小説<ヒバ山僕シリーズ&ヴァリ山>
今夜、何食べる?(七夕24×23ヒバ山)

 あ〜、また減った。


 そんな声が洗面所から聴こえて、雲雀は台所へ向かおうとしていた足の向きを換えた。
現在、朝6時00分。
プロ野球選手になって5年目の恋人殿は、お泊りし、どんなに乱れ疲れた朝も、ストレッチとジョギングは欠かさない(本人曰く、いつもより軽めに済ませているらしいが)。
毎朝5時には目覚め、ランニングするのは、中学生の頃からの彼の日課なので、この時間帯にはもう帰ってきて朝ごはんの支度をしているのが常。けれど、現在の山本は食事のしたくはおろか家事は一切しておらず、暇を持て余すようにトレーニングに励んでいた。
その彼が洗面所で上げた声。
「どうしたの?」
雲雀は開けっ放しのドアからひょっこり顔を出し、中を覗きこんだ。
「雲雀ぃ〜・・・。体重が、また落ちちまった〜」
「え?何キロ?」
「・・・69」
「こりゃまたエロい数字って言ったらいいのか、よくも僕の大嫌いな数字を叩き出してくれたもんだと嘆いたらいいのか・・・」
「冗談言ってる場合じゃねえって。切実なんだぜ〜」
ランニングから帰ってすぐにシャワーを浴びたらしい山本は、上半身裸で体重計の上にいた。186センチの身長に69キロでは、スポーツ選手としてはやはり痩身だろう。まるでボクサーのように引き絞られた体から、ほんのり石鹸の香りが漂ってくる。
その右手首に、目にも眩しい白いギプス。話は2週間前に遡る。




 2週間前のPM1:28、山本は雲雀の家に泊まった翌日、地下鉄で練習場へ向かっていた。練習場に一番近い駅で下り、長い階段を速足で上って行く途中、上の踊り場で若い母親が、ベビーカーを畳んで赤ちゃんを抱いて下りようとしているのが見えた。
大変そうだ、手を貸してやろうか――なんて考える暇も無く、殆ど条件反射のように動き出した山本の前で、その母親が赤ん坊を抱えたまま体勢を崩した。
手から離れたベビーカーを追う母親の視線、僅かな油断をついてずり落ちそうになった赤ん坊。慌てて再び抱えなおそうとした母親が、階段から踏み外した靴のかかと。
落ちて来たベビーカーが山本の10段近く前を降りて来ていた会社員に当たり、驚いた表情で振り返る会社員の上から、迫り来る親子。
思いがけずぶつかられた会社員は、咄嗟に手を出したものの受け止めきれずに、そのまま3人が絡み合うようにして階段を落ちて行くばかりなのを、誰もが口に手を当て目を瞠っていた場面で、山本の足は階段を駆け上がっていた。
一番守るべきは赤ん坊だ。山本は咄嗟に赤ん坊をしっかり胸に抱く母親を抱き止め、母親と会社員を庇うように抱えながら、階段を下まで一気に落ち全身を強打、救急車で病院に搬送された。
幸い頭部に傷害は無かったが、いくら運動神経抜群の山本とはいえ、大人二人を抱えて段差を転がり落ち、あわせて100キロ近い体重をその身に受けたのだから、ただで済むはずがなかった。
肋骨にひびが入っていただけなら、まだ耐えられたが、なんと手首を骨折してしまっていたのだ(医師の話では、これが山本だから手首の骨折だけで済んだのだろうということだった)。
スラッガーが手首を骨折しては、お話にならない。
『並盛ファイターズ山本、人助けの階段落ち!』
スポーツ新聞の一面を飾った記事は、山本の人気を上げるのに一役買ってくれたが、監督の同情までは買えず。
怪我で使えない選手がベンチに居ても仕方ないので、リハビリが完了するまでの間、一軍登録を抹消されてしまった(本当はベンチで野次を飛ばすだけでも良かったのだが、監督に「お前は試合見ていると、体が疼いて治ってもいないうちから無茶な練習する奴だ。ダメ、絶対」とベンチから締め出されてしまったのだ)。
そんな訳で今現在山本は、少しでも早く完治するよう、出来るだけ手を動かさないように、治療と、取り敢えず腕以外の筋トレに専念している。
若さも手伝い、治りは早いと思われるが、それでも3週間以上罹るだろうという医師の診断。その上ギプスで固定されている手首は、骨がくっ付いたからと言ってすぐに以前のように動く訳ではないから、根気よくリハビリをする必要があるのだそうだ。
で、それでは何ゆえ雲雀が一緒に居るかといえば。
昨年の秋の終わりに手頃なマンションを探し、4年暮らした寮を出て一人暮らしをはじめた山本。もともと寿司屋を一人で経営していた父のために、小さい頃から家の中を手伝ってきていた彼に、一人暮らしで男が最初にぶつかる家事という壁は、難なく乗り越えられた。
だが、怪我をして利き腕を使ってはならないというなら話は別で、何をするにも腕を使わない代わりに気を使う――らしい。
そんな山本を見かねて、雲雀が手を差し伸べたというわけだ。
ところが根が働き者というか、じっとしているのが苦手な彼は、雲雀の邸宅に於いて、野球はおろか家事も出来ない状態ではストレスが溜まって仕方ないらしく、とにかく手以外の筋トレにものすご〜く励んでいる。ていうか、雲雀にしてみれば励みすぎなんじゃないかと思う。
そこで冒頭まで話は戻るのだが。




「君、トレーニングし過ぎなんじゃないの」
山本の足元にしゃがみこみ、体重計のデジタル表示を見た。
この体重計は体脂肪計も兼ねているのだが、絞りに絞り、無駄なものなど何一つ付いていない体は、なんと体脂肪率7%という数字を表示している。
「だってよ〜、何も出来ないって、苦痛だぜ〜?」
眉を寄せる山本の現在の住居は、先ほど言ったように雲雀の邸宅。そして家事一切は、その家主が行っていた。一軍の登録を抹消されてから、することといえば、治療だけ。骨がくっつかない内は、リハビリもできやしない。もともと“考えるより動け”な筋肉脳の山本だから、動けなくてイライラ。その上、いくら器用な山本でも左手だけでは満足な家事が出来ず、ストレスは増すばかり。
けれどそのくせ、山本は自分から救助要請なんか出したりしないのだ。こんな時でも負けず嫌いは健在で、雲雀は呆れるようにその足で屋敷へ拉致し、頼まれたわけでもない世話を買って出ているという訳だ。
はっきり言えば、草壁曰く『昔から、自分の興味のある事以外は全く動こうとしない恭さん』な雲雀からしたら、これは凄い事だ。愛以外の何物でもない。だが、山本に通じているかどうかは甚だ疑問である。
「君さ、食べてもそれを上回る量の運動していたら、体重が増えるはずないと思わない?」
「う・・・だって、すること無いから」
「じゃあ今からセックスしようか」
「何でそうなる!?」
目を真ん丸にした山本に、クックと雲雀は喉を鳴らした。
「嘘だよ、僕のせいで一軍復帰が遅れたなんて言われたりしたら嫌だしね」
「冗談かよ・・・趣味わりーぞひばり!」
「はいはい。ほら、行くよ」
立ち上がると、雲雀は山本の手を引いて(勿論、怪我をしていない方)台所に向かった。既に朝陽は台所の窓から流し台を照らしている。ステンレスに残っていた水滴が光を弾いていた。
「今日は何の味噌汁にする?」
「あ〜・・・昨日茄子買って来たよな」
「茄子ね・・・魚は?」
「今日は、ほっけ食いたい」
「了解。あと、なにする?」
「あのさ、昨日、いか買ったじゃん。いか納豆食いたい」
「じゃ、君はいか納豆ね。僕は残りのいか取っておいて、今夜酒のつまみに炙り焼きにするよ」
「あ〜!自分ばっか酒飲むのかよ」
「お酒飲むと怪我の治りが遅くなるって言ったの、君じゃない」
「ですよね〜・・・」
かくん、と大袈裟に項垂れて見せた山本を椅子に座らせ、雲雀は前掛けも着けずにいりこを入れた鍋を火にかけた。
洗面所で話している間に、時間は6時24分になっていた。出汁をとりつつ、おかずを焼いたりなんなりしていれば、あっという間に7時になるだろう。彼と一緒にいると、本当に時間の経過が早く感じる。
今朝のメニューは焼いたほっけに、山本はいか納豆、ご飯と茄子の味噌汁。ねばねば苦手な雲雀は、自分のために海苔と梅干を用意する。
健全な日本の朝食。でも、山本程に体を動かす運動選手なら、本当は朝からトンカツとかの方が良いのだろうが。
のんびり左手で二人分の湯飲みにお茶を注いでいる山本の前に腰掛ける。
ん?
首を傾げた山本は、お茶の一つを雲雀に差し出した。
「夕べはステーキ食べたよねえ。それも君は二枚も」
「ん、食べたな」
「あの肉、一体君の体のどの辺りに付いたんだろう」
「ん〜・・・さあ?」
すり、と擦ってみる腹部はまっ平らだ。
「はぁ・・・今夜は焼き肉かな」
「え〜?また肉〜?あ、じゃあ俺ホタテと海老多目に食べたい!」
「焼肉だって言ってるんだから、肉だけ食べてなよ肉だけ!」
「そんなぁ!」
そうなのだ。実家が寿司屋の彼は、少年期から肉より魚が食卓に並ぶことが多かったらしく、大層な魚介好き。勿論魚は良質なたんぱく質を沢山含んでいるから、食べて悪いところなんぞ一つも無いだろうが、太りたいならやはり肉を食べるべきだろう。
しかし長年培われた食生活を変えろというのは難しいらしい。一番肉を欲する年齢及び肉体を酷使するスポーツマンであるはずにも関わらず、山本は2日も肉が続くと魚介類を食べたがる。曰く、体が魚寄越せーーーっ!!と叫んでいるとか。
昨日はステーキ、一昨日はカツ丼、だから今日は肉より魚介な気分なんだろう。
それならば手っ取り早く太らせる手段として洋菓子を食べさせ糖分を取らせようにも、山本は甘いものを余り好まない。雲雀がお茶を淹れれば、付き合いで和菓子を食べたりはするが、もともと幼い頃からおやつは甘い菓子やスナック類よりも茎ワカメやすこんぶ、果物が多かったそうなので、今もそのように癖がついているという。
つまり「また減った」は、摂取するカロリーを運動で消費するカロリーが上回ってしまっている結果なので。
「動かなきゃ良いと思うんだけどねえ」
「ん?」
「・・なんでも」
これで家の中でじっとしていろなんて言ったら、ストレスで暴飲暴食に走ったりしないだろうか。普通は困るところかもしれないが、山本に限ってはそれも良いんじゃないかと思える。
話している内に、時計の針は大分進んでいた。いりこを取り出し、味噌をといて茄子を入れる。
コンロで焼いたほっけを四角い皿に乗せると、山本が器用にも二皿を指で重ねるように挟んでテーブルへ運んでくれた。
その様子を見ていた雲雀が、かちりと菜箸を流しに置いた。
「・・・野球バカな君が、野球が出来ないこの状態を、嘆いたり愚痴ったりはしないんだね」
怪我が最短3週間で完治したとして、リハビリも合わせたら一軍復帰には更に時間がかかる。
人助けは誉められるべきだけれど、仮にも野球で飯を食っているプロの選手が、野球以外でこんなに大きな怪我をしてしまうなんて。
聖人君子じゃあるまいし、『階段を降りようとしている母親に、手を貸してくれる優しさを持った奴はいなかったのか』とか、『女、子供くらい受け止めろよ貧弱な会社員だな』とか、少しくらい愚痴を言っても良いのに、ここには自分しか居ないのに。
それとも、『俺がもっと頑丈だったら、こんな怪我をせずに済んだんだ』と変に自分を責めたりしないだけ、ましなんだろうか?彼も成長したのだと、喜ぶべきなのか?
ご飯と味噌汁をよそい、腰掛ける先は、定位置である山本の向かい側――ではなく、斜め左。長方形のテーブルの、長い方に山本、そして短い方に雲雀が座り、その雲雀の前にはご飯と味噌汁以外のものが(今日の場合はいか納豆と焼きほっけ、そして海苔に梅干)全て並べられていた。
「はい、あーん」
「あー」
「どう?焼き加減」
「ん〜丁度いいぜ。焼きたて美味い」
返事して、自分の手元のご飯をスプーンで口に入れる。
今でこそ、箸を近付ければ雛鳥のように素直に口を開ける山本だが、最初は照れくさがって、左手で箸を持とうと頑張っていた。
だがしかし、利き腕じゃない手では、箸じゃなくスプーンやフォークでも、ご飯や好物の魚を食べるのは非常に困難を極めたようだ。
テーブルに散らばり放題になってしまった魚の身を恨めしげに見つめていたあの顔は、怪我が良くなり、自分で食べるようになっても暫くは忘れられないだろう(可愛すぎて)。
「・・・別にさ、そんなん当たり前だろ?」
ごくり。あれだけ口に含んでいた物を一息で飲み込んで、彼が言う。
山本は突然思いだしたように、現在の自分たちに関係ないことを何処かから引っ張り出してきて話し始める時があった。だが雲雀は、長年の付き合いでその辺りを理解していた。
「人助けなら、怪我しても良いってこと?」
少しだけ、雲雀は眉間に力を入れた。冗談じゃない。それこそ、そんな自己満足な自己犠牲、止めてくれ。
「じゃなくて」
「なに」
「それでも、守るべきもの――だからだろ」
笑って、山本はもうひとサジ、スプーンで白いご飯を運ぶ。なにそれ。カッコいいこと言ったつもりかもしれないけど、口の端にご飯粒くっ付けていたら、決まらないから。
大体この男、判っているんだろうか。階段から落ちて全身打撲で病院に搬送されたと電話を受けた時の、僕の気持ちが。
目の前は真っ赤、周囲は真っ暗、「さすが恭さんは冷静ですね」なんて草壁は言ってくれたが、手術室から出て来た彼の笑顔を見たら、一気に力が抜けてその場にへたり込んでしまいそうになったくらい(実際はこちらの心配を余所に余りにもへらへら笑っていたから、一発デコピンをお見舞いしてやったけれど)本当は気が気じゃ無かったのに。
守るべきものを守ったばかりに、君を失ったりしたら、例え君が助けた命でも、僕は絶対許せなかったに違いない。
だけど、目覚めた山本が、僕の顔を認めてすぐに笑ったから。笑ってくれたから。
「それに、怪我のおかけで雲雀が甲斐甲斐しく世話してくれるしな!サンキュー雲雀!」
明るい太陽のような、中学生の頃と変わらぬ笑顔が眩しくて目を細める。そういうことをサラッと言い退けられるから、こちらの方こそ恨み言の一つも言えなくなってしまうのだ。
「どういたしまして」
「あ、それとさ雲雀」
「なに」
お次はいか納豆か?と、小鉢を手にすると、山本が少し困ったように眉を寄せて微笑んで。
「いか納豆のいかは、げそ丸ごとじゃなくて刻んで入れてくれると食べやすいのな!」


 山本がこの屋敷で生活している間に雲雀の料理の腕が格段に上がるか、大雑把な男の料理に痺れを切らした山本が手を出して怪我の治りが遅くなるか、果たしてどちらだろうか。
指先に何枚も貼り付けられた絆創膏を恨めしげに眺めつつ、それでも山本が目の前で美味しそうに納豆の粒のくっ付いたげそを頬張っている姿を見られる幸福を、白いご飯とともに味わう。
今夜、縁側で山本と夜空を眺めながら、一年に一度しか会えないという恋人たちを肴に、炙ったいかをかじりながら飲む日本酒は


格別に美味いだろう。




おわり
七夕のヒバ24×山23でした。タイトルはもちろんあの作品から。
単に雲雀さんから「はい、あーん」をさせたかっただけ。
山ヒバっぽいけど、ヒバ山です!
(H230707脱稿)

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