35 桶狭間での戦から暫く、信長は落ち着いたところで鷹狩りに出掛けた。 共をつけて三十人ほどになっただろうか。 はっきり言って迷惑この上ない。 信長は数人で出掛けるつもりだったし、ゾロゾロ着いてこられても、満足に早駆けすることも出来ない。 陽炎は信長の馬の後ろに悠然と座りながら、欠伸をかいているし。 息抜きらしい息抜きが出来なかったことに落胆しながら、信長は清洲へと馬を向けた。 帰り道、町民が道を開け膝間づいて頭を下げている中に、一人だけこちらを見た人物がいた。 「……信長」 「うん」 陽炎も気づいたのだろう。 信長は小声で返事を返すと、ちらりと後ろを見やった。 信長に見られたことを気づいてないだろう男が、歩き去っていくところだった。 「今のは誰だ?」 共として一緒に来た、猪子兵助に声をかけた。 どうやら彼も気づいていたようで、後ろを振り向いた。 領主を見るということは、勿論不敬にあたる。 それを分かっていてしたとなると、何かしらの目的を持っていると考えるのは、自然の成り行きだ。 「あれは、おそらくでございますが、美濃の明智十兵衛光秀と申す者かと思存じまする」 「美濃の……」 見たところ、浪人暮らしのようだ。でなければ間者か。 後者の可能性は低いと思った。 なぜなら、患者ならば、敵の懐に飛び込まなければ意味がないからだ。町民に混じっている時点で、美濃を追われた浪人だと推測できる。 「ありゃ、濃姫の従兄弟だな」 「……濃姫の?」 後ろの陽炎の呟きに、信長は反応を示した。 「ああ、蝮の道三に可愛がられていた奴だったと思う」 となれば、道三が義龍と敵対したおりには、舅殿に付いた筈だ。それを快く思わなかった義龍に攻められて、美濃を追われたということだ。 「……なんの目的で尾張に来たのか、調べる必要がある、か………」 前を見据えたまま信長が呟けば、傍らにいた兵助がすぐさま馬を引き返して、男の後を追った。 「出来る男だな。あ、じゃないとお前の雷が落ちるからか?」 「俺、そんなに怒ってないと思うけど?」 陽炎の揶揄に、信長は小声で不機嫌に答えた。 「なんだ……不機嫌そうに見えるんじゃねぇか?お前、家臣の前だと結構無口だろ?」 確かに軍義とかはろくにしないけど、無口かと言われると違うと思う。雑談はしている方だから、無口ではないと思う。 「それは、仕方ないだろ……」 下手に弱音を吐いてしまわないための、信長なりの対処法だ。 後ろで小さく笑うここが聞こえたが、そこはもう、聞かなかった振りをして、憮然と前を見据えた。 その翌年の永禄四年の正月。 家臣たちと酒宴を開き、酒に酔ったからと、信長は自室に引き上げた。 別に本当に酒に酔ったわけではない。 まあ、確かに酒には弱い自覚はあるが、今日はそれほど飲んでいない。 ほろ酔いなのは認めるけど。 「お、どうした?酒宴はお開きになったのか?それにして早くねぇか?」 「んー、なんか……大坂に行こうかと思って」 「……は?」 思いもよらない信長の言葉に、陽炎は素っ頓狂な声をあげた。もっともな反応だと思う。 信長自身も、呑んでいて急に思い立ったのだ。 「何でまた?」 「堺に行こうかなって……」 「だからなんで?」 「南蛮の物や文化を見てみたいなと思って……」 何かと新しいものが好きな信長は、これだから異端児のような扱いを受けるのだが、本人はそれを気にしたことがない。 「……いつ行くんだ?」 「……今から?」 疑問系で言ったところで、言っていることが滅茶苦茶なので可愛くもなんともない。 そして、陽炎はがっくりと落胆したのだった。 「何でそんな落胆すんの?」 「俺様の計画が………」 「計画?……ってなんの?」 「そりゃあせっかくの正月で、二、三日はお祭り気分なんだから、多少の羽目を外したって問題なかっただろ?」 嫌な予感。 陽炎の言う羽目を外すことがなんなのか。 これはもう一つしかないのだが、知らん振りをして一応確認する必要がある。 「そんなに馬鹿騒ぎがしたかったのか?」 「ああ、もう。足腰起たなくなるまで可愛がってやろうと思ってたのに」 聞いてやしない。 というか、今の不穏な言葉は、気のせい……ではないだろうな。陽炎の顔を見る限り。 真剣に悔しがっているように見える。 「……じゃあ、行ってくる」 堺に行くと思いついた俺! 偉いっ!! 信長は普通に聞こえなかった振りをして、無視を決め込むことにした。 「無視するなっ!夜の営みを楽しむほうが良いって!」 「聞こえないっ!俺には聞こえないっ!!」 「聞こえてるだろがっ!」 阿呆丸出しの会話は、この後しばらく続き、陽炎が諦めたことでようやく終わりを迎えるのだった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |