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19
“今川義元来る!“

桜も散って暖かくなってきた日。
この報に清洲の広間は騒然としていた。
家臣たちは口々に、これで織田家も終わりだと嘆き、何となく、悲壮感が漂う。

それを黙って見ている信長にも、不安は募るのだろう。

信長だって心臓を鷲掴みされたように、ドクドクと早鐘を打っている。ただ、それを表に出さないだけだ。
家督を継いでから、これほどまでに切迫した状況はなかったし、今度は自分の命だけでなく、織田家存亡の危機なのだ。

家臣たちは信長に、なにかいい案はないのかと、期待の目を向けるが、信長は呑気に雑談を始めた。
実際、呑気に構えている訳ではないのだが、周りからはそう見えるだろう事を期待した。
今川からの間者が潜んでいるのは分かっているし、信長自信も、念のために間者を放っている。
そんな状態で軍義も何もない。

ここは阿呆に徹するべきだと思った信長は、小姓に小鼓を持ってこさせて鼓を叩いた。遊び半分で習い始めたそれは、ここ最近のお気に入りだ。
敦盛を舞うのも好きだけれど、自分でも鼓を打てたら、なお楽しめると踏んだのだ。

周りの空気なんてお構いなしに、存分にその夜を楽しんだ信長は、みんなを引き上げさせ、部屋に戻った。

一人になってしまうと、今川勢の足音が直ぐそこまで聞こえてくるようで、不安に押し潰されそうになってしまう。

………どうしよう。
後、十日足らずで義元が尾張に到達してしまう。
それまでに、なんとか打開策を立てないと……。

正面切って戦いを挑んでも、勝ち目は殆どなくて。
それは、籠城しても同じこと。
数が違いすぎる。
報告によれば今川勢は二万とも三万とも言われている。
けれど、尾張を統一して間もない信長が集められる兵力は、たかだか四千程度。
奇襲を掛けるにしても、気づかれずに近くまで寄るのは困難だ。どうしても、馬の蹄の音や甲冑の音が辺りに響くのだ。

もう、ため息しか出ない。
なんか、絶望的な気がするなぁ……。

「運良く豪雨、なんてなるわけないし」

「豪雨?」

考えに没頭し過ぎていたのか、陽炎の気配を感じることが出来なかった信長は、ビクッと肩を跳ねさせた。
振り向くとそこには、いつもの着流し姿で陽炎が立っていた。

「び、吃驚した」

「すっげぇ真剣に考え込んでたもんな」

面白いものでも見たかのように、陽炎は笑っていた。

何が面白くて笑っているのか分からなくて、信長は顔をしかめたが、そこは聞かないでおくことにした。
今まで、聞いて良かった試しがないから。

「で、豪雨?」

「ああ、今川が来るときに都合良く雨でも降らないかなぁ、と思って」

この答えに、陽炎は大いに笑った。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前の守護神は誰だよ。この俺様だぞ?」

………なんか、前にも聞いたような気がするけど。
胡散臭そうに顔を歪めた信長は、なんだかんだと言いながら、陽炎の顔を見て、ほっと息を吐いた自分に気がついた。

あれ?
俺ってもしかして、結構陽炎に依存してきてる?
いやでも、考えてみれば、他人とは距離を置いて来たにも関わらず、陽炎には始めから距離を取ろうなんて思っていなかった。
いつの間にか居るのが当たり前になっていて、顔を見ると落ち着いたし、笑って側に居てくれればとても心強い。そんな風に思うようになっている。

それはそれで驚きだ。
陽炎のおかげで、随分と助けられて来たのだと、今更ながらに気づいてしまった。

「………ど、どこに行ってたんだ?」

気恥ずかしさを覚えてしまい、思わず口走ったことは、今まで一度も聞いたことのないものだった。
これではまるで、陽炎の行動を詮索しているようで、心苦しく思った。

けれど、陽炎はなんとも思わなかったらしく、普通に答えが返ってきた。

「ああ、今川勢の様子をちょっと見てきた」

「今川の?」

黙って頷いた陽炎は、再び口を開いた。

「尾張に侵攻してくる理由が釈然としなかったからな。理由は二つ。勿論、領地を広めるためもあるが、どうやら、国の政治が混乱状態で、それを納めるためにも、天皇や将軍家の権威を借りようと言うことらしいな。今の今川家は京風文化が蔓延していて、統制が取れなくなっている」

統制が取れなくなってる?

信長は今川義元の行動に疑問が残った。
統制が取れていないにも関わらず、尾張まで攻めてきて、そのまま京を目指して上洛するのか?

統制の取れていない二万から三万の大軍……。
――――上手くやれば、もしかすると……。

「……義元はもう、駿河を発った」

「駿河を発った?……思ったより早いな」

陽炎は目をしばたかせた後、少し考え込むような仕草をした。

「まあ、さっさと権威を笠に着て、国を納めたいのは分からんでもない、が……」

陽炎の不思議そうな表情から、なぜか信長は、勝利できると確信めいたものを感じた。


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あきゅろす。
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