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999.ロイ浮気話


「報告書」

 一言、ぶっきらぼうに言い捨ててロイの山積みの書類の上に報告書を叩き付け、そのまま入り口へと踵を返す。こんな所、一秒だって居たくない。

「待ちなさい」

 命令口調で静止を促す。馬鹿野郎、そんなの聞いてられるかッ!
 オレは反抗的に足を速めた。

「それが数ヶ月振りに逢った恋人にする態度かね? エド?」

 クソ。机の反対側でペンを握っていたとはとても思えない速さで此方に回り込み、手首を掴まれた。抵抗する間もなく唇を塞がれた。

「ん…!」

 駄目だ。流されてはいけない。解っているのに、オレはコレに弱い。

「ふ…ざけんなッ、アンタ、……仕事中……」

 悪態も、今一威勢が無くて悪態になりきれない。

「構わないさ。大きな事故があってね。暫く部下達は戻らない。それに……、偶にはこんなスリルも良かろう。久し振りの再会だ」

 だぁ──!! ッこの、色欲魔ッ!!
 コレで勢いが戻ったオレは、引っ付いてくるロイを何とか振り解けた。
 内心、理性を保てた自分を誉める。

「アルを待たせてんだ。
……それに……、オレ、今、アンタとンナ事する気分じゃ無いし」

 言ってやった。我ながら渾身の言葉を浴びせたと思う。ロイも呆気に取られてて。
 いつも思い通りになると思うなよ。
 そのまま出口へと向かった。
 早足なのは……逃げてる証拠。それはオレにも解ってる。
 どうか呼び止めないで。
 オレには、……アンタを完璧に振り切れない。
 だから……。
 あの日の事を直接追求出来ないオレを、どうかこの場から逃がして。


 大佐はオレを止めなかった。
 オレは上手く問題から逃げられた。
 ホントに逃げられたのか?
 答えは……NO。
 こんなんで問題の解決にはならない。ならないんだ。解ってる。けど……。

 だからってオレにどうしろと?



 前回の訪問時、中央を離れる前夜。
 その日はロイと過ごす予定だったが、夕方、今夜は会えそうにないと連絡が有った。
 訳を訊くと、急な仕事が入ったと言う事だった。
 それじゃあ仕方無いと、一人夕飯を食べにレストランへ行った帰り、ロイを見掛けた。正確にはロイの車を、だ。
 暇を持て余して居たオレは少しくらい話をしても平気だろうと考え、停まっている車の背後の死角から忍び足で近付いていった。折角だから驚かせてやろう。そんな悪戯心から。
 まだ20時を回った所。沢山の人が行き交う通り。
 前方から一際目を引くグラマーな煌びやかに飾り立てた女性が歩いて来て、オレはこれからデートか、ご出勤だろうか。そう思った。
 その女性はロイの車の横で立ち止まり、それに俊敏に反応し車から降りてきたロイに招かれるままに、………助手席に乗り込み、車は走り出した。

「……は?」

 目の前で繰り広げられた光景が理解出来ない。
 只、鮮明に焼き付いたのは、車から出迎えたロイも女性と釣り合うくらい上等なスーツ姿で、その女性ににっこりと微笑み当然の様に腰に手を回した、という事。
 俺だって馬鹿じゃない。
 どんなにロイが女性と親しくしていたとしても、だからといって直ぐに浮気と直結したりしない。
 仕事柄、裏から情報を仕入れなきゃならない事も有るし(一般人から重要な情報を聞き出せる事は意外に多い)、プライベートを装っての護衛の線も考えられる。

 だから次の日の朝、汽車に乗る前にロイの自宅へ電話を掛けた。
 幾度と続くベルを聴き、ゆっくりと受話器を下ろす。
 此処で初めて不安が胸に芽生えた。
 それでもオレはまだロイが電話に出ない正当な理由を考える余裕は有ったのだ。
 今回は長旅で出発の時間も早い。まだ寝てるのかも知れないとか、泊まり込みで仕事だったのかもとか。

 不安を早く消したくて、乗り換えの合間に軍に電話を入れた。
 漸く聴けたロイの声はいつもと何ら変わりなく。

「昨日は済まなかったね」
「あぁ、仕事どうだった?」
「なかなか書類が片付かなくてね。ずっと職場に缶詰めだったよ」

 何故そんな嘘を吐く?
 正直に話してくれると思ってた。それで全ての不安が拭い去れると思っていたのに。
 胸中のもやもやは、黒さを増し見る見るうちに広がっていった。

 電話なんてしなきゃ良かった。




 司令部を出てから暫くブラブラしてホテルへ帰ると、部屋で文献を読んでいたアルが話し掛けてきた。

「兄さん、何処行ってたの?」

 確か行き先は告げて出掛けた筈だからアルの質問に思わずギクッとした。
 緊張しているのを悟られない様に、真夏の気候ですっかり汗ばんだシャツの釦を外していく。

「何で?」
「留守中大佐から電話が有ったよ」
「何の用だって?」

 大佐から電話が有るのは予想していた。だからこそ外で時間を潰したのだから。

「さぁ。帰ったら直ぐに掛け直して欲しいって言ってたよ」
「……そっか」

 用件を伝え終えると、アルは金属音を響かせ(と言っても実際はそれ程大きな音では無かったけれど。)ページを捲り文字に視線を這わせ始めたが、オレの返事が腑に落ちなかったのか窺う様に再びこっちを見遣り、不思議そうに首を傾げた。

「兄さん?」

 アルに勘付かれたくない。
 脱ぎ掛けていたシャツの釦を止め直すと、

「電話してくる」

 部屋を出た。
 ……やっぱ逃げてばっかじゃイケないよな。
 ロイと向き合う決意をし、受話器の向こうの相手を確認すると会う約束を取り付ける。
 待ち合わせに指定した場所は、あの日ロイがあの女[ヒト]との密会を目撃したあの場所。

 その場所で待っていると、自分が酷く滑稽に思えてくる。
 もっと早く向き合えば良かった。
 あの日直向きにロイを信じていた気持ちはすっかり萎え、疑心暗鬼の塊だ。
 確かめもしない内にこんな感情に支配されている。それでも言い出せなかったのは、本当に浮気していたと解った時、醜く縋ってしまいそうだったからなのかも知れない。
 そんなプライドの問題じゃなくもっと純粋に、単純に、ロイを手放したくなかったからかも知れない。
 気付かない振りをすれば、気にしなければまだ───。

「エド」

 名を呼ぶ声に頭を上げると、いつの間にやら横付けされた車から降り、ロイが微笑み掛けていた。

「待たせたね」

 その笑顔にいつもの様には笑い返せないオレはロイを無視し助手席に乗り込んだ。
 ロイは一連の動作を眺め、ひとつ溜息を吐き、苦笑しながら運転席に乗り込む。

「今日は随分機嫌が悪いな。何かあったのかね?」

 ギアを変えようとするロイの手を掴み阻止すると、

「此処で待ち合わせした女の人……、アレ、誰?」

 本題を切り出した。オブラートに包む余裕などオレには無かった。
 重ねたロイの手がピクリと微かに震え、動揺を示した。

「何の事だね?」

 瞬間感情を露わにした指先とは裏腹にロイは穏やかに訊いた。
 もう……はぐらかすなよ。

「オレ、見てたんだ」

 だから、ちゃんと言ってくれよ。
 ……納得させてよ。
 嘘でも良いから。
 そしたらちゃんと信じるから。

 外部の音を遮断した車内は息を飲む程の静けさ。
 黙るなよ。饒舌で余裕たっぷりのアンタらしくない。

「……だから君は」
「……───、どっちが……浮気?」
「な…?」

 ロイの目が初めて揺らいだ。もう、溢れた言葉は止まらなかった。

「あの人、綺麗だったもんなッ!! スタイルも良くて。
もしかして二人で敷け込んでたとか?
次の日の朝、電話出なかったもんな。
いつもそうやって女連れ込んでんじゃねぇの?」
「違う!!」

 ロイが声を荒げ、オレを止めようとした。それでも止められなかった。

「じゃあ何で嘘吐いたんだよ!!」

 気付いたら叫んでた。
 ロイはグッと押し黙り、オレを見詰めた。

「何で正直に話してくれないんだよ?」

 それが一番辛かった。
 二人の今迄の付き合いまで不誠実なものにしないでくれ。

「………すまない」

 こんなに簡単に壊れてしまうなんて微塵も思ってなかった。
 何時だってオレは真剣にロイを好きだった。
 だからこそ覚悟だって決めて来た。

 こんな未消化な終わり方。



 冷める事無く
 切なさだけを残し
 この想いは沸々と


 いつまでもオレを刺す
 苦い棘 ──



 end‥


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あきゅろす。
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