[携帯モード] [URL送信]

ソラゴトモノクロ
103 にげないで


───コン、コン。

ノック音に起こされた。深夜は回っている時刻だっていうのに、訪問者?無視しようとしたがもう一度、ドアが叩かれる。
春日井さんは無視を決め込んでいるから、ぼくが出るしかない。
寝惚けた身体を無理矢理起こして、ぼくはドアを開けた。
開けた瞬間にドアを叩いた人物が中に踏みはいったからギョッとした。
暗くてよく見えない。誰だ?

「かくまって、いーくん」

弱々しい声。それでも、友恵ちゃんの声だとすぐにわかった。

「友恵ちゃん?」とぼくは友恵ちゃんに触れたら、ぬめっとしたものに触れてしまい慌てて放す。
どたんっ、と友恵ちゃんは倒れたらしい。

目が覚めた春日井さんが電気をつけてくれれば、友恵ちゃんが見えた。


──ずたぼろだった。獣に襲われたかのように服が破れている。身体中に切傷があり流血していて血塗れだ。

「な、何があったの?」
「お願い……姫ちゃん達には内緒にして……お願い」

友恵ちゃんは疲れたようにそう唇に指を立てて言った。

「仔猫ちゃん。オス猫にでも襲われたのかな?」

この人は。ぼくは睨んだが春日井さんの軽口に、友恵ちゃんはクスリと笑う。

「そんなところです、春日さん。お酒とつまみを買ってくれません?口止め料として好きなもの買ってください」

そう言って友恵ちゃんは鞄の中から紅い財布を取り出して渡した。

「氷結とするめがいいな」
「友恵ちゃん…君は十八歳じゃなかったっけ?」
「かたいこと言わないでよ、いーちゃん」
「じゃあ買ってくるね」

春日井さんは友恵ちゃんの財布を持って部屋を出ていった。
友恵ちゃんは動かない。事情を話そうともしない。怪我を気にした素振りもせずに横たわって目を閉じている。

「……友恵ちゃん…もしかしてそれって…出夢くんにやられたの?」

「うにゃ?──嗚呼、出夢くんに会ったんだ」

その名を口にすれば友恵ちゃんは初めてぼくを視界に入れた。眠そうな眼でぼくの頬に血に濡れた手を添える。

そこには昨日──いや、一昨日、出夢くんに遭遇してつけられた傷がある。それと同じ傷が彼女の身体中にあった。
《人喰い》の出夢くんにやられたのか。

「どうして?理澄ちゃんを助けた恩で、ぼくはこれだけで済んだのになんで」
「喧嘩しただけだよ」

友恵ちゃんは冷めたように答えた。喧嘩しただけだと?あの殺し屋と?

そう言えば昨日、いや一昨日哀川さんが言っていた。
《匂宮》について、友恵ちゃんなら知っているはずだと哀川さんが言ったのだ。
『聞いてないのか?えーたん、先月殺し屋と遭遇したんだぜ。少なくとも《匂宮》は知ってるはずだ。えーたん、何かと零崎くんから聞いてるらしいな』
本当に知っているらしい。

友恵ちゃんは知ってて、あの時理澄ちゃんを追い掛けたのか。
追い掛けてそれから──なんでこうなってるんだ?


「一体なにが」
「──ねぇ、どうして?」


質問する前に友恵ちゃんが質問した。ぼくの頬に手をやりながら眠そうな瞳で見上げた。


「人識くんは逃げていっちゃうんだろう」


口にしたのは、彼女が好きなアイツだった。


「人は一人では生きてけないんだよ、いーくん」


かと思えばぼくに言う。


「受け入れられたことを拒絶して、友達も恋人も家族もいらないと言い切るのは《強さ》なんかじゃない。《弱さ》だとそんなの」


友恵ちゃんは言う。なんだか叫んだあとみたいに掠れた声で呟く。


「他人と距離を置くのは臆病だからだ──失って絶望するのが嫌なんだ。怖いんだ。寒い。凍えちゃう。独りぼっちは寒い、凍えちゃう。でも、人は簡単に裏切る。消えていっちゃう。あたしはあたたかい場所から突き落とされる。希望から絶望へ、突き落とされるんだ。更に寒い、凍える。凍えて震える。震えて怯える。もう傷付きたくないって失いたくないって、絶望に突き落とされる痛みをもう二度と感じたくないから──」


ぼくを捉えなくなった瞳に涙が滲んだのが見える。
寒いと手が震えた。

「だから」と唇を震わせ「誰も踏み入らないようにって…距離を置いて過ごした」と言う。

他人と距離を置く。それを臆病だからと彼女は言い訳する。


「なのに──どうして?アイツが現れて…アイツが平気に足を踏み入れてアイツを受け入れて──あたたかい思いをしちゃった」


笑った。あの。諦めたような薄い笑みで。アイツ──人間失格。彼女の想い人。


「アイツだけじゃない。みいこさん達にあたたかい優しさをもらっちゃってる。どうしよう。失ったらきっと──一番痛い思いをするよね。今まで一番の絶望を喰うだろうね。初めからなければよかったなんて思うだろうね。…そう思いたくはない。なかったなんて思いたくはない。だから失わないように、大切に大事にして守りたい、足掻いてでも惨めで無様でも守りたいんだ、いーくん」


涙が滲んでも、瞳には意志が在った。生気が確かに在る瞳がぼくを真っ直ぐに見つめる。

「それは間違いかな?」

そう問われたって、ぼくにはわからない。わからない。
ぼくには答えられない。


「びびりながらも大事にしようとしてるのに、びびりながらもあたしが踏みはいったっていうのに、どうして──逃げちゃうの?風みたいに捕まえられなくって手の中をすり抜けて逃げちゃう」


涙が、零れそうだった。
だけれど友恵ちゃんは涙を落とそうとはしなかった。


「踏み入ったのだから、踏み入らせて」


丸く大きな瞳でぼくを見上げて、まるでぼくに言っているように聞こえた。
違う。そんなんじゃない。
ぼくには言っていない。ぼくのみなものむこうに言ってるんだ。
だって、ぼくは、彼女の中に足を踏み入れてなんかない。


「逃げないで」


瞼がゆっくりと閉じられる。


「大事だから。君を守りたい。逃げたりしないで」


逃げないで。

それをもう一度言って、ぼくの頬から手が、放れて床に落ちた。
友恵ちゃんはもう眼を開かない。小さく呼吸をする。
疲れはてて、眠ったらしい。


一体、彼女は何が言いたかったなんてぼくには理解できない。

わからない。

ただ、彼女の声が──言葉がやけに耳に残った。

 


[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!