恐怖コラム
童謡の奇談
童謡には隠れた噂や都市伝説というものが存在する。超有名なあの名曲にも、なんともの悲しい噂が存在するのだ。
*一ねんせいになったら
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんの うえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
この歌詞をよく読んでもらいたい。歌っていると気付かないが、明らかにこの歌詞、おかしいのである。
主人公は友達を百人つくり、全員で富士山に登る。そしてその上でおにぎりを食べるのだが、ここで「ひゃくにんで たべたいな」となっている。
はて、主人公を加えたら101人になるはずである。残りの一人は、どこへいってしまったのだろう?
と、このように、歌詞に矛盾があるのだ。驚くべき事実である……。
とはいっても、私の個人的解釈としては、作詞者はバランスが良くなるから「ひゃくにん」のままにしたような気がする(リズムを大切にする方であった)。
ちなみに作詞者のまどみちおさんは「ヤギさんゆうびん」「不思議なポケット」「ぞうさん」など、誰もが聞いたことのある名曲の作詞も担当されている。あなどれない人物だ。
さて話を元に戻すとして、どのような噂があるかここに記してみる。
この歌が流行りだしたのは戦時中である。
疎開先で子ども達は食べるものが無く、餓死寸前といっても過言ではなかった。
そんな状況で、子どもの中に1人、足が悪い子にみなの注目が集まった。どうせ日本の役にたたないと判断した子ども達は足の悪い子を殺し、その肉を食べ(!)飢えを凌いだ。
そして子ども達は人肉の味に感動した。子供たちは美味しいもの=おにぎりとしか知らなかった為、この人肉にもおにぎりと命名した。
おにぎりの美味しさを感動した子ども達はこの曲を作って残したという。
激しく恐ろしい噂である。
さて、当のまどみちおさんはこの噂についてどのように思っているのだろう、はたして噂は真実なのか……と探してみたところ、資料が全くなかった。
そう、まどみちおさんがこのような残酷な物語をベースにして作詞されたという情報は一切なく、まだ仮設の段階ではありますが、「矛盾をはらんだ歌詞が時代の影響で暗い一人歩きをしてしまった」という可能性が高いのである。
しかし、まどみちおさんに関する面白い文書を派遣することが出来た。
それは、まどみちおさんの「童謡の考え」。童謡に対し、まどみちおさんはリズムを大切にされていた。しかし一方でこのようにも考えていたのだ。
(以下、まどみちお直筆ノート「へりくつ3」より)
童謡とは何だろう。この世の不思議、自然の不思議、すべての存在と非存在、反存在の不思議への叫びである。
子どもという人間の萌芽が、この不思議に直面して発した叫びである。凡ゆる人間の文化の歴史がそこから出発したところのその叫びそのものである。
−−中略−−
童謡は存在の根源に迫ろうとするものでなくてはならない。
残念ながら、童謡「一ねんせいになったら」の噂に対するまどみちおさんのコメントは見つからなかった。そのために「リズムがよくなるからあえて矛盾させた」という可能性は高い。
しかし、彼の「童謡とは存在の根源にせまろうとするもの」という考えは、「生きることに強い渇望を抱き、同族さえも食ってしまった」という物語と、どこかリンクしてはいないだろうか? 存在するには、「食べるしか」方法がないのだから。
そして「存在の根源」という考えは、ノートによると「存在すること、存在しないこと」に結びついている。
ならば、童謡の中に「いるはずなのにいないもう一人」とは、この「存在の根源」なのではないか。噂は、もしかして真実なのではないか。
疑問はつきることがない。仮説もまた、つきることはない。
もしかしたら隠れた噂や都市伝説というものは、この疑問や仮説から日々生まれていくものなのかもしれない、と私は思う。
最後に、この言葉を書いて終わりとする。まどみちおさんの、直筆ノートからの抜粋。
「だからこの世に生きて何の不思議も感じることのない大人に童謡を作る資格はないのだ」
情報提供・影之兎チャモ
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