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若草色と風紀と恋する乙女

(若草色と風紀と恋する乙女)女の子は、いつだって…




恋する乙女というものは、時に非日常を日常に変える力を持つもの。その力はこのバントーラ図書館に勤める武装司書が持つ超人能力を遥かに超える力を見せ、あたしが本になった時には乙女の力というタイトルで世に刻まれるのだろう。


そして今日も、その一頁が刻まれる。


『ナマエっ。ナマエ=ミョウジ…ッ』


いつものようにバントーラ図書館の扉を開いて広がる広間へ足を踏み入れる。途端に響いた声はあたしを呼び留めるには十分な音。振り向けば目に映るのは若草色の髪、そして髪と同じ色をした真っ直ぐな瞳。


『あ、ヴォルケンさんおはようございまーすっ』


『呑気に挨拶してる場合ではないだろうっ』


そう、あたしは彼に会う為に…ヴォルケン=マクマーニに毎朝の挨拶をする為に存在していると言っても良い。なんて、少し大袈裟かもしれないけれど、実際にそう思うんだからどうしようもない。


『襟が乱れているっ、それにネクタイをしないとはどういう事だッ』


『あー…忘れてました。あはは』


彼は、どうしようもなく真面目な人。何事にも真っ直ぐで曲がった事が許せない人。生まれ持った分身を作る事の出来る能力や舞剣捌きは次期バントーラ図書館代行と謳われている。対するあたしは先月武装司書となったばかりの、謂うなれば新人武装司書。


そんな彼にあたしが好意を抱いている理由は決して分身能力や戦闘能力、将来性なんて理由じゃない。


『忘れてました…だと…。昨日も一昨日も先一昨日もっ。最早忘れたとは言い難いぞっ』


未だ一般人だった頃、変質者に襲われた時に見回りで居合わせた新人武装司書であった彼に助けて貰った事がある。あの時の若草色に惹かれた、あたしを抱き上げてくれた力強い腕に引き寄せられた。そして何より、抱き上げてくれた時に見えた優しい眼差しに魅せられてしまった。


彼にもう一度会いたい、ヴォルケンさんの傍にいたい…唯、それだけの理由があたしを武装司書にした。


『だって本当に、朝起きたら忘れてるんですも…うェ…ッ』


そんな事を思いながら彼に言葉を返していると、容赦なく細く長い指があたしの襟元を掴む。どきん、と心臓が飛び上がるこの瞬間が大好き。ヴォルケンさんから伸びた指があたしの襟元を少しばかりきつく整えるこの瞬間、あたしはこのまま首を絞められて死んでも良いとすら思う。


『まったく…いつまでも子供ではないんだからな』


『…』


やれやれ、と言った風な表情に、彼の瞳があたしを捉えているのだと、幸せに包まれる。大好き、大好き…この一時がずっと続けば良い。否、今この一時があるからあたしはヴォルケンさんから離れられないのだと思うと、自然と口元が緩んでしまった。


『な、何がおかしい』


『だってヴォルケンさん、何だかんだあたしに優しいから』


余りにもうっとりと笑っていると、ヴォルケンさんは少し不思議そうにあたしを見詰める。ところが、あたしが理由を述べた途端に彼の表情は一変、目を丸くさせたかと思うと恥ずかしさを隠す様に瞳を逸らす。可愛い人…その瞳の動き一つ一つですら愛おしい。


『…とにかく、ボタンぐらいは締めろ』


『はァい…』


気付いたようにあたしから手を離すと咳払いを一つ、ヴォルケンさんは急ぎ足で廊下の奥へと消えて行った。それは、朝の一時が終わる合図。この時間こそ、あたしにとって何より一番大事な時間。だからこそ毎日服装をわざわざ乱しているという事は勿論彼には内緒。


職務中はヴォルケンさんに会う事はない。彼は忙しい人だから、まだまだ新人なあたしとは熟す仕事の内容や量が全く違う。たまに見掛ける事はあっても向こうは全く気付かない。だからこそ、休憩中なんかに若草色を見付けた時は無意識に反応してしまう。


『あ、ヴォルケンさんだっ』


窓越しに見えた、木の傍に光る若草色。木に凭れて、背を向けているけれど、彼がヴォルケンさんだという事はすぐに分かる。そして、見付けた途端に走るなとヴォルケンさんに言われた廊下も構わず走る。一日に2度もヴォルケンさんと話せる機会が訪れるかもしれない、その機会を易々を見逃す訳にはいかなかった。


『ヴォルケンさー……あれ…』


息を切らせて走り寄った木の傍には相変わらず若草色が風に揺れている。然しながら名前を呼んでも反応がない。あたしに気付いていないのだろうか…背後から目の前へ位置を変えてみると驚いた。そこには木に凭れて穏やかに瞳を閉じる彼がいたのだから…


『珍しい…って言うかラッキーだ』


本当に珍しい事もある。ヴォルケンさんがすやすやと静かな呼吸をしながら眠っている。空を見上げれば確かに穏やかな陽射しに爽やかで優しい風が吹いている。昼寝には絶好な気候。彼を穏やかな眠りに就かせる気候に嫉妬しながらも、音を立てないようにあたしは隣を確保した。


緩やかな風が頬を撫でて、うっすらと目を閉じれば香る若草の匂い。この香りは隣で眠る彼の匂いなのか、春の匂い…


『ヴォルケンさんは覚えてますか、あたし達が出会った日の事を…』


あの時も、季節は春だった。淡い緑が彼の姿を引き立たせ、あたしを包んだ。もしかしたらあたしの世界が春色に変わっただけかもしれない。だけど、確かにあたしはあの透き通った若草色に引き込まれた。


『思えばあの時からあたしはずっと…』


そう、あの時からずっと、この想いは心の中、あたしの全身で育まれた、大切な恋する実となっている。彼の頬に触れる、手前…優しい温もりが、そっとあたしの手を包んだ。


『…ミレポック、か……』


『っ…』


嫌な風が吹いたと思った。先程までの優しい風とは違う、生暖かくて重たい風。ヴォルケンさんが呼んだ名前は、あたしの名前ではなく他の名前。違う、元よりあたしの名前なんて、彼にとって唯の言葉に過ぎない。彼が呼んだ名前は、恐らくヴォルケンさんが最も信頼を置く人物の名前。


ミレポック=ファインデル…ヴォルケンさんと同期の武装司書であり、とても聡明な人。分かり易く言えば、あたしじゃ到底及ばない程の美人で、何だって器用に熟して…何より、ヴォルケンさんにとても大切に思われている人。


『…と、ナマエだったか…』


自分で発した名前に、ヴォルケンさんは気不味そうに頭を掻く。勿論、気不味いのは彼だけではない。ヴォルケンさんが呼んだ名前ではない、目の前にいるあたしはそれこそどんな表情を浮かべていたかすら分からない。


『…も、もォ、失礼しちゃうなァ…女の子の名前を間違えるなんて紳士じゃないですよっ』


だけどその時のあたしは自分の気持ちを悟られないよう必死で、渇いた喉奥から笑って見せた。名前を間違えるなんて、良くある話だ。あたしが新人武装司書なら尚更、知名度なんて低いもの。だけど違う。あたしが新人でなくなったとしても彼が一番に浮かぶ名前はあたしの名前じゃない。理解していたくせに矛盾した動揺は背筋を冷たく流れた。


『す、すまない…』


『疲れて、ますよね。ヴォルケンさん毎日忙しそうだし…』


未だ眠たさで頭が働かないのか、ヴォルケンさんはゆっくりと頭を下げる。話を変えるべきタイミングは見誤らなかった。何より名前を間違えた事を疲れという理由に変えてしまいたかった。尤もらしい理由に彼は少し考えるような素振りを見せて頷く。


『ああ、特に最近は誰かの生活指導で忙しいからな』


『…ご、ごめんなさい』


返って来た意外な返答に今度はあたしが意外にもダメージを受けた。ミレポックさんの名前が出た後は、どうしてもあたしがヴォルケンさんにとって有害な人間としか思えないから。ヴォルケンさんの疲労の原因があたしと言われれば、例え冗談だとしても落ち込まずにはいられなかった。


『ふ…冗談だ。謝るなんてお前らしくもない』


『はっ、反省はしてますよッ。…ちょっとだけ…』


ふわり、とヴォルケンさんが笑う。穏やかに笑う彼の瞳に一瞬、時が留まるような錯覚を覚える。恋する乙女は実に単純に出来ている。彼の笑顔一つでその直前は一瞬だとしてもリセットされるものだから。リセットされたあたしはまた、いつものように後輩らしい言葉を漏らす事が出来る。


『なら明日から服装を乱すなよ』


『それは保障しませんっ』


だってそれは、真面目な貴方の注意を引く為だけに考案されたあたしだけの日常。この日常だって、一瞬かもしれない。日常に変える苦労と非日常に変わる一瞬は紙一重だ。タイミングが必要になる。


『ならば俺がきっちりと監視してやるからな』


だからあたしは、この言葉だけで満足出来る日常を手に入れなければならない。




















(必死のパッチ)


全ては貴方の視界に入る為



















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