紅と麦の物語



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十二国記小説
未練
注意) 浩瀚も陽子もちょっとばかり女々しいです。











「まだ、あきらめられません。」

秋になったばかりの、ほんの少し寂しささえ感じられそうな空の下、
ぽつりと独り言のような小さな声が聞こえた。

子供が駄々をこねるような、普段のこの男からは想像もつかないような縋るような声音だった。
少女にはその意味することを嫌というほど理解できる。

敢えて何も答えず、ただ一心に薄い雲と青を見つめた。


「主上」

切ないまでに悲しげな声は、嫌でも昔を思い出させた。
そしてこの空の薄い色も・・・・





「浩瀚が好きなんだ。」

純粋な気持ちで告げたその言葉は彩あふれた春の日を心地よく思っていた浩瀚の耳には幻聴かと思うほど震えていた。

「はい?」

何を言っているのか分からないという風にぽかんと目を丸めて主である少女を見つめた。

「だから、私はお前が好きなんだ。
どうしたらいいんだ?」

どうやら幻聴ではなかったようだが、しかしその内容には心の臓がひっくり返るかと思った。

「主上、私は貴女の臣下です。
貴女はこの国の王で私は冢宰。
おまけに年もかなり離れております。」

「だから何だ?」

「貴女の恋人にはなれません。」

こういう性格の人間にははっきり言わなければいけない。
長年の経験でそう理解している浩瀚はそれはもうきっぱりとその甘い誘惑を断ち切った。

しかし失念していた。
この国の女王は頑固なのだ。

「だから何なんだ?
お前は私が嫌いなのか?」

「いえ、そうではなく・・・」

嫌いかと聞かれれば決してそうではない。
おそらくかなり重度にこの少女に心奪われている。
そう自覚している。
だからこそ浩瀚の脳内は警告しているのだ。

「ダメなものはだめなのです。」

失礼をと丁寧に礼をとり、その場を立ち去る男を陽子はじっと見つめていた。

何がいけないのか結局わからずじまいだった。
しかし一つ言えることは、浩瀚に
拒まれたということ。
これが「失恋」だということ。

それが思いもよらず衝撃的で、そして受け入れてもらえるはずがない事実に目頭が熱くなるのを感じた。




それから数日は何事もなく過ごしていた。
いつものように書状を述べ、いつものように山のような書簡を運ばれ、
いつものように質問をしては解説を受ける。

しかしその日常に当たり前のように存在する浩瀚を嫌いになれるはずもなく、
どうしてもその心が欲しくて、陽子は切ない気持ちを抱えたまま城を後にした。

春の風が温かく、民たちもやれ収穫だやれ商売だと、
活気に満ち溢れている。

王にとって民の満ち溢れた顔がどれだけの褒美になるだろうか。

陽子だってそれくらい知っている。
彼らの笑顔が陽子の心をどれだけ満ち溢れさせてくれるのか。

いつからこれほど欲張りになったのだろう。



道端に転がった大きな岩に腰かけ、頬杖をついて道行く人を眺めた。

「おやおやお兄さん、浮かない顔だね。」

にこにこしたおばさんが陽子に声をかけた。
男と間違えられるのは慣れているので、陽子は特に気にかけずに答えた。

「失恋したので。」


「こんな男前を振るなんて!
そうだ!これをお食べ。
今朝とれたばかりなんだけど、今年の味はなかなかだよ!きっと元気がでる。」


ありがとうと答えて手渡されたものを見た。
それは日本でいうと柿のような色をしていて、皮ごとかじると中はまるでりんごのような味をしていた。

知らない人からもらったものは食べるなと言われていたが、
そんなこと誰が聞くもんかと陽子はその果物をすべて食べた。

甘く素朴な味に少し元気が出た気がし、お兄さんと勘違いされたことをほんの少し気にかけた。

やはり浩瀚もかわいらしい女の子がいいのだろうか。

顎に手を当てて考え込む。

きっとそうに違いない。
それならば・・・・


一つ女磨きでもしようと立ち寄ったのは流行を取り入れた衣装屋だった。
そこで浩瀚の好みそうな、それほど派手ではないが、品よく刺繍のしてある服を買う。

赤い髪に映えると勧めてもらった通り、薄い青色を基調にした、品の良い黄色や赤の刺繍がまるで蝶々のように舞う服だった。

班渠を呼び一直線に金波宮へと帰り、さっそくその君に身を包んだ。

浩瀚の部屋に息を切らせて飛び込むと、浩瀚はちょうど書類を片付けている所だった。

何度か深呼吸して息を整える。

「やはりお前が好きだ。ちゃんと考えてくれないか?」

ぴたりと動きを止めた浩瀚に、陽子はどきどきと胸が騒ぐのを感じた。

珍しく女性らしい服に身を包んだ陽子をじっと観察する。
否。
浩瀚はその美しさに一瞬言葉を失ったのだ。

「その服は?」

「街で買った。」

「お似合いです。」

まるで先ほどの言葉などなかったかのように片づけ作業を再開する浩瀚に陽子は泣きたくなるのを必死でこらえた。

こんなに頑張っているのに、考えてももらえないのか!

その気持ちが怒りになりかけるその前に、ようやく浩瀚が口を開いた。

「お言葉うれしく思います。
しかし、どうして私なのです?」

どうやら手に持っていた書類が最後だったようで、
それを棚に几帳面に戻した浩瀚が居住まいを正して陽子に向き直った。

何でと言われても困るが、ひどく真面目な顔で
問う浩瀚に、ああこれは本気で答えなくてはいけないなと直観した。

「最初は浩瀚がなんでもよく知っているから尊敬していたんだ。
仕事もそつなくこなす姿もすごくかっこよいと思った。
ダメなことはダメだと言ってくれる所もありがたかった。
お前のようになりたいと思ってずっと見ていたら、いつしか好きでたまらなくなった。」

しどろもどろに答える陽子をやはり不思議な思いで見つめた。
浩瀚には陽子ほどの美少女がどうして自分なんかにと思わずにはいられなかったのだ。
しかしその表情は必死で嘘には見えなかった。
否。
この少女が嘘をつくことは決してないということはこの城の誰もが知っている。

「本当に私でよろしいのですか?」

最後の確認という風に聞く浩瀚に陽子はすがるように頷いた。

「わかりました。」

ぽつりと呟くと、浩瀚は目の前の陽子に手を伸ばし、
その華奢な体を抱きしめた。

びくりと震える体の華奢さが印象的だったのを覚えている。





「あれからしばらく貴女と恋人でした。
しかし私のいたらなさのせいで貴女をひどく傷つけていた。
それに気が付かなかった私は本当に愚かでした。」

無心に空を見つめる陽子に、まるで独り言のように語り続ける。

「貴女が好きです。
本当に好きなんです。だから、もう一度、今度は私からお伝えいたします。
私の恋人になってください。どうか、お考えください。」







「やはりお前が好きだ。」

幾年か過ぎても陽子は浩瀚が好きだった。
素直に気持ちを告げると、ぎゅっと抱きしめる腕に力がこもる。
しかしその言葉に答えはなく、ただ抱擁され口づけられるだけだった。

いろいろな場所に出かけもした。
それはささやかな散歩の延長線だったが、それだけで楽しかった。
浩瀚も心癒される気持だった。

少女が何度も好きだという。
その言葉があまりにも甘く、そして己も返すべきなのに、
本当に良いのだろうかという気持ちがそれを邪魔する。

言いたいのに言えない苦しさでいっぱいになったある日、
陽子から別れを告げられた。

「浩瀚、ごめんね。
お前を無理させているのだろうか?」

そんなことはない!
決してそれはないのです!

疲れたんだ。
いくらこちらが好きなのだと告げても、お前は好きとは言わない。

それが辛くて、そんな女々しいことを考えてしまう自分が嫌いで仕方ないんだ。

ごめんね。


どうして気が付かなかったのかと己を攻め立てた。
少女の懐の深さとやさしさに甘えきっていた。

年も上で経験だって彼女よりもずっとあるのに、なんと情けないことか。


しかし少女はもう、振り向いてくれなかった。

ごめんなとだけ言って去っていった少女は、
それまでのことはなかったかのように、立派な女王として君臨した。


そしていま、女王となり500年を迎える今日、浩瀚はあの日言えなかった言葉を、
今度はしっかりと陽子に伝えた。


息苦しいと式典を抜け出した王を、そろそろ戻ってきてほしいと探しに出かけた。

見つけた少女はひどく寂しげな場所で空を見上げていた。
毎回思うが、どうしてこのような寂しげな場所を見つけるのが上手なのだろうか。

浩瀚は一つため息をつき、その姿を観察した。

ぎゅっと締め付けられる心臓。
もう一度あの体を抱きしめたくて仕方がない。
もう一度好きだと言ってもらいたい。
なんとわがままなことだろうか。

もう、決して振り向いてはもらえないのだろうか。
どうしてもだめなのだろうか。

痛む心を抑え続けてどれだけの年を過ごしただろうか。
それもすべて、国が潤えば潤うほど、陽子が喜ぶからこそ耐えてきたのだ。

しかしその忍耐ももう限界を迎えかけていた。

もしもう戻れないのならば、己はここにいる必要もないだろう。
もうこの国は、己がいなくても立派に生きていける。


だから・・・・

静かに陽子に近づく。
みっともない上に情けない己を嫌いになられるかもしれない。
でも伝えたい。
そして聞きたい。


「まだ、あきらめられません。」

聞こえているはずなのに熱心に秋の空を見上げる陽子。

そういえば、別れを告げられたのも秋だったか。

「主上」

呻くように呼びかけるも、何の応えもない。
ああ、それが答えなのですか?

「あれからしばらく貴女と恋人でした。
しかし私のいたらなさのせいで貴女をひどく傷つけていた。
それに気が付かなかった私は本当に愚かでした。」

「貴女が好きです。
あの頃は私にも迷いがありました。
貴女を愛していたのに、言ってしまって良いものなのかわからなかった。
ですが、あなたが疲れたのだとおっしゃった時にひどく後悔いたしました。」



無心に空を見つめる陽子に、まるで独り言のように語り続ける。

「貴女が好きです。
本当に好きなんです。だから、もう一度、今度は私からお伝えいたします。
私の恋人になってください。どうか、お考えください。」


静かに立ち去ろうとする浩瀚に、ようやく顔を向けた陽子の目には涙があふれていた。

さっと腰に帯びた水禺刀を手に取ると、浩瀚に向かって渾身の力で投げつけた。

ぐるんぐるんと勢いよく回転しながら飛んでいく。
ちょうど柄の部分が当たったのだろう。
痛っ!!と呻く声に陽子は意地悪く口角を上げた。

「運が良いな、浩瀚。」

己の背中にぶつかったものが抜き身の水寓刀であったのだとわかり、
冷汗が背中を伝う。

なんとやんちゃなことをするのかと笑いたくても笑えない。

「主上、私を殺すおつもりか?」

じろりと睨む浩瀚に陽子は問うた。

「嫌いになったか?」

「嫌いにさせたいので?」

「答えろ。嫌いになっただろう?」

「いいえ、微塵も。」

「嘘だ!絶対嫌いになっただろ!」

ここまで来たらお互い意地の張り合いだった。

常々隣の王には「慶の人間は頑固者が多い」と揶揄されてきたが、
これは頑固というより子供の喧嘩だ。

嫌いだろ!?
いいえ好きです!!

をどれほど繰り返しただろう。

陽子の目に溜まった涙に気づいた浩瀚は、水寓刀を手に取り陽子に近づいた。

それを手渡し、刀を自分の胸に押し付けさせた。

「貴女が私をお嫌いなのでしたら、どうかこの心臓を一突きしてください。」

陽子の手ごと柄を握り、力を込める。
ほんの少し胸に突き刺さり、痛さに顔をしかめそうになった。

浅く肉をつらぬきはじめる感触を陽子がわからないはずがなかった。

そして同時に、目の前の男が本気で言っているのだと理解した。

「本当に、私が好きなのか?」

「ええ。貴女に振り向いてもらえないのでしたら、もはや生きる意味もない。」

「死なないでほしいのだが?」

「水禺刀を投げつけておいて何をおっしゃいますか。」

「刺さらないと分かっていた。」



妙に自信にあふれた言いように浩瀚は不思議に思った。

「だから、私にはお前が必要なんだよ。」

「それはつまり・・・」

「側にいさせてやるって言っている。」


涙が頬を伝い、静かに流れ落ちていく。
それを優しくぬぐい、その鼻先に口づけた。

両頬を包み込み、鼻先や額や目元に口づけを落とし、
最後にその唇に触れるだけの口づけを落とした。

もっととねだるようにぎゅっと浩瀚の服を握る手に力がこもった。
むろんそのようなことは承知の浩瀚も、今度は深く堪能した。

相変わらず華奢な体は以前と変わらなかった。

壊さないように、しかし一部の隙間もないように、
しっかりと抱きしめた。


もう二度と放すことはないだろう。

「絶対に好きだなんて言わないからな。」

もう一生分言ったんだ。

秋の風に消え入りそうなほど小さな声を苦笑交じりで聞く。

それでも構わない。

もう決して後悔はしない。

「愛しています。」


小さく震える華奢な体を抱きしめ、心が満たされていくのを感じた。

ああ本当に幸せだ。

なかなか顔を上げてくれない陽子にしびれを切らし、
その顎を優しく掬い上げてもう一度口づけを送った。

どこか寂しかったその場所も、今はもう、温かい。





FIN.






おまけ



我が主上は式典が苦手な方です。
今日も重い衣装が煩わしいだの、頭を下げられてばかりで鬱陶しいだのとしかめっ面でぶつぶつおっしゃっていた。

その度に何度溜息をついたことか。
私の溜息にはもはや慣れっこになられてはいる・・・
ですが私だって溜息などつきたくはないのです!
と言いたくても言えない。

そして今、こうして式典を抜け出した主上を迎えに来ているのだが・・・


主上がいらっしゃったのは寂しげな場所でした。
まったくどうしてこのような場所ばかりに来られるのか!

お一人だろうと思っていた主上の少し離れた所には別の男がおりました。

それがこの国の冢宰だということは、その衣装の色合いですぐに分かりました。嫌でもね。

何を話しているのだろうと、ぎりぎりで声の届く場所まで移動してみました。
いえ、別に盗み聞ぎなのでは・・・ありませんよ?

何やら浩瀚が主上にお願いしているが、外なのでその内容まではよく分かりません。

しかし、何やら喧嘩をしているような雰囲気なのがいただけない。
私の主上に何喧嘩ふっかけてんでしょうか?

何を話しているのだ?

疑問に思い、もう少し距離を縮めようとしたその時、
浩瀚がくるりとこちらに体を向けました。

まずいと思ったが、どうやらその場を立ち去ろうとしただけなようでした。

しかしほっとしたのもつかの間、私の心は次の瞬間凍り付いたのです!!!!

だだだだって、主上が、私の主上が!!!
水寓刀を浩瀚に投げつけたのですよ!?

しかも抜き身で!
ありえます!?ありえませんよね!?


あんなに美しい一直線で、なおかつグルングルンと恐ろしい勢いで回転した水宮刀が
サクリと浩瀚の背中に刺さらなかったのは、やはりあの男がまだ王にとって必要な存在だからなのだろうか・・・


それにしても心臓が口から飛び出るかと思いました。
それは浩瀚も同じだったようで、水禺刀を見下ろして硬直している様子でした。
ぷぷぷwwwちょっと笑えるwww

いえいえ!笑えません。危ないです。


でもね、この後もっととんでもないことが起こったのです。

私、心臓が飛び出る前に体が砂と化したかと思いました。

あの男、私の主上を抱きしめて口づけて・・・・

ああ主上、御可哀想に・・・

いえ・・・本当は存じておりました。
あの二人が・・・その・・・あだるてぃでむーでぃーな関係であると。

いつの間にかその関係も終わったのだと思ってました。
その日には使令達とお赤飯を食べたのに、
またまたそんな関係に逆戻りしたなんて!!

許すまじ!!!



見ているのですら辛くなった私は、そのまま式典に帰りました。

それからの式典、あまり覚えておりませぬ。




おわり。




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あきゅろす。
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