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01
あまりにも強い衝撃に、しばらく呆然とするしかなかった。
衝撃といっても殴られたわけではない。
只、酷く驚いた。

薄々感じていたことだけれど、現実のものになってみて初めて、やはり自分は甘いのだと認識せざるを得なかった。

「どうされますか?」

弟の元腹心であった男がもたらしたのは、一昨年ほど前に自分を暗殺しようとした人間が、再び自分に刃を向けようとしていることだった。

はっきり言って、争い事は嫌いだ。
人を斬るのも斬られるのも。ましてや、血を見るのも嫌いだ。
それでも今、そんな甘いことは言っていられない。食うか食われるか、生きるか死ぬかの弱肉強食の時代なのだ。少しでも隙を見せれば、容赦なく敵は襲ってくる。

六年前に父が死に、十七才で家督を譲り受けた。
強力な後ろ楯を失った俺は、周り中敵だらけなのだと知った。
いや、知ってはいたのだ。
母である土田御前は弟の勘十郎を溺愛していたし、何度か殺されそうになったこともある。
廃嫡の動きがあることも知っていた。
けれどもその度に、父、信秀や守役の平手が幾度となく庇ってくれていたのだ。

その二人がいない今、自分を守れるのは自分自身だと言うことも、痛感している。
だから、弱音は吐けないのだ。

目を閉じて、ゆっくりと深呼吸すれば、やるべきことは決まった。

「……俺はしばらく清洲に引き籠る」

「……は?」

「勘十郎のことは捨て置け」

「いや、しかし……!」

いい募る勝家を残し、俺は奥の部屋へと足を向けた。
家臣にしてみれば言葉が少なく、分かりにくいことこの上無いだろうが、それは自分の弱さを隠すため。
必要以上に言葉を紡げば、家臣に動揺や不安を与える。

特に、今回密告してきた柴田勝家には、弱さをさらけ出す訳にはいかなかった。
いや、勝家に限らずだが、勝家は一年前に反旗を翻した勘十郎に付いていた。
あの時は勘十郎が前戦に出ていなかったため、士気が上がらず、林との連携も取れてなかったために辛うじて勝てたのだ。
あの時は、これ以上の血を見たくない一心で、土田御前の申し出を引き受け、勘十郎と共に反旗を翻した勝家や林らにも、何の咎も与えなかった。
その時から勝家は俺に忠誠を誓っている。

勝家自信がどう思っていようと、あまり家臣に弱さを出さないのが、己のためでもあるのだ。
こんな弱い自分に忠誠を誓ってくれている勝家には申し訳なく思う気持ちもある。
けれど、脆弱な足許をこれ以上揺るがされるわけにはいかないのだ。

俺は、漏れそうになる溜め息を噛み殺すように、眉間にシワを寄せた。

奥の部屋へと向かう途中、正室である濃姫に声を掛けられたが、それを無視してさらに奥へと足を進める。
女性に対して、ましてや自分の正室である濃姫に取る態度ではないのは重々承知しているが、彼女もまた、隣国である美濃から嫁いできたのだ。
嫁いできた嫁は、あくまで実家の人間だ。嫁ぎ先の状況などを逐一報告されているのが分かっていて、心を許す人間はいない。
だから、彼女との接触もなるべく避けている。


長い廊下を抜けてたどり着いた先は、確実に一人になれる部屋。
ここには誰も近づかないようにしてあるため、訪れる人はいない。

また、血が流れるのか……。
血を流さなくて済むのは何時になるのだろうか。

沈んだ気持ちのまま襖を開けると、見覚えのある美丈夫が、至極当然のように寛いでいた。

「よお、久々に来たら湿気た面してんなぁ?」

黒い布地に赤や金に彩られた湯帷子を着崩し、逞しい胸板を掻いている男は、床に寝転がり、退屈そうに欠伸をかいていた。

「……陽炎、来ていたのか」

「なんだなんだ?俺様が来たんだ。もうちっと喜べねぇのかよ。綺麗なお顔が台無しじゃねぇか」

陽炎は不遜な笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がると、温かい手を頬に滑らせた。

「信長、どうした?またなんかあったのかよ。泣きそうな面してるぞ」

信長は唇を噛み締めて、陽炎の袖を強く握った。

いつもいつも、何かしら起こる度に隣にいる彼は、唯一、信長の弱さを知っている。

初めて陽炎に出会ったのは、いつだろうか?
多分、元服が間近に迫っていて、その話で父のいる古渡の城に出向いた帰り、木陰から何本もの弓矢に襲われた。
ほとんどの矢は掠めることもなく逸れていたが、ただ一本だけ。
腕に刺さると身構え、来るであろう痛みに目を閉じようとした瞬間、目の前が暗くなった。

実際に暗くなったのではなく、目の前に長い黒髪をなびかせた甲冑の男が立っていたのだ。
感受性の強かった信長は、一目で人外のものと分かったが、不思議と恐ろしさは感じなかった。
ただ、凛とした美しい顔だと思った瞬間、それは幻のように目の前から居なくなっていた。

それから度々姿を現しては、信長の側にいた。
元服翌年の初陣、赤塚での戦、勘十郎が謀反を企てたとき。
それだけではなく、父、信秀が逝去したときも、平手が切腹したときも、何処からともなく現れて、泣きに泣く信長をずっと側で慰めてくれていた。

そして、信長もそれを当たり前のように受け入れていたし、疑いもしなかった。

「……ふん、また誰かに裏切られたか?」

陽炎の言葉に信長の体はぴくりと跳ねた。

「全く、いつからそんな泣き虫になっちまったんだか。昔はもっと利かん気が強くて悪戯小僧だったのになあ」

「……うるさい」

そんな憎まれ口を叩きながらも、陽炎は泣くまいとする信長をそっと腕の中に抱き込んだ。

ゆっくりと慰めるように背中を撫でられ、少し落ち着いてきた信長は、肺一杯に陽炎の臭いを取り込んだ。

彼はいつもお日様のような香りがする。
それが信長を酷く落ち着かせる。
しかも、信長自信も長身なのだが、それを上回るほど背丈があり、筋肉質で引き締まっている。

男の自分から見ても、なんとも羨ましい体格をしているのだ。
信長自信も決して貧弱な体をしているわけではない。剣術の稽古もするし槍も馬にも乗る。
それでも元々細い体は、必要以上に筋肉が付くことはなく、陽炎に比べれば男として情けなくも感じる。
それでも陽炎の腕に包まれていると、その体温に心が安らぐ。

「……ふむ、お前のうなじ。いつもながら、吸い付きたくなるな」

「はあ!?」

陽炎のとんでもない言葉に、信長は慌てた。

人が落ち込んでるのに、何てことを言い出すんだこの助平軍神は!

なんとか陽炎の腕から逃れようとするも、対格差は元より力の差も歴然で、まったく、これっぽっちも動かない。

「こら、暴れんじゃねぇよ。慰めてやるから」

「馬鹿野郎!なに言って……!」

そうこうしている内にも、陽炎は信長の首筋をペロリと舐め始めた。

「ひょわっ!」

突然のことに思わず変な声が出てしまうが、そんなことに構っている暇はない。

「暴れんなって!」

「止めろよ、この変態軍神!」

腕も足もばたつかせて、膝が陽炎の鳩尾に見事に当たるも。

「いっ、て……!」

陽炎は多少呻いただけで、大して効果は見られない。
暴れれば暴れるほど互いの着物は乱れていくが、そんなことよりも、いきなり盛りだした助平野郎の腕から逃れるために、渾身の力を込めて暴れることを決意した。


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あきゅろす。
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