Pandemic
(3)
いま、こちらへ歩いて来ているのは緋邑那由子であって緋邑那由子ではない。
乱れてはいるものの長い黒髪はそのままだが、澱んだ眼差しにはかつての知性の光は一片も無かった。
僕は彼女の姿を見て、いたたまれない気持ちになった。
制服は着ているがところどころ破れ、胸元がはだけている。
本来の彼女であればこんな姿は決して人には見せないだろう。
何よりも痛ましいのは白いソックスが太股の内側を伝ってきた血で赤く染まっていることだ。
感染しているということは、つまり犯されたということである。
生理中ということも考えられるが、男の噂など聞いたことがないので、おそらく処女だったのではないだろうか。
僕は思わず目をそらした。
彼女をこんなにしたやつらが許せなくて、爪が手のひらに刺さるほど拳を握りしめた。
緋邑那由子が目前まで迫ってきた。
背後は落下防止用の柵である。
彼女を振りきっても、階下には感染者がひしめいている。
無事に校舎から脱出することを半ば諦めてはいたが、感染者を間近に見ると躰が勝手に震え出した。
彼女が下から覗き込むように顔を近づけてきた。
どんな目に合わされたのだろう、唇の端が青紫色に変色し血が滲んいる上、毛細血管が切れて片目は真っ赤だった。
「シき……モリ、く……ん」
驚いたことにその唇から言葉が発せられた。
感染すれば完全に知性は無くなるものだと思っていたが、彼女は僕が誰だか分かっているらしい。
僕の頬を包むように両手のひらを伸ばしてくる。
手の甲や指関節の辺りも傷だらけだった。
「ナゆこ……よご、レタ……」
犯されたことを言っているのだろう。
いっそう胸が苦しくなった。
「でモ……スキ」
彼女の目に大粒の涙が溜まっていた。
このくらい理性が残っているのならまだ病院に行けば助かるのではないかと思った。
「すっ……すきっ、すきすきすきすきスキスキスキスキスゥ!」
だが、甘かった。
彼女は僕の顔を抑えると唇にむしゃぶりついてきた。
「情熱的」という言葉を遙かに越えた激しさで唇を貪り舌で力強く舐め上げる。
犬が飼い主の顔を舐めるよりひどい。
彼女の躰を手で押し退けようとするが、僕の頭を掴んでいる力のほうが何倍も強く離すことができない。
押す手が彼女の柔らかい胸を裂けた制服の上から掴んでいるが気にしている余裕はない。
「痛いよ、緋邑!」と言おうとして口を開いたため舌の侵入を許してしまった。
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