30
夕日が辺りを照らし、紅く染まった景色が綺麗に映える時刻。
陽炎は松倉城の一角にある、ひとつの蔵の前に立っていた。ここは、出仕停止を言い渡された前田利家が住んでいる場所だ。一応、浪人の身の利家は、松倉城城主、坪内利定の庇護を受けている。
まあ、信長に出仕停止を言い渡された男の扱いとしては、妥当だと思う。
足を一歩踏み出したとき、蔵の扉が開かれ、利家が顔を出した。
陽炎に気づいた利家は、明らかに織田の兵士ではない、見たこともない人物が立っていることに驚いているようだった。
しかもそれが、立派な甲冑姿の青年武将の出で立ちをしているのだから、驚くなと言う方が難しいだろう。
「誰だ?」
居る筈のない男が目の前に立っていることに、不信感全開の利家は厳めしい顔を向けてくる。
と、同時に太刀に手をかけている。
「警戒心があるのは結構だが、なぜそのまま斬りかかってこない?」
「貴様っ!信長さまに仇なすものか!?」
「ふん。もし俺様が敵だとして、刀を抜いていない時点で、お前は死んでいるぞ?」
ニヤリと笑うと、利家は怒りに顔を歪ませた。
「あはははははっ!信長に出仕停止を言い渡されて学習したのか?」
「貴様っ!!信長さまを呼び捨てにするとは良い度胸だな!!斬り捨ててくれる!」
血気盛んな利家は、そのまま陽炎に斬りかかってくるが、それを難なくかわし、そのまま腹に膝蹴りを入れてやると、利家は衝撃に軽く吹き飛んだ。
「おー、跳んだ跳んだぁ」
大して力を込めていないにも関わらず、地面に転がった利家を面白くもなさそうに笑ってやる。
盛大に咳き込みながら、利家は陽炎を睨んでくるが、そんなもの気にしない。
「信長に好意を寄せるのは勝手だが、命令違反はいただけねぇなぁ?」
「命令違反をした覚えはない!」
「俺様がなにも知らないとでも思ってんのか?お前、出仕停止中だろうが。のこのこ戦に参加してんじゃねえよ」
絶対零度とも言える、冷たい眼差しで見据えれば、利家は顔を青くしていく。
なぜお前が知っている、とでも言う顔だ。
そんな利家を鼻で笑ってやる。
「ふん、信長はお前が戦に参加したことはおろか、首を取ってきたことすら知らなかったけどな」
「だから何だ!?信長さまに好意を寄せて、お側に居たいと思って何が悪い!!」
「悪くはねぇさ。ただ、信長は俺様のもんだってこと、覚えとけ」
陽炎の俺様のもの発言に、利家は目を剥いて驚いたようだった。
「は、何を……馬鹿な。信長さまが貴様のものである筈がない」
利家の狼狽えぶりが面白くて、笑いそうになるのを必死で抑えた。
「その根拠は?お前は信長の何を知っている?」
「そう言うなら貴様は信長さまの何を知っている?」
「色々知ってるが、お前に教えてやる義理は塵ほども感じねぇな」
敵意むき出しの視線を軽くいなして、陽炎は小馬鹿にしたように笑った。
「貴様も知らんなら知らんと言えば良いものを」
「知ってるぜ?全身の黒子の位置だとか、あいつがどんな声で啼くのかとか、な?」
「で、出鱈目を言うなっ!!」
「摩利支天である俺様は嘘はつかねぇんだ」
「……摩利支天?馬鹿馬鹿しいっ!信長さまは神を信じていない。だから、俺も信じない」
うーーん。
ここまで信長を慕っていて、尚且つこの崇拝具合。
天晴れ、実に天晴れだ。
でも、残念。
陽炎は徐に刀を抜くと、利家との距離を瞬時に縮め、首筋に切っ先を向けた。
「あ、なっ………!?」
普通の人間ならば、一瞬で詰めれる距離ではない。
それをやってのけた陽炎に、利家は驚愕していた。
「俺様は本来、気まぐれな質だからな。信長を慕うのは勝手だが、手を出すなよ、殺すぞ?」
陽炎の人間離れした動きと威圧感に、利家は戦慄するしかなかった。
膝が震え、見ていて可哀想なほどに青ざめている。
実際、殺しはしない。
信長の嫌がることをして、泣かれるのはごめんだ。
それに、こいつは信長のために、粉骨砕身の働きをするだろう。
そうでなければ、俺様直々に手を下してやる。
「信長を想うなら、助けとなれ。それが出来ないなら信長の前から消えろ。肝に命じておけよ」
その言葉に、恐怖に戦きながらも頷いたのを確認した陽炎は、利家の前から姿を消した。
「……!?い、居ない……」
文字通り、煙のように目の前から居なくなった陽炎に、利家は急いで辺りを見回した。
けれど、目の前にいた筈の男は影も形もなく、ただ、自分が蹴り飛ばされた地面の跡だけが現実なんだと認識させられた。
「摩利支天……と、信長さまが……?」
その呟きは、陽炎の耳に届いた。
信長一筋の利家が、理解出来ない筈はない。
正しく言葉を理解したと感じた陽炎は、呆然とする利家を残して、東の空へ跳躍した。
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