[携帯モード] [URL送信]

君のため
8※



 「お前なんかが弥生に近づいていいと思って――」


 「あの...ごめん、この手離してくれないかな。ちょっと息苦しくて...」



 ゆっくりとした動きで和史の手首を掴む、千麻。
その瞬間、和史は眉間にしわを寄せパッと胸倉を掴んでいた手を離した。



 「ふぅ、離してくれてありがとう。えーと、和史君、だっけ?ごめんね。俺、なんか君を怒らせちゃったみたいだね。
さっき机を叩いたみたいだけど怪我はなかったかな」


 どこか他人行儀な態度を和史にとる千麻。そこで、ふと俺は疑問が浮かぶ。
 先ほど千麻は俺と晴紀のことは知り合いだと公言していたが、和史のことは一切触れていなかった。

 ...なぜだ。なぜ、和史だけを。



 まるで千麻と和史は今、初めて会うかのような態度。
 いや、しかしそんなのはおかしい。
だって、初めて千麻と会った時、そこには俺や晴紀はもちろんのこと、和史もいたのだから。
しかも、たしかはじめに千麻に手を出したのも和史だったはずだ。

 千麻が和史を知らないはずがないのに...


 「...ちっ」



 そんな千麻の態度に和史も何か引っかかったのか、不機嫌そうに眉間を寄せながら1人、早足でその場を去っていってしまった。

 どこか動揺を隠すかのような足取りに俺は少し驚く。まるで、それでは和史が千麻から逃げたようにも見えたから。



 「あ、あの...」


 「あぁ、本当気にしないで!君が気に病むことはないよ。それじゃあ、俺もそろそろ行こうかな。
汚れを落としにいかなきゃだしね。なんだか騒がせてしまってすまないね」



 晴紀に抱きつかれたまま弥生は千麻に声をかけるが、当の本人はさわやかに笑いその場を後にしようと踵を返し始めた。

 そこで漸く俺は張り詰めていた息を吐き出し、安堵する。...が、



 「あ...僕、沙原 弥生っていうんだ!!君の名前を教えてくれないかっ?」



 急に弥生はゆったりと歩く千麻の背中に向けてそう大声を出した。
 弥生は普段そういった目立つ行動をしないため、俺と晴紀は驚いて目を張る。



 「俺のことなら永妻君と綾西君が知ってるよ」



 後ろを振り向きニコリと笑う千麻に俺は焦りと恐怖を感じた。それは晴紀も同様らしく、先ほどまで目を見張っていたのに
今は視線を下げ、視界から千麻を消し去っていた。

 再び歩き出す千麻。そして、その姿を名残惜しそうに見つめ続ける弥生。


 その頬は僅かに赤く染まっているように見えた。



 「嫌、だ...っ」



 耳の奥で、あいつの笑い声が聞こえた気がした。




[*前へ][次へ#]

15/62ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!