それは幸福
9
「僕はやっぱり君が好きみたい」
千晶は目の前に立つ春海を抱きしめ笑う。
「もう絶対に離さない」
近距離で見つめ合う2人はやがてキスをして...
「はい、カットー!」
そのまま2人からカメラが引いていくのと同時に監督の一声が掛かる。
そうしてスタッフ、俳優陣一同わっと歓声が上がった。
「これで長かった撮影も終わりかぁ」
春臣の隣で2人の最後のシーンを見ていた京太は感慨深い顔をして1人頷いていた。
「千晶も今回の撮影で良い影響もあったみたいだしな。」
スタッフに囲まれる千晶を横目に春臣は何も言わずに京太の話に耳を傾ける。否、その話題にはあまり触れたくなかったが無視するわけにもいかず聞き役に徹していた。
「千晶も大分素直になってきたからね。歳は近いけど春臣も僕にとっての弟というか、息子みたいなものだから。そんな春臣と千晶が仲良くしてるのを見るのはやっぱり嬉しいな」
感無量だよ、と涙ぐむ京太に春臣はやや呆れる。大好きな京太だが、依然として春臣と千晶の仲を勘違いをしていることについては甚だ遺憾である。
「藤堂くーん!今日の打ち上げなんだけど予定通り来れそうかな?」
何も言えずに1人押し問答していれば、スタッフの1人に話しかけられた。これは助かったとばかりに春臣は笑顔になり頷く。
「もちろんです!もう朝から楽しみにしてました」
「よかったよかった!撮影終了の打ち上げなのにいやはや主役は来ないって言うからどうしようかと思ってたけど...でも藤堂君がきてくれるなら皆大喜びだよ」
「え、天宮君欠席ですか?」
思わず春臣は聞き返してしまった。打ち上げの参加については京太からは特に何も聞いていなかったし、当の本人ともその話題が出てくることはなかった為初耳であった。
− 映画の打ち上げで主役がいないって...どこまでも空気の読まないやつだな。
「そうなんだよ〜。残念無念ってね。あっ、でも藤堂君が誘ってくれたらもしかしたら来てくれるかな!天宮君、藤堂君にだけは心を開いてる感じがするし」
名案だとばかりに手を打つスタッフはニンマリとした笑みで春臣を見つめる。
その瞬間、笑顔の下の春臣の本性は心の中でその顔面に唾を吐きつけた。
しかし明るく元気で皆に優しい春臣である今、それを断ることなどできず。
「俺ができることならなんでもしますよ!ちょっと聞いてみますね」
そういえば安心したのか、返事がわかったらすぐ教えてとだけ言って男はどこかへ歩いて行ってしまった。
− 俺としては千晶がいない方がいいんだけど。いいじゃん、本人が行かないっていうんならそれはそれで。印象悪くなろうがどうなろうがどうでもいいってことなんだろ。
千晶に対する悪態は止まらない。
それでも約束してしまったからには聞かないわけにはいかなかった。
映画もクランクアップとなり、恒例の大きな花束を持った千晶はしばらくするとスタッフや俳優陣から解放され1人京太と春臣の元まで歩いてきた。
「お疲れ様、すごくよかったよ!映画撮影も長かったけど、終わってしまえばあっという間に感じてしまうね」
「まぁね」
京太は千晶から花束を受け取ると「僕は社長と次の打ち合わせの電話があるから」と2人を残してその場を後にした。
「お疲れ様、天宮君。また共演する機会があったらよろしくね」
首を傾げてニコリと笑うが、いつも通り千晶からはなんのリアクションもない。
ここまでくれば千晶の視界に自分が入っているのかどうかさえ怪しいところである。
正直言えばこれで目の前の男と別れてしまいたかったのだが、“皆の藤堂君”にはまだ仕事が残っていた。
「ところで天宮君は今日は何か用事あるかな?もしもなかったら撮影の打ち上げがあるから一緒に参加できないかなって思ったんだけど...」
元々不参加だと言われていただけに、どうせ自分が誘ったところで参加するわけがないであろうことはわかっていたのだが、いかんせん頼まれたからにはお座成りにすることはできなかった。
いつも通りさっさと断ってもらってこの場を立ち去りたかった春臣であったが...。
「...別にいいけど」
「...えっ、いいの?」
返ってきたのは思わぬ言葉。まさかの言葉に春臣はつい聞き返してしまった。
− どういう風の吹き回しだよ。
「あんたも行くんだろ」
「あぁ、もちろん参加する予定だけど」
「それじゃあ行く時声かけて。俺時間になるまであんたの部屋で本読んでるから」
それだけ言うと用は済んだとばかりに千晶はさっさとその場を後にしてしまった。
−最後まで別行動はできないってか。
思わず出てしまいそうになるため息。それをぐっと飲み込むと千晶の参加を伝える為スタッフの元へと歩いていった。
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