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君だけでいい
日常茶飯事


「ただいまー」


自宅の鍵を開けると、人気が無く幾分がらんとした感のある玄関ホール。


誰もいなくても帰宅の挨拶をしてしまうのは、仕事が忙しくてあまり家にいないのに、躾だけには厳しい母に長年口うるさく言われて身に付いてしまった癖だ。


今ではもうそんな事する必要もないのに。と自分に少し苦笑して、靴を脱ごうと前に屈んで足元に視線を落とした。

するとそこに踵が履き潰された、自分のサイズより一回り大きなスニーカーが脱ぎ散らかしてある。


――奴め。
また人がいない間に…。


しょうがなく、スニーカーをきっちり並べ直したその時。

カツカツカツカツ!と外の廊下をヒールで突進してくる凄まじい足音がしたかと思うと


バァンッ!!


壊れるんじゃないかという勢いでドアが開かれ、振り向く間もないまま後ろからタックルを食らった。


「うぐっ!」


丸めた背中に勢い良く頭突きが決まり、思わずうめき声が出る。


背骨に走る鈍痛を堪えながら振り返ると、そこにはうちの真上のお宅に住んでいるおばさん(−と言うには躊躇われる、女優ばりにスタイルも良く美しい年齢不詳な女性なんだけど‐)の顔。

猫のように大きなアーモンド形の瞳を潤ませて、悲壮な面持ちでじっと見つめてくる。


「た…ただいま、ごほっ、百合子さん」


この人は葵 百合子さん。海外出張でこの春から不在な母親に代わる、俺の現在の保護者だったりする。
とは言っても家事はほとんどしない人なので、実はただの緊急連絡先みたいな存在なのだけれど。


「マサキちゃあ〜ん…」


その多少芝居がかったすがるような声に、嫌な予感がした。





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