小説<ヒバ山僕シリーズ&ヴァリ山>
home sweet home<高校同棲編>
針のように細い雨が緑の葉をしとどにぬらす様を、コンビニで売っていた安傘を開き肩に置きながら、雲雀はただぼんやりと見つめていた。手元の携帯の時刻を見れば午後9時を過ぎている。
けれど、最後に部室の鍵を返しに来たサッカー部が校門を出たのを確認し、見回りをしながら何度かマンションに電話を入れた雲雀の耳に、聞き慣れた朗らかな低い声が届く事は決して無かった。
商店街付近からもう一度電話を掛ける。単調な電子音を数えながら、コールが10回を越えたところでパタンと画面を閉じ、ポケットへとしまいこんだ。
ここ最近の山本は何だか少しだけ不安定に見えた。それは長く続く雨のせいなのか、入って間もない野球部でしごかれ、そろそろ疲れが出てきているせいなのか分からないけれど、色の無い目でそぼ降る雨を追いかけていたり、何かを考えているのかと思えばただボンヤリしているだけのようであったり・・・。
(ちゃんと、どうしたのって聞いておくべきだったな・・・)
窓を伝い落ちる雨の筋を辿っていた指をそっと握り締めたとき、え?と首を傾げた物だから、きっと自分自身今の自分の状態に気付いていないのだろうと思った。だから、本人が分からないような事を聞くまでも無いだろうと、そっとしておけばそのうちいつものあの子に戻るだろうと思っていたのだけれど。
表面的にはいつもの山本なのだ。朝起きて行って来ますと朝練に駆けて行く背中も、学校の廊下ですれ違った時に少し照れくさそうに、それでいて嬉しそうに笑うその顔も。けれど、ふと、何かに囚われるように、雨の中に取り込まれてしまったかのように、まるで切り取られた空間の中にぽつんと佇んでいるように見える瞬間がある。
ただ、声を掛ければ振り返るし、そのあとは特に何も無いような顔をしていたから深く考えなかった、それが
(いけなかったんだ)
ぱしゃりぱしゃり
雲雀は住宅街を抜けて、少し寂しげな田圃の脇道を早足で歩いた。ぬかるんだ土が、卸して数日しか経たない革靴を汚していくのも構わずに。
外灯の少ない田舎道、農家の大きな家がまばらに続くその先に小さく小さく灯るのは、あの日やはり今と同じように傘を差して向かった山本の母が眠る場所。
青々とした葉の茂る桜の木を潜り抜け、墓の脇をゆっくり歩いて外れまで来ると、太い木の幹の傍にひっそりと薄紫色の紫陽花が雨に打たれていた。
その隣に背の高い体を小さく丸めて蹲る、山本の影。
ぴしょ・・
「・・・・ごめん」
ぴしゃ
「なんで?」
ぱちゃん
「帰ってこないから、探してたんだろ・・?」
くちゃり
「そりゃ、君だもの」
ゆっくりと近づいて傘を差しかけながら雲雀がしゃがみ込んでも、山本は顔を膝に埋めたままで。
「・・・この時期の雨はだめなんだ」
静かな境内に響くのは、さぁさぁ空から降る雨と山本の声だけ。
「母さんが死んだのも、こんな、雨の日でさ」
雨の降る中、切らした醤油を買いに差していた傘を畳んで商店街に急いだ母。居眠り運転のトラックが母に気付いてブレーキを踏んだ時には、跳ね飛ばされた衝撃で脱げたサンダルが横断歩道に転がっていた。
「俺、保育園の玄関でバイバイって手を振った後すぐに母さんが事故に遭ったなんて知らなくて、保育園で友達と遊んで笑ってて」
「保育園行くの渋って、行く前に駄々捏ねたんだ。でも母さん笑って、帰ってきたら俺の大好きなプリン作っておいてあげるって、それで俺機嫌直して、さ」
「俺があの時我が侭言わずに保育園行ってれば、母さんは走って商店街に帰る必要無かったんだ。車に、撥ねられて、痛い思いすること無かったんだ」
「いつもは、こんな事考えてたって仕方ないって、思ってるんだけど、一人でいるとずっとこんなで・・だから、雲雀のいないマンションに帰れなくて」
「この時期の雨は・・・・・きらい」
最後に山本の呟いた『嫌い』が雲雀にはどうしたって『怖い』に聴こえて仕方がなかった。山本は雨を見るたびにあの日の自分から責められているような気持ちだったのだろうか。誰にも言えず、ずっとこうして雨の中一人膝を抱えて座っていたのだろうか。
・・・もしも気付かずにいたら、来年も再来年もその先もずっと雨に怯えていたのだろうか。
「嫌いで、いいよ」
こわくたって、いい。
「君が雨に気を取られてテレビの面白い所を見逃したら僕が教えてあげる」
「雨を見たくなくて目を閉じてそのまま眠ってしまったら毛布を掛けてあげる」
「どうしようもなくなって逃げ出したって、必ず探し出してあげるから」
僕がいるってこと、忘れないで。
長時間雨に打たれて、すっかり冷え切ってしまった体をそっと抱きしめる。いつもはおずおずと回される腕も、今日は未だ自分の両肩を握り締めたままで。
帰ったらお風呂に入って、温まったまますぐに君を抱いて眠ろう。君の布団でも僕のベッドでもどちらでも構わない。雨の影が映る窓のカーテンはぴっちりと閉めて、耳につく雨の音は布団を被って遮断してしまおう。それでもダメなら本当はあまり人に聞かせるのは得意じゃないけど、子守唄でも唄ってあげる。
ねぇ山本、雨を遠ざける方法なら僕はいくつだって考えてあげられるから。
「僕達の家に帰ろう」
傘を右手に、山本の手を左手に携えての帰り道、自分よりも半歩後ろを歩く山本の気配を感じながら、先程雨が上がったばかりの少し咽るようなにおいの立ち込める田圃道に差し掛かったその時
ほわりと浮かぶ、小さく瞬く黄色い光。
「・・・蛍だ」
蛍は死んだ人の魂だと誰が言っただろうか。
ふと、繋いでいた山本の人差し指が小さく震えて。
だから僕は。
大丈夫 君のこの手を僕は決して離したりはしないよ―――。
おわり
5月後半から6月にかけて、母を思い出して不安定になってしまう山本。付き合っていても去年一年は別々だったから気付いてあげられなかったけど、今年は一緒に暮らしているから山本の変化に気づく事ができた雲雀さん。
もう来年からは怖がらなくていいからね。
6月山本月間の『強い君の弱さを守ってあげ隊』第一弾は雲雀さんでした。
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