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楽しい夏休み親子編  お父さんと一緒
 頭の帽子は贔屓のプロ野球チームのロゴ、手には網、腰に虫かごを下げた息子と、剛は手を繋いだ。
「父ちゃん、どこ行くんだ?」
母親によく似た目をこしこし擦る武が、見上げて来る。
「武ぃ、父ちゃんと夏休みの自由研究しようぜ〜」
店を閉め、上に着ていた割烹服を脱いで、剛は懐中電灯をまだ暗い外へと向けた。


 妻を亡くしてから、夫婦二人の夢だった店は、剛一人の物になってしまった。
朝4時市場へ仕入れに出掛け、仕込みをし、店を開ける。妻がいた頃は、それだけで良かった。
『アンタは表、私は裏方!武のことは任しといて!』
頼もしかった妻、誰より働き者だった妻。あの日居眠りのトラックさえ突っ込んで来なければ、今でも隣で息子と自分と三人、笑っていたはずだった。
妻亡きあとは、仕事も家事も子育ても、おおよそ生活の全てが剛1人の肩にのし掛かって来た。
慣れない家事と子育て。時間に追われへとへとになって終わる毎日。それでもここまでやってこれたのは、商店街の連中と、忙しくてなかなか構ってやれない父に、我が儘言うどころか小さな手で懸命に支えてくれる息子のおかげ。
そんな武も、はや小学三年生だ。最近では朝早い剛に代わり台所に立ち、朝御飯の支度をしてくれたり、疲れて上がって来る剛の為に布団を敷いておいてくれる、本当に誰の前に出しても恥ずかしくない自慢の息子だ。
だが、だからこそ剛は武に抱いている思いがあった。
自分はまだ10にもならない息子に、頼りすぎなのではないか。我が儘どころか甘えてすら来なくなった息子を見る度に、忙しい姿ばかり見せていたから、子供らしさを表現できなくなっているのではないか―――と。


 考えてみれば、リトルリーグに入った武の、試合こそ仕事の合間に見に行くものの、キャッチボールなんて一度だって相手になったことはない。
武自身が遠慮して言い出さないから、なんて言っていられない。単に忙しさにかまけていただけだ。
もしも武が将来、誰かに幼い頃の父親との思い出を尋ねられて、仕事をしていた姿以外何一つ挙げられなくて良いのか?剛は最近自問自答を繰り返してばかりいた。
いや、絶対良い訳がない。


 それが理由って程のものじゃないが、今夜決行するんだと実は数日前から計画していたことがある。


 剛には、自分が子供の頃、父にせがんで虫取に出掛けた記憶があった。
今の武よりも幼かった時分だ。父に肩車されながら捕った蝉。嬉しくて包み込む手に力を入れたら、突然羽を震わせ、驚きに放してしまった剛の手元から、蝉はからくも逃げおおせた。
泣きべそをかいた剛の頭を、父は叱るでもなく、笑うでもなく撫でてくれた。
その時の父の眼差し、大きな掌、撫でる手の優しさ、全て体が覚えている。


 沢山なんて贅沢言わない、たった一つだけでもいい。これからも数多く出来るだろう武の思い出の中に、遊んでくれた父親の記憶だって残してやりたい。
普段は無理矢理背伸びさせてしまっている息子に、たまには遠慮なく甘えさせてやりたい―――。
「並盛公園に、くぬぎの木があるだろ?今からそこに行くぜ」
並盛公園の言葉に、パッと武の目が輝いた。
「父ちゃん、くぬぎの木にカブトムシが寄って来るの知ってたの?!」
先ほどまでの眠たげな様子はどこへやら、眠気なんて吹っ飛んだみたいに食い付いて来た武に、剛の頬は弛んだ。
「知ってるもなにも、父ちゃん小学生の頃は虫取名人て呼ばれたんだぜい!」
「そ、そーなのか?!」
半袖を捲って力瘤を作れば、パアッと笑顔まで輝く。
「今年は、いっぱい虫取りしような!」
そんな武は、けれど一瞬顔を曇らせた。心配するような、そんな表情。
「でも父ちゃん・・・仕事」
おずおず見上げて来た武の頭を、剛は大きな掌で撫でた。あの日、父がしてくれたのと同じくらいの強さで。
―――息子の心遣いを、喜ぶと共に少しだけ憐れんで。
「おう、だから夜中の一時間だけな」
優しい息子だから、無理をすれば悲しい想いをさせてしまうのは判っている。だから、出来る範囲で。
「・・・うん!!父ちゃん今日から、俺の虫取りの先生な!」
安心したように綻んだ武に向かって、「並盛公園まで競争だぜ〜!」と声高に言って、剛は店の前の道を商店街の出口目指して走り出した。
「あ〜っ!父ちゃんずりぃ!」
手ぶらの自分とは違い、網や篭をぶら下げた武は走る姿もぎこちないが、そんなのお構い無しだ。
「父ちゃんつっかけ、武は運動靴〜」
「むう〜っ!負けねーもんっ!」
「そうだそうだ!負けんな若者!」


 商店街の街灯に浮かび上がる長い影と短い影。時折重なる、高くて低い笑い声。


 山本親子の夏休みは、始まったばかり。



おわり

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