紅と麦の物語



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十二国記小説
紅白


ちらちらとうろつく赤色が気になって仕方ない。
ついつい目で追うと、赤毛の少女の姿が目に入る。

それを眺めると時の流れなど忘れてしまう。

ここの所、集中力がない。

冢宰として、少女を守る身として、このようなことがあってはならない。
それは自覚していても、ぼうっと呆けたように少女へ目が行くのは止められない。

いけないと思う。
集中しなければいけないと思う。

気持ちだけが焦り、慌てて書類に目を戻すも、
やはり赤色が気になって目をやってしまう。


どうしたものか・・・

ひっそりと溜息をつく男の様子に気が付かない様子の少女がひどく恨めしく思えた。





ここのところ視線を感じる。

こう言えば何を自意識過剰なと一笑されそうだが、
実際にそうなのだからどうしようもない。

陽子が何気なく視線をあげると、必ず浩瀚がこちらに目をやっている。

最初は何かあるのだろうと思い、どうしたのだと声をかけもした。

しかしたいてい、

「いえ、何も。
少しそちらの書棚が気になっただけです。」
と答えるだけだった。

最初は潔癖症なこの男のことだから埃か乱れでも見つけて気になったのだろうと思いもしたが、
どうにもそうではないのだと気づいたのはそれからしばらくしてだった。

小さく吐き出された溜息に気づき、私の方が溜息をつきたい気分だと泣きたくなる。

浩瀚の視線は鈍感な陽子でも気が付くほど熱がこもっている。


陽子は戸惑った。
しかしその困惑の中にこそばゆいような、
しかしどこかチリチリと痛むような、
そんな不思議な気持ちもあった。


カタリと音がした。

ちょうど浩瀚が立ち上がった所で、陽子は思わずその姿を目で追った。

「資料を探してまいりますね。」

それだけ言うと、スタスタと歩き去る。

それに安心したように大きく息を吐く陽子は、今更ながら緊張していたことに気が付くのだった。




そのような日々を過ごしてひと月ほど過ぎたころ。

尚隆から文が届いた。

それと同時に風流に包まれた包みも届いた。

中身は当然陽子宛てで、面白くなさそうに景麒が文を読み上げるのを陽子は困ったように聞いていた。

「主上、このような物をいただくわけにはまいりませぬゆえ、延王君にはお返しいただくようお願い申し上げます。
おまけにこれは首飾りですし・・・どうにもこれは・・・」

「だが景麒、一応受け取るだけでも受け取ったほうが良いのでは?
文にも気楽に受け取れって書いてあることだし。」

なあ?と祥瓊に目をやる陽子に祥瓊はあきれ果てた顔をした。

「陽子、それがどれほどの価値があるか分かってる?」

「どうせものすごーくお高いのだろう?
あちらも財政が潤っているようで何よりじゃないか。」

「そうよ、お高いのよ!
羊脂白玉に紅玉の組み合わせなんて生きててもお目にかかることなんてないんだから!」

それに・・・

祥瓊が言葉を続けようとしたまさにその瞬間、
「失礼します」と浩瀚が書簡を携え入ってきた。

景麒に祥瓊、虎嘯が陽子の机を取り囲むように困り顔しているのに気が付いた浩瀚は、
何事かと目を細めた。

そして陽子の手にある首飾りを見やり、眉をひそめた。

「とにかく、これは頂く。
ちょっぴりかっこいいしな。」

それだけ言うと、陽子は浩瀚に顔を向けた。

「もうよろしいですか。」

浩瀚が書簡の説明をするため待機していたのは数分だが、
どことなく不機嫌そうなのは気のせいではないだろう。

それを不思議に思い、陽子は浩瀚が持ってきた書簡へ目を移した。



政務も一通り終わり、陽子は今一度首飾りに目を向けた。

首飾りなどどうでも良いのが本心だった。
それがどうしてあのように強引に受け取るなんて言ってしまったのか分からなかった。

赤と白を見つめていると、何かこそばゆいような、そんな気がした。

そっと懐にしまうと、陽子は中庭へと足を向けた。

忘れられたように佇む東屋はこのその先である。

この時間、誰もいないだろうと踏んでいた陽子だが、
しかしその予想は大きく裏切られることになった。

男が座っている。
それも柱に寄りかかるように斜めになっている姿から、
遠目にでも居眠りしているのだと分かる。

陽子は心臓がどきどきと脈打つのを感じた。

その男が禁色を身にまとっていたため、おのずと何者なのかが分かったのだ。


「・・・浩瀚。」

小さく名を呼ぶも、浩瀚は疲れたように眉間に皺をよせ眠っていた。

色白の顔と、どこまでも潔白な男が先ほどの白い玉を彷彿させた。
しかしそれにしても・・・

「これほどやつれていただろうか?」

もともと細身な印象の男だが、今はさらに細く見えてしまう。
冷えた風が浩瀚の前髪を小さく揺らした。

いけない。
このままだと風邪をひいてしまう。

陽子は着ていた外套を脱ぎ、そっと浩瀚にかけてやる。

しゃらりと音がして、懐にしまっていた首飾りがあらわになった。

「・・・しゅ、じょう?」

ぼんやりとした声音の浩瀚に、起こしてしまったかと焦る陽子は、
しかし次の瞬間あっと驚いた。

浩瀚が陽子の腰に手を回し抱き寄せたのだ。

胸元に額を押し当て、首飾りをそっと握る。

「あなたには、にあわない。」

うわごとのようにそうつぶやく男は、それでもやはり眠っているようだった。

寝言だろうと分かっていても、陽子は少なからずショックだった。

赤と白の玉を似合わないと言われてどうしてこれほど心が痛いのだろう。

そうして思い立ったのは、陽子は無意識に赤と白を己と浩瀚に重ねていたのではないだろうかということだった。

ああそうか。
熱のこもった目で見つめられ、嫌ではなかった。

浩瀚の小さな動作にも敏感に気が付いた。

それはつまりそういうことで・・・

ようやく気が付いた気持ちだったが、先の浩瀚の寝言で陽子はがくりとうなだれた。

小さく唇をかみ、回された腕を外した。

しかしその前に浩瀚が目を覚まし、はっとしたように陽子の顔を凝視した。



するりと落ちそうになる外套に気が付き
「これは、主上が?」
と問う。

「うん。風が冷えてきたからね。」

ちくりと痛む胸に気が付かないふりをして答える陽子を浩瀚は訝しげに見つめた。

「私は、何か寝言を言いましたか?」

「いや、何も言って、ない。」

不自然に途切れた言葉をどう受けったのか分からないが、
浩瀚は一瞬納得いかないという表情をしたが、
それ以上追及はしなかった。







しゃらりと揺れる首飾りが目障りだった。

仕上げた書簡を主に届けるために開いた扉の先の光景は、いまこの瞬間に
来なければ良かったと思うほど浩瀚の胸をえぐった。

羊脂白玉という白色の玉は、きわめて希少価値の高い玉の一種だ。
光に当てると仄かに桃色に光ると言われているその玉は、
浩瀚ではどうあがいても手に入らないものだった。
そしてそれと対になるように紅玉が並んだその首飾りは、
だれが送ったかは一目瞭然だった。

似合う。
感心するほどそう感じた。
そしてそれと同時に己の中にこれほど悪質な感情があったのかというほどの嫉妬心に溺れそうになった。


書簡の説明を手短に済ませ、逃げるように主の部屋を出てからは
膨大な量の書簡をただただ淡々と、淡々と仕上げていった。

どう見ても疲弊した様子の冢宰に見かねた部下がもう帰ってくれと懇願して、
浩瀚は追い出されるように冢宰府を後にしたのだが、
向かう先は以前陽子に教えてもらった東屋だった。




長椅子に座り、そっと柱に頭を預けると、
ひんやりとした無機質な温度が浩瀚の頭を冷やしてくれた。

そのまま眠りに落ちた浩瀚を覚醒させたのは赤色と白色で、
それが再度浩瀚の嫉妬心に火をつけたのは言うまでもない。


目を開けるとそこには困ったような顔の陽子がいた。

眠りの中で何か言ってはいまいかと心配になり、
念のため主に尋ねるも、微妙な間を以て返る言葉に浩瀚が気が付かないはずもない。

「それほどお気に召したのですか?」

温度の感じさせない低い声で尋ねると、陽子がびくりと肩を揺らした。

「延王君は余程貴女のことを気に入っておられるのでしょうね。」

「同志のように思っている。
お前は、気に入らないのだろう?」

「どうしてそうお思いで?」

「我が冢宰は先ほどから随分不機嫌な様子だからな。」

我が冢宰という言い方にピクリと片眉をあげ、浩瀚が陽子の顔を見つめる。

翡翠色の瞳がじっと浩瀚を見下ろしている。

ああ、やはり美しいな。

心臓がバクバクと暴れはじめる。

苦しい、苦しい。

これ程貴女を愛しているのに。

浩瀚の視線が熱を帯びたのに気が付いたのか、
陽子が狼狽えたように視線を外した。

両腕で目の前の腰を引き寄せると、やめろと小さな手が浩瀚の腕をつかむ。

嫌われるのが怖い。
しかしその首飾りだけは何とかせねばいけない。

もう一度胸元に額を寄せ、じっと首飾りを眺めた。

「お似合いですよ、とても。」

「嘘だ。」

間髪入れず返る応えに疑問がわく。
敢えて口にすることなくしばらく待つと、
「似合わないって言ったじゃないか」と泣き出しそうな声が聞こえた。

はっとしたようにもう一度陽子へ目をやると、
「泣き出しそう」ではなく、本当に大粒の涙を目に溜め、
必死で泣くまいとこらえている陽子がそこにはいた。

さすがの浩瀚も狼狽えた。


今度は強引に陽子の腰を引き寄せ、無理やり己の膝に座らせる形で抱きしめた。

驚き、硬直する陽子を安心させるように優しく頬を撫ぜる。

「に、似合わないって、言ったじゃないか!!」

泣きじゃくるようにもう一度言う陽子に浩瀚はやはり寝言を言っていたのかと確信した。

「申し訳ございません。
ただの、醜い嫉妬でございます。
それが、貴女にあまりにも似合っていたので、つい・・・」

心底参った風な浩瀚に抱きしめられるがまま、陽子は浩瀚の首筋に顔をうずめた。

この香りが好きだ。
優しく頬を撫でる手が好きだ。
声が好きで、神経質で潔癖な性格も好きだ。

泣きじゃくる度にかかる吐息が浩瀚ののど元をくすぐる。

それがくすぐったくもじれったくて、浩瀚はどうしようもないもどかしさに腕の力を強くした。

見ているだけだった愛しい少女が腕の中にいる。
無防備に泣く姿に、おそらくこのような姿を見せたのは己が初めてだろうことに、
優越感のような気分の良さすら感じた。

いつの間にか嫉妬心すらどこかに行き、己の言葉にこれほど左右される少女が愛しくてたまらなくなった。


「主上、冢宰を、降りさせて頂きたく存じます。」

その言葉にさらに傷ついたような顔をする陽子に、浩瀚はにっこりと笑んで付け加えた。

「貴女が愛しすぎて仕事も捗りませぬ。
このような首飾りを送るかの王にも嫉妬してしまうこの心を止めることなど到底できませぬ。
貴女への想いがあふれて、どうして良いか判断できないのです。
どうしたら良いでしょう?」

「どうしたらって。
けど、私はお前が必要なのに。
お前が私を見ていたのは知っていた。
嬉しく思えたんだ。だのにどうして離れたがるのだ?」

分からないよ、
陽子がまた涙を溜め始めたのをみて浩瀚はそっと唇を寄せた。

「もっと違う形で貴女を支えたい。
そう、例えば貴女が私の妻になる、とか。」

「私が、お前の奥さん?」

陽子が驚いた風に目を見開いた。

「ええ。
ですが、国は安定したとは言え、後任を任せられる者は未だおりません。
ですから、今ここに誓ってもよろしいか?」

婚約しようと、そう言われているのだと気が付いた陽子は頬を真っ赤に染めた。

それが恥ずかしく、見られないように浩瀚の胸元へ顔を押し付ける。

浩瀚の心臓がドキドキと脈打っているのに気が付き、
浩瀚も緊張しているのだと知る。

そして己の心臓も大きく脈打ち、まるで呼応しているかのように二人の心臓が重なったようだった。

「婚約って、どうするの?」

「これをお付け下さい。」

浩瀚は己の腰に付けていた玉をはずし、陽子に渡した。

「これっていつも浩瀚が身に着けていたものだよね?
大切なものなのではないか?」

「官吏になったころ、母からもらったものです。
今はもう亡くなってますので形見のようなものです。」

「だ、だめだよ、そんな大切な物。」

「大切だから、貴女に。
それにそれを私が身に着けていたということは周囲の者も知っています。
互いの大切な物を交換するということは、結婚を控えた男女ではよくあることです。」

「そうなのか?」
「ええ。確か蓬莱では指輪を贈るのですよね?
それはまた後日、改めて貴女にお贈りしてもよろしいか?」

「そ、それならお前も私のものだって証を身に付けろ!」

そういって己が身に着けている物を見下ろすも、
元来着飾る事に無頓着な性質のため、がくりと項垂れてしょげ切った顔で浩瀚を見つめなおした。

それを見て小さく噴き出す浩瀚は、
「では、今度互いに指輪でも交換いたしましょう。」
と提案した。

「絶対だぞ。」
「ええ。絶対です。」



ひんやりとした風が東屋を吹き抜ける。


密やかに誓い合う二人には、その冷たさが心地よいほどに・・・







FIN.





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