紅と麦の物語



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十二国記小説
続・記憶 再会編
・・・「記憶」の続き







この世で再び会えるなんて誰が想像しただろう。
一生記憶だけをもって生きていくのだと思っていたのに、
本当に簡単に、そしてあまりにも意外な場所で再会できたのは運命なのだろうか。



大雨の中、一つの傘に二人で入って近くにあるという浩瀚のマンションへと向かった。

浩瀚は心臓がうるさいくらいに騒ぐのを抑えるのに必死だった。

雨にぬれていて寒いはずの体は、興奮して熱くなっていた。


マンションの一室へ陽子を案内し、部屋へ通す。
途方に暮れたように玄関口で立ちすくむ陽子を、
どうしようもなく抑えがきかなくてその華奢な体を抱きしめた。

熱い体を押しつけるようにして抱きしめてようやく陽子が震えていることに気が付いた。
そして同時にひどくがっかりした。

自分だけが再会した喜びに一気に体温が上がったのか。

そう思うと切なく苦しくて、そっと抱擁を解いた。

「どうぞ、シャワーをお使いください。」

小さく頷く陽子を見やり、小さな手をひいて風呂場へ案内した。

タオルを一枚手に取ると、浩瀚は風呂場を後にした。

びしょ濡れのスーツを脱ぎ去り、普段着に着替えてソファに腰かけた。

頭からタオルをかけたまま目を閉じ、先ほどまでのことが夢だったのかと思案した。

確認するように耳を澄ませば、シャワーの音がする。

あれを使っているのが陽子だなんて、幻でも見ているのではないか?

またまた己の頭を疑ってしまう。

やれやれと頭を振り、コーヒーを入れた。

温かな飲み物が体を芯から温めた。

新聞を手に取り活字を追うも、集中できるはずもない。

しばらくぼうっと眺めていると、カチャリと扉があく音がした。

浩瀚の部屋着を着た少女が立っていた。
その姿はやはり記憶にある通りの姿だった。

幻ではないのだろうかと、その姿をしばらく観察すると、
少女が顔を真っ赤にして睨み付けてきた。

「な、何でそんなにじろじろと見るんだよ。」

女性にしては低めの声が懐かしい。
思わず口元が緩む。

「ずっと貴女のことを探していましたから。
幻ではないのかと疑っていました。」

「幻?
それはこちらのセリフだ。
何故か十二国の慶という国の王様だったという記憶がある。
他には浩瀚とかいううるさい男が恋人だったということも覚えている。
それに・・・」

いったん言葉を切り、タオルをぎゅっと握りしめて俯く陽子に浩瀚は静かに近寄った。

相変わらず華奢な体をやんわりと抱き寄せると、陽子がぎゅっとしがみついて来た。

「お前がいなくて寂しかった。」

消え入るような声は浩瀚の耳にかろうじて届いた。

寂しかったのだと、強く額を押し付けてくる陽子が愛しくて仕方なかった。

もう一度その体を強く抱きしめると、今度はその体も熱く火照っていることに気が付いた。

それが嬉しくて、すっと顎をすくい上げて唇を重ねた。

しかしそれはすぐに強い力で押し返されてしまった。

両腕をつっぱって浩瀚の胸を押し、俯いたまま見上げようとしない陽子に浩瀚はわけが分からなかった。

「だめだ。」

「何故です?」

「だって、私とお前は出会ったばかりだし。」

「それが何か?」

あの時はよくて、今はダメな理由がまったくわからず、
てこでも動かないという風につっぱる陽子に困惑は深まるばかりだった。

「そ、そんなことより、浩瀚も早くシャワーを浴びてきたら?
体、冷えてるよ。風邪ひいちゃうじゃないか。」

一瞬の隙を突かれて腕からすり抜けた。
確かに一日の汚れを落としてから仕切りなおすべきかと考え直す。

「今夜は泊まっていかれるでしょう?」

念のためというように尋ねると、服がびしょびしょだから帰れないと、そっぽを向いたまま答える陽子。

疑わし気に陽子を観察するも、早く行けとぐいぐいと背中を押されて仕方なくシャワーを浴びることにした。

暖かい湯を浴びると、少し冷静になった。
そして陽子が拒んだ理由も、ほんの少しだが理解しようと努めた。

再会したばかりで求められては困惑もするだろう。
おまけに再会といっても、前世の記憶を持っているだけの、
そんな不確かな存在なのだ。

もし前世の記憶がなければ、あの時狭い路地ですれ違ってもこのような状況にはならなかっただろう。



一方陽子は、ぐるりと浩瀚の部屋を見渡していた。

記憶の男は几帳面で頭の良い男だった。
目の前に現れた男も頭のよさそうな男だった。
そしてこの部屋は、その男が几帳面であることを物語っている。
無駄なものはなく、男の一人暮らしなのに文句なしに綺麗なのだ。

声も顔も、体も抱きしめ方も同じだった。
だからこそ困惑した。

本当に浩瀚なのだろうか。
夢でも見ているのではないだろうか。
あのまま抱かれていたら、泡のように消えてしまうのではないだろうか。

もう少し、様子を見たい。
そして確かめたい。

浩瀚にそっくりなあの男が、本当に信に値するのかを。

カチャリと音がした。
急いで浴びてきたのだろう。
まだ濡れた髪をふきながら現れた男に、その懐かしすぎる姿に、陽子は小さく微笑んだ。

「何か?」

小さく笑われ、浩瀚はどうしたのかと目を丸くした。

「髪がびしょびしょじゃないか。
私にはうるさく言うくせに。」

そこに座れよと、ソファを指さした。
特に気にした様子もなく静かに腰を下ろす浩瀚の後ろに回り込み、
タオルを取り上げて乱暴に髪をふいた。

「ちょ、ちょっと主上!?
禿げ・・・禿げるのでもっと優しく!」

「うるさい!
急に現れてマンションに連れてきたあげく襲おうとしたくせに!
これくらい我慢しろ!」

なおも乱暴にふく陽子の両手をがしりとつかみ、困ったように振り返り見上げる浩瀚。

目を合わせれば懐かしい琥珀の瞳がそこにはあった。

「もうだいぶ乾いたので、隣に来てくれませんか?」

ついでにさらりとタオルを取り上げられ、自分の隣をぽんぽんとたたく。
あくまでも仕方がないという風にため息をついて、
ソファの端っこにちょこんと座った。

浩瀚はそれ以上距離を縮めてはこなかった。

「今は何をされているので?」

小さな問いに、陽子もぽつりと答えた。

「市内の大学。そこからアパートまでは近いけど、今日はバイトに行っていたんだ。」

「そうでしたか。」

「浩瀚は?」

「私はしがない会社員ですよ。」

浩瀚が会社員。
それが面白くて、ちょっとだけ想像してみた。

「どうせ出世コースにでものってるんだろ。」

「まさか。
ですが、やりがいはあります。」

にっこり笑って答える浩瀚は相変わらず温厚で、
話をすればするほど篤実なあの頃と何も変わっていないのだと気づかされた。

「明日は出勤ですが、その翌日は空いてます。
もし良ければ、またこうして話しませんか?」

遠慮がちに尋ねる浩瀚に、陽子は否とは言えなかった。
言う理由もなかった。

しかしこれだけは言わねばならなかった。

「浩瀚、念のため言っておくが、何も私にこだわらなくても良いのだよ?」

陽子の瞳を食い入るように見つめた浩瀚は、低い声でつぶやいた。

「私に貴女以外の女性とつきあえと?」

冷ややかな目をして陽子を見る浩瀚に、陽子はそういえば怒ったら怖かったなと今さらながら思い出した。

「怒るな。ただ、記憶があるからとかそういうのではなくて、
今私はあの時とは違う状況にいるから、
浩瀚の記憶の私と違うかもしれないって言っているんだ。
はっきり言って、私はいまはどこにでもいる平凡な大学生なんだからな。」

「ちなみに付き合っている人は?」

聞いていたのか聞いていないのか、陽子は測りかねたが、ポーカーフェイスな表情の奥に、焦りのような顔が見えたきがして、
いないよと簡潔に答える。

その言葉に安心したように息を吐くと、
「では、何も問題ありませんね。」
と優しく微笑んだ。

「あなたと再会して、改めて思いました。
私はあなたが好きです。
見た目の好みもありますが、何よりもまっすぐなその心根が好きなんです。」

優しく微笑み、なんとも恥ずかしいセリフを言う浩瀚に陽子は一気に顔が熱くなるのを感じた。

「見た目の・・・好み?」

「はい。」

「見た目も・・・好きだったのか?」

「そうですが?」

あたりまえだろう?というようにすまし顔で答える浩瀚に、陽子はいよいよ頭が痛くなってきた。

「そんなの一度だって言ったことなかったじゃないか。」

「そうでしたか?
綺麗ですので綺麗といった記憶はあるのですが・・・」

「それは服がだろ?」

「はは。
相変わらずですね。衣装がではなく、その服を着た貴女があまりにも綺麗だということです。」

相変わらず鈍感なんだなと浩瀚は思った。

そしてその鈍さも愛しくて、手を伸ばしてその体を引き寄せた。

「今日から私は貴女に言い寄ることにします。」
「せいぜいがっかりしてくれるなよ?」
「ええ。私も、貴女にがっかりされないよう努めねば。
で、タイプの男は?」

      「お前。」

そんな答えが照れ屋な陽子にできるはずもなく、
ううと唸って浩瀚を見上げるだけで精いっぱいだった。

それすら可愛らしくて、そのまま抱き上げて寝室に連れて行った。

何をするのだと暴れられ、抱かないから一緒にいてくれと必死で説得してようやく添い寝だけは許された。

それだけでも嬉しい。

抱きしめて眠ると安心した。

ようやく手に入れたのだ。
そうやすやすと手放すものか。

体を丸めるようにして眠る陽子をもう一度抱きしめ、
浩瀚も眠りに落ちた。





夢を見た。
ひらひらと舞う赤い光の正体は美しい蝶だった。
あまりの美しさに呆けていたら、まるであざ笑うかのように横切っていった。
鼻先を掠めた瞬間に思い出した。

これは自分のものだ、と。

捕まえない理由などない。
愛でていたい蝶なのだ。

赤く色めき刹那に消えゆきそうになった蝶をすんでの所で捕まえた。
手の中に収めたそれは、とても暖かかった。




fin.


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あきゅろす。
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