[携帯モード] [URL送信]
28
熱田神宮で勝利祈願した信長は、中島砦に向かって出陣した。
今川軍が桶狭間の北西にある中島砦に出陣したと報告が入ったからだ。
家臣の中には、反対する者も居たが、信長は一蹴した。
命を俺にくれと、俺より先に死ぬなと、伝えてある。
生き残る覚悟がないならば、連れていくだけ邪魔だ。

中島砦は低地にあるため、こちらの動きが今川方に筒抜けになる可能性も十分承知している。
そもそも、あの辺りの地形に隠れる場所がないからだ。
俺は逃げも隠れもしない。
正面から、襲撃してやる。
それに、中島砦は湿地帯に囲まれた進軍しにくい場所にある。それは、織田よりも、今川に不利になる。

それに、雨の臭いがするのだ。
湿気を含んだ、独特の空気の臭い。

中島砦で、もう一度態勢を建て直した信長は、早速出陣した。

「遅れるな!俺に続けっ!!」

信長の覇気に押され、兵たちも奮い起っている。
もう少しで桶狭間に到着という時、空に稲妻が走った。
次いで大粒の雨が降りだし、視界を遮るほどの豪雨となったのだ。
これには家臣や兵たちも、怯んだようだった。

「進めっ!これで甲冑の音も馬の蹄の音も、相手には聞こえないっ!!付いて来いっ!!」

雨音に掻き消されないよう、出来るだけ声を張り上げて叫んだ。

そう、こちらの視界が遮られると言うことは、向こうも同じく遮られている。
この好機を逃す手はない。

信長は気持ちが急いてしまうのを必死に押さえ、ひたすらに馬を走らせた。

桶狭間の麓まで着くと、豪雨が止むまでを暫しの休憩とすることにした。馬に乗っていない兵士たちは、疲れが出ているかもしれないと考えたのだ。

幾ばくかもしない内に、雨が小降りになり、雲の切れ目から日の光が指し始めた。

「かかれっ!」

信長は怯みそうになってしまう気持ちを奮い起たせ、自ら前線に立った。
馬を走らせ、後続に着いてくることを促す。

「首は取るな!狙うは義元のみだ!!」

今川勢は、豪雨で浮き足立っていたところに、織田勢が攻め入ってきたことで混乱した。

「謀反だっ、誰か謀反を起こしたぞ!」

そう叫び出す頓珍漢も居たほどだ。
不意をつかれたことで今川勢は狼狽え、味方が味方を攻撃する有り様にまでなっていた。

「敵襲!織田の軍勢が攻めてきているぞ!」

そうした声も上がったが、混乱しきった今川勢は訳が分からないままに太刀や槍を振り回していた。
が、急襲して来た一隊の旗印。
それは五ッ木瓜―――織田家の家紋だ。

「織田信長、推参!」

凛とした青年武将が、先陣きって突進してくる様を見て、今川勢は鬼神に襲われでもしたかのような錯覚を覚えていた。

「信長が、信長が斬り込んで参りました!」

義元に急襲を告げた兵も、膝を震わせていた。

「馬鹿な………織田の小童が…………」

義元は思わず唸った。
降伏を申し出てくるものとばかり思っていたのだ。
まさか、刃向かってこようとは露ほども考えていなかった。
そして、思い出す。
駿河に居ても聞こえてくる信長の武勇を。

乱戦と化した中に、器用に馬を操り太刀を振るう、長身で痩型の若い優男。

「う……討て!あれが信長ぞ!何をしておる!?早う討ち取れ!!」

あっという間に血の臭いが充満し、信長は顔をしかめながらも、陽炎との約束のため、生き残るために太刀を振るった。

遠くで叫び声がする。
こんな喧騒の中、誰が誰の声が分からない筈なのに、直感的に信長は振り向いた。
そこには、こちらを指差し、驚愕の表情を浮かべた義元が居た。

信長は馬首を義元に向けると、馬の腹を蹴った。

「…………!」

それを見た義元は、声も出なかった。
真っ直ぐにこちらに向かう信長に射竦められ、動くことが出来なくなっている。
姿がどんどん大きくなり、信長の端麗な白い顔が迫ってくるのをただ呆然と見ていた。

「お、おのれっ………」

義元はそれ以上言葉に出来なかった。したくても、言葉を紡げなくなった、という方が正しい。

「今川義元、討ち取ったり!」

やがて、桶狭間に歓声の声が響き渡った。

義元が打たれるや否や、今川勢は総崩れとなり、散々に逃げ出し始めた。

信長は歓声の中は馬上から降り、血の臭いで溢れかえった戦場を眺めた。
敵味方、無数の遺体が無惨に転がっている。

その凄惨な光景に、吐き気が競り上がってくる。
なんの罪もない、私怨もない。
そんな彼らが領土争いの犠牲となったことは、信長の心を痛めた。

「丁重に、弔ってやらないとな……」

それは、義元も同じ。
なんの恨みもない。
そんな信長の小さな呟きを聞いた家臣たちは感涙した。

今まで、敵のために心を痛め、名もない兵士たちを気にかけるような大将は、聞いたこともなければ見たこともなかった。

兵たちが次々に持ってくる首に、信長は辟易した。
これ以上、血を見ていたくなかった。

「各々帰ってから検分する」

しばらく瞑目したのち、信長は再び馬上の人となり、清洲に向かって馬を走らせた。


[*前へ][次へ#]

10/24ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!