初雪の下で
初雪の下で
「嘘つき!!人殺し、この人殺しめ!!あなたは夫を見殺しにしたのよ!救うって...救うって言ったのに、」
キンキンとした、高い声。ヒステリーなその声はまひろを責め立てる。
“スイマセンデシタ”
そんなまひろの口からは、感情のない、機械じみた声しか出なかった。何度も何度も何度も、繰り返す。
女はまひろの胸を強く叩き続けた。隣に居た小さな子どもは泣きじゃくっていた。
悲痛な声は、すでに死んでいたまひろの精神をさらに追い込む。
「返して!!伊吹さんを返してよぉ...」
最早、それは八つ当たりでしかなかった。逃亡した犯人に向けることのできない怒りを全てまひろにぶつけていた。
そうしているうちに駆け付けた医師や看護師によって、まひろは女から離された。
覇気のない顔。黒く濁った瞳。誰しもがまひろを心配し、温かい言葉をかけた。しかし、それらも今のまひろに届くことはなかった。
ふらふらと目的もなく院内を歩く。未だに処置の終えていない重軽傷者がいたが、まひろは目を向けることなく歩き続ける。
「雪か、」
ふと、外を見れば寒空の下、今年初めての雪を見た。ふわり、ふわりと降る雪はとてもきれいに見えた。
そうして求めるかのようにまひろは目の前にあった外へと続く扉を開ける。
開けた瞬間、冷たい風が頬を掠めた。そこは屋上だった。舞い降りる雪が地面に転々と染みをつくっていく。
「また、初雪か...本当思い出深いな、」
初雪の下で伊吹と付き合い、その2年後同じ初雪の下で別れを告げられた。
まひろの体は、音もなく再び歩み始めた。...フェンスの外へと。
あと一歩踏み出せば、そこはもう自由の世界だった。苦しみも何もない。伊吹のいないこの世界に未練などなかった。
ゆっくりと体が前へ傾いていく。
「 ま ひ ろ 」
「...ッ、伊吹、」
だが、寸前で愛しい声がまひろを呼び止めた。まさか、と思い後ろを振り返るが、そこには誰もいない。
まるでまひろの死を止めるかのように、聞こえた声。
しかし...
「 もう、おいて行かれるのはごめんなんだ 」
まひろは躊躇なく空中へと身を投げ出した。
その時、頭の中を巡ったのは、伊吹との楽しく幸福に満ちた思い出だった。辛く、苦しいものなど一つもない。
― あぁ、幸せだ
灰色の空に真っ白な粉雪。しかし地面に散るのは真っ赤に染まった粉雪。
口元に浮かぶのは微笑み。
そしてまひろは初雪の下で再び伊吹の背中を追いかけた...―――――
end.
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