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ソラゴトモノクロ
47 零崎登場


劇場の座席はあたしにとって最高の障害物。
糸を引っ掛けて両岸の剣を固定する。
それを支えに回し蹴りを背後の同岸に決めた。
両岸が腕が拳を打ち込む。あたしは糸を回収して距離を取ろうとしたが立て直した二人が向かってくる。
両岸には剣で、同岸には蹴りで相手。無意識にあたしは身体を動かして対応する。

両岸の剣は一筋縄ではいかないので糸で動きをなるべく封じるが未熟な曲絃糸の上右手だけでは効果的ではない。
すっかり忘れていたが両腕はダメージを喰らっている。

もう十分は経った気がするが、これ以上やるのはあたしには更に更に不利すぎる。
だからなんでこんな差をつけられてるのにこんなことをしなきゃいけないんだ。
捕らえた時に座席に縛り付ければよかった。

ドガッ。

同岸の肘が右脇腹に入った。
そのまま先程の壁に叩き付けられる。
「ぐ……ぁっ…」呻きつつも立ち上がろうとしたが疲労がダメージが蝕み身体が重い。


「同岸、その右手踏んどけ。厄介だ」
「………」


手袋をした右手を同岸に踏みつけられる。


「ししししししししっ!これでやぁーと遊びは終わりだな、おじょーちゃん。割りと楽しかったぜ、ししししししししっ」


余裕を取り戻した両岸が笑う。にんやりと口元をつり上げて笑った。
そうか。楽しかったか。殺されなければあたしも楽しかったと言えるのだが。これでも、インドア派でもあたしは身体を動かすのは嫌いじゃない。ボロボロになるのは嫌いだ。


「おじょーちゃん、名前を聞いてやる。ここまで楽しませてくれた目撃者は初めてだ。聞いてやるからちゃーんと答えろよ、ししっ」


まだ名前を聞いてくれるのか。こだわるな。名前。


「…………零崎……恋識……」


 コブラの中で潤さんが言っていた名前だ。もしも《零崎》になったあたしの名前は何になるかを何故か考えていた。
可愛いから“愛識”にしようだとか恋する乙女だから“恋識”にしようと。
《零崎》になるなと言ったくせに名前を考えていた潤さんだった。
こいしき。いい名前だ。恋しい。恋しき。ふふ、笑っちゃう。


「ちぇ。まだ零崎と言うかよ、全くおじょーちゃん頑固だなぁ」
「頑固だよ……嗚呼、でも遺言は変えてもらえるかな?」
「し?」
「零崎人識にさぁ、愛してるって伝えて」


あたしは微笑んで遺言を両岸に伝える。伝えたかった。一番の言葉だ。
せめてそれだけを伝えたい。


「愛してる…………人識…」


君のシナリオを幸せに変えられなくて、ごめんなさい。君に貰ってばかりでした。ごめんなさい。ありがとうございました。好きです。大好きです。愛してます。貴方は大切な人です。


「………………………」

「………………しししししっ。おじょーちゃん、わっけわからねー。ま、伝えておくさ、じゃあ……ばいびー」


顔を伏せたが目は閉じない。閉じることは考えなかった。
人識くんしか考えていない。
思い出だけでも、彼を思い出させてくれ。彼に会わせてくれ。

「友恵ちゃん」
「なぁに?人識くん」
「俺のこと好き?」
「好き。大好き。愛してる」


聴こえる彼の声。愛してる。
愛してます。人識くん。
君に幸せな終わりがきますように。


────────────…。


「!!」

「!!」

「!?」


爆音が聴こえた。
竹河兄弟が吹き飛んだ。派手に。スクリーンにまで吹き飛ぶ。
あたしの曲絃糸ではない。爆弾でもない。何が起きたかわからない。
唖然と吹き飛んだ彼らを見る。

「な、なんだ…っ!」

声を発するものの二人は起き上がりもしなかった。何が起きたのだろうか。

不意に“何か”に気付く。

戦慄を、した。

冷や汗が落ちる。

恐る恐るあたしは、竹河兄弟が吹き飛ばされたとは逆の方向に、顔を向けた。

コツン。と“何か”が歩み寄る。


「────悪くない」


出口の方から男が歩み寄る。軽いウェブのかかった黒髪に燕尾服の男がこちらにくる。その手には、バイオリン。


「新しい《零崎》の少女を助けるのも、悪くない」


そう男が告げる。戦慄。その“存在”に身体が恐怖する。


「ち、くしょう……てめぇ!何者だ!?」


両岸がやっと起き上がった。しかし座席にへばりつく身体は痙攣している。


「今のを喰らっても起き上がるとは、悪くない。僕は零崎曲識」

「っ!!まじで零崎かよっ!!」


零崎曲識。《少女趣味(ボルトキープ)》。音使い。
竹河兄弟を吹き飛ばしたのはそのバイオリンだ。恐らく、バイオリンからの衝撃波。
それは解った。解ったが解せない。
どうしてこの人がここにいるんだ。
あたしの予定に人識くん以外の《零崎》と出会うのは毛ほどもなかった。だめだ。

名乗りを聞いた直後から何十回、何百回、何千回も後悔した。


「《妹》を助けるのは、悪くない。しかしお前達は僕に殺されるための条件を満たしていない。ふむ。どうしたものか」


独り言のように呟く零崎曲識が、あたしを見たが、既にそこにあたしはいなかった。

全力であたしは出口に向かって走り劇場から抜け出していた。





 

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あきゅろす。
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