Angel Voice - 神様の失敗 - 姫ちゃんの憂鬱(6) 榛子がもう一歩近づいてきた。 だが、それ以上は動かない。 手に持った包丁も振りかざすでなくだらりと提げたままである。 「……榛子さん」 姫ちゃんは息を呑んで躰を硬直させた。 「ねえ……お願いよ」 榛子は変わらずぼんやりと呟いている。 向かい合うふたりは容姿が少し似ていた。 それはつまり姫ちゃんの母親「姫香」に似ているということである。 真之は兄に奪われた(と思っている)姫香のことが忘れられず、それと似た女と結婚したのだろう。 前向きに考えれば、単に「こういった顔立ちの女が好み」というだけのことかもしれない。 しかし、榛子は生前の兄夫婦を見る真之の眼差しを知っている。 それによって、自分が姫香の「代わり」であるということを十分感じ取っていた。 姫香は居なくなったが、今度はその子が、「息子」であるにもかかわらず真之との間に立ちはだかっているのである。 榛子にしてみれば、理不尽と叫ばざるを得なかった。 「榛子さんから真之さんを盗るつもりなんてありません」 姫ちゃんにとっては当然過ぎて馬鹿馬鹿しくさえなる答えだった。 しかし、現実にやっていることを思えば、榛子が簡単にそれを信じるとは思えない。 かといって、「無理矢理やられてます」と言っても信用しないだろう。 榛子にとって、真之は「何も悪くない」のだから。 「……本当?」 「本当です、約束します」 「じゃあ、女の子の格好もしないのね?」 「そ……それは」 それとこれとは別の話である。 姫ちゃんは叔父を誘惑するために女装しているわけではないのだ。 しかし、それを榛子に理解しろというのも無理なのだ。 「うっ……」 姫ちゃんが口ごもると、榛子は口に空いているほうの手を当てボロボロと涙を溢した。 「酷いわ、歩夢ちゃん……やっぱり」 「ち、違います! 分かりました、女の子の格好もしません」 その場しのぎの言葉だったが、命にかかわるかもしれないので今はそう言うほかなかった。 「本当?」 「はい、約束します」 念を押すように何度か同じようなやり取りをした後、ようやく榛子は落ち着いて来たようだった。 落ち着いた、というより正気を取り戻して来たというべきか。 そのときになって、まるで今初めて気付いたように手に持ったものを見た。 「あら、あたしったら、どうしてこんなものを……」 そうぶつぶつ言いながら、もう姫ちゃんのほうは振り返りもせずに部屋から出て行った。 姫ちゃんはドアに鍵を掛けるとベッドに腰掛け、疲れ切ったようにばったりと横になった。 [←back*][#next→] [戻る] |