サキュバス日記
淫魔と浴衣 up!
○月×日
夕方。
早めにアパートに帰ると、サキュバスがいつも以上のにやけ顔で迎えた。
「エヘヘ、おかえり〜」
めずらしく全裸ではなかった。
浴衣を着ていた。
しかし、着ているというのだろうか、自分ひとりで着ようとしたのだろう、かなり着崩れしている。そのままではとても表を歩けない程度に。
今夜は近くでささやかな花火大会がある。
それに行くために浴衣を買ってもらってくるので早く帰ってこいということだった。そのこと自体は前々から言っていたのでバイトの休みはとっておいた。花火の日なので、デートかと冷やかされたが適当に濁しておいた。イベントの日などは正社員が割りを食うことが多い。申しわけない気持ちはあるが、ボーナスをもらっているぶん頑張っていただきたい。
買ってくれたのはパトロンかなにかだろうか。そのへんは「企業秘密」と言って教えてくれない。家にいないときのサキュバスはすべてが謎である。
サキュバスはペタンと床に座り込んで見上げている。浴衣を着ようとしたがうまく着れなくてお手上げ、といった状況のようである。
全裸姿は見慣れているのに着崩れした浴衣というのは新鮮でエロいものだ。
しかし、どうしたものか、花火にはどうしても行きたいらしく、かといって全裸はありえない。常識の範囲内で表を歩ける程度に、つまり警察に通報されない程度には着付けなくてはならない。そんな期待に満ちた目で見ても、こっちも浴衣の着方などわからないぞ。
「ここをこうして……ふつうに着れるだろ?」
浴衣自体は帯も面ファスナーになっているし簡単な構造のものらしい。おそらく着るもののことを考えたチョイスと思われる。しかし、体型が和装に合っていないのだ。今回は巨乳というか爆乳が仇となっている。
「お、おっぱいが、おさまらない」
「……だな」
ネットで調べると、大きな胸はタオルなどを巻いて押さえつけるらしい。逆に腹には膨らむように巻いて胸との段差を極力無くさなければならないとある。格好良く着るにはそれなりの技術が要りそうだが、この際、街に出れればそこまでは望まない。
薄いタオルがいいらしい。いまあるぶんでは足りないようだ。
「ちょっと、タオル買ってくる」
「……うん」
サキュバスは「こんなはずでは」と少し申しわけなさそうだった。
「あら」
「あ、こんにちは」
部屋を出ると、ちょうど隣のお姉さんも扉を開けて出てきた。
木下貴音(きのした たかね)。小柄で若く見えるがおそらく二十代後半、もしかしたら三十にとどいているかもしれない。外出時間、帰宅時間が合わないため顔をあわせることは滅多にないが、たまに見かけるときはスーツ姿なのでOLだろうと思ってる。しかし今日は――。
「浴衣……」
「あ、うん」
木下貴音は浴衣を着ていた。いつもはうなじのところでまとめている背の中ほどまでの真っ直ぐな髪も今日は結い上げていた。
「木下さんも花火ですか?」
「ええ、『も』ってことは閑原(しずはら)さんも?」
「はい……そうなんですが」
あまり親密ではない隣人に言っていいものかどうか躊躇したが、思い切って現状を話してみた。
「なるほど、これは難しそうね」
部屋に入るなり木下さんはサキュバスの胸を見て言った。
「胸、大きいのね。うらやましい」
そう言う木下さんはあまり無い。いや、浴衣をきれいに着こなしていると言うべきだろう。
「限度がありますよ」
「少し分けてくれたらお互いちょうどいいのに……いや、半分こでも持て余しそうね」
そう言いながら、木下さんは自室から持ってきたタオルを引き絞った。
「タオルをおなかに巻いて、つぎに胸が目立たないように胸に巻いて押さえつけて」
「むぎゅうぅ」
サキュバスはしかたなく木下さんのなすがままになっている。
「和装用のブラがあるんだけどねー。浴衣着るのが初めてなら持ってるわけないか」
「ブラジャー持ってない」
「ワイヤーの入ってないスポブラみたいなのでもあればいいんだけど」
「ブラジャー持ってない」
「大きいからねー。合うのを探すのが大変そう。いっそサラシかなぁ。使ったことないけど」
ふたりの会話を聞いていて、あらゆるブラジャーを持っていないということに気づかれないかハラハラした。
「あら」
木下さんが下に向けた視線をそらした。
「パンツも穿いてないのね」
「あ、着物のときは穿かないというポリシーがあるみたいで」
サキュバスがなにか言う前にとっさに取りつくろった。
木下さんは「ふーん」と言ってなるべく下を見ないように作業をつづけた。
「少しぽっちゃり体型になっちゃうけどしかたないわね。襟元を鋭角に合わせるといくらかスマートに見えるみたい」
結局、お姉さんもインターネットで調べながらの着付けとなった。最後に髪も結い上げてくれた。
「ま、美容院でやるようにはいかないけど、こんなもんでどうかしら」
「すいません、お手数おかけしました。待ち合わせとか時間大丈夫ですか?」
浴衣を着てひとりで花火見物とは思えなかったので聞いてみた。
「待ち合わせ? あ、うん。大丈夫、大丈夫」
彼氏か、友達と一緒に行くのかと推測したが、反応からすると違ったかもしれない。もしや「現地調達」だろうか。
「彼女?」
木下さんが肘で脇腹を突いてきた。
「いや、まあ、幼なじみなんですよ」
かなり返答を濁した。同居しているとも言いづらい。目の前で全裸で着付けとかしているのだから、ただの幼馴染みではないと思われたはずだ。サキュバスが「お兄ちゃん」とでも呼んでくれれば別だが。「幼馴染みの彼女が一緒に花火を見るために遊びにきた」と受けとめられたのではなかろうか。
今後、こんなふうに出かけることがあれば、木下さんの目に止まることが多くなるかもしれない。「ちょくちょく遊びにきている感」は出しといてもよさそうだ。
「それじゃあ、行きましょうか。まあ、目的地はおなじとはいえ、あたしはおじゃまにならないように別行動しますけど」
木下さんはそう言って笑った。気さくな感じはしていたけど、いい人そうなので安心した。
「ありがとうございました」
「アリガトウ」
ちゃんとサキュバスもお礼を言えた。よかった。
一瞬だが、木下さんの視線がサキュバスを凝視するように止まったのでギクッととしたが、すぐに笑顔になって「じゃ、お先に」と言って片手を上げて出ていった。俺もサキュバスの姿を確認した。大丈夫だ、ツノも牙も、もちろん翼も出ていない。
「エヘヘ……どう?」
サキュバスは嬉しそうに両手を広げて浴衣を見せた。
寸胴でかなりおデブなシルエットになってしまっているが、裸ばかり見せられていた身としては、新鮮で悪くない。和装は似合わない体型なのだろう。そもそも浴衣というものは誰がきても良いものなのだ。
「外を歩くときは、服は着てたほうがいいな」
あたりまえの感想を言った。もっと褒めるべきなのか。まあ、本人が嬉しそうだからいいか。
ふと、子どもの頃に見た薄葉早希(うすば さき)の浴衣姿がオーバーラップする。体型はまったく変わっているが。
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