29
「陽炎!」
部屋に入ってくるなり信長に抱きつかれた陽炎は、転けはしなかったが、思わずよろめいた。
それでもしっかりと抱き止め、信長の頭を撫でた。
姿こそ消していたが、ちゃんと信長の戦いを見届けた。
手は出せなくとも、一緒に戦ったのだ。
そして、こうして腕の中に戻って来た、無事に。
「お疲れさん」
すっぽりと腕の中に収まった信長の匂いを堪能する。
いつもと違う、血の臭いと汗の臭い。
信長は疲れきっていた。
いや、かなり焦燥している。
その証拠に、信長は小さく震えていた。
血に充てられたのだろう。
気丈に、戦場を駆けていた時とはまるで違う。
「……沢山の人が、死んだ。敵味方関係なく、人の死は………やっぱり惨いな」
泣くのを我慢しているのだろう。
声が震えてしまっている。
「だからこそ、乱世の世は終わらせねぇと……」
「……そうだな」
小さく震える華奢な体をぎゅっと抱き締め、陽炎は信長の頭丁部に口づけた。
暫くそうしてると少し落ち着いたのか、汚れを落とすために湯殿に向かった。
翌日、信長は三千余りの首の検分に着手した。
見た目は毅然としていたが、今にも倒れてしまいそうな程、心が悲鳴を挙げているのが手に取るように見てとれる。
血は乾いてはいるものの、見ていて気持ち良いものではないだろう。
その中に、前田利家という男が取った首が三つほどあった。利家は誰がどう見ても、信長に惚れていた。
陽炎はそれが気に食わなかった。
去年、利家は信長に出仕停止を言い渡されているのだ。
理由がまた気に入らない。
拾阿弥という、信長の身の回りの雑用をする男が居たのだが、そいつも信長に想いを寄せていた。
それが利家の笄を盗った盗らないで、大喧嘩をした挙げ句、よりによって信長の前で斬り殺してしまったのだ。
血を見るのが苦手な信長が、再三止めたにも関わらず、利家はそれを無視したのだ。
勿論、信長は血を見たくない一心で諍いを止めるように言っていたのだが、利家はそれを勘違いしたのだ。
拾阿弥のほうが大切なんだと。
信長にして見ればそんなつもりは毛頭なく、盗んだなら盗んだで、それ相応の罰を与えればいいと思っていただけだ。
それによって信長は怒り、出仕停止を申し渡した訳だ。が、それを、黙って今川との戦に参加した。
許してもらい、再び信長の傍に在るために。
しかし、人の機微には悟い信長だが、自分に寄せられる想いには鈍感らしく、それに気づいてもいない。
まあ、陽炎にしてみれば、気づかなくていいのだが。
信長は俺様のものだ。
誰にも渡すつもりはない。
「ふむ、ここはびしっと言っておくべきか?」
「……何を?」
「うおっ!?」
完全に独り言のつもりで呟いた言葉に返答が返ってきたことに驚いた陽炎は、後ろを振り向いた。
「な、何だよ?」
少々上目使いにはなっているが、信長は目を丸くして陽炎を見ていた。
「あれ?検分は終わったのか?」
「いつまで俺にあれを眺めとけと……?」
心底嫌そうな顔をしながら信長は、陽炎を睨んだ。
どうやら、思っていた以上に考えに耽っていたらしい。
というか、この俺様に気配を感じさせないとは、信長も中々に成長したものだ。
「数が数だからな、もっと時間かかるかと思っていたんだが……」
「うん、一気に見てしまいたいけど……流石に吐きそうだったから、明日以降も検分する」
「吐くなよ?」
「……努力はしてる」
信長は顔をしかめて、ため息を吐いた。
「で?何を言うんだ?」
「あー、いや……気にすんな」
「気になるだろ、普通は?」
訝しげに首を傾げながらも、信長の瞳が不安に揺れた。
「別にお前が不安に思うことはないぞ?ただ……前田利家っつったか?奴が気に喰わん」
「……利家?って、何かあったのか?」
「首、持ってきてただろ?」
「?」
本当に分かっていないのか、信長は不思議そうな顔をしていた。
「だって、利家は今出仕停止にしてるぞ?」
「………いや、首、検分しただろ?」
「した、けど………」
「お前の命令を無視して、勝手に戦に参加してたんだよ。あいつ」
「そうなのか?全然気づかなかった」
眼中にないとか……そう言うことなのか?
だったら良い。
「と言うか、陽炎。姿見せてまで言うことなのか?」
「あ?」
「だって、基本的に俺にしか姿見せてないだろ?」
確かに信長の言うとおり、基本的には信長にしか姿は見せてないのだが、他の人間にも認識させることは出来るのだ。
ただ、多少の体力を消耗するだけで。
「それでも、言っておきたいことがある」
「……まあ、そう言うなら止めはしないけど」
やっぱり信長には分からないのだろう。
不思議そうな顔をしながら小首を傾げている。
「ああ、それと暫く俺様は留守にするぞ?」
「またどっか出掛けるのか?」
「寂しがるなよ。すぐ戻ってくるって」
「さ、寂しがってなんか……!」
信長は頬を仄かに染めて反論するが、実際、首の検分もまだ残っているし、心細いのは確かなのだろう。
「良い子にしてろよ?」
「ガキじゃねぇんだけど……」
額に口づけを落としてやると、信長は拗ねたように口を尖らせた。
陽炎はとりあえず、利家に多少の釘を刺してから周りの様子を見ておくことにした。
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