恭弥…珍しいじゃねーか。」
「ディーノ、愛してる。大好き。」
僕の器用なくちばしは、沢山の愛の言葉を紡ぐことが出来る。
赤面しているあの人のくちばしに、それを合わせる事が出来る。
愛してるよ、と言いながらディーノの唇にキスをあげた。
人間が小鳥になった夢を見たのか
小鳥が人間になる夢を見ているのか