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長編
転機の朝
珍しく、寝坊しなかった。
6時半に自然に目が覚めて、リビングからはトーストの甘い香りとソーセージの香ばしい匂いがする。
「あら、ツナおはよう。珍しいわね。」
「うん…。」
あまり冷たくないフローリングをペタペタ歩く。
席につき、朝食を食べ始めた。
久々にゆっくり食べる朝食は、すごく美味しく感じた。
サクサクしたトーストは、中のモチモチした食感が心地良い。
パリッとしたソーセージは、齧るたび弾ける皮とそこから溢れる肉汁が唾液腺を刺激する。
いつもなら味や食感を感じる間もなく外に飛び出して行っていたから、すごく勿体ないと感じた。
かといってゆったり優雅に何十分も朝食に費やす暇は無い。
適当に時計を確認し、丁度いい時間になるとオレは皿を重ねてテーブルの上に放置した。
「いってきまーす。」
「いってらっしゃーい。」
母さんの声を背中に受けながらオレは珍しく時間に余裕を持って家を出た。
まだいつもの時間じゃないから誰もいないかな、と思ったけど、
「獄寺君?」
「おはようございます!十代目。今日はお早いんですね。」
「うん、いつもより早く起きちゃって。」
昨日ビアンキは獄寺君が気丈に振る舞っていると言っていたけど、実際どうなんだろう。
聞こうかと思ったけど、せっかく何かを抑え込んでまで元気でいる獄寺君に申し訳なく感じて、止めた。
「あれ?山本は?」
「さぁ?先に行ってて良いんじゃないんスかね?」
「うーん。時間まで待とうよ。」
何も言わずに承諾した獄寺君は、どこか遠くを見るように顔を逸らした。
(あ…そうか。)
オレは気付いた。
ビアンキが昨日言っていたことは、この事ではないか。と。
でも、オレには獄寺くんがその時何を考えているのかなんて分からなかった。
「…時間スね。」
「ん〜…行っちゃおうか。来たんだったら、あとで追いかけてくるだろうし。」
「来なくてもいいんスけどね。」
やっぱりオレは、鈍感だったんだ。
僅かだけど、獄寺君の声のトーンが変化した。
「山本なら、すぐに追いつくよ。」
獄寺君は何も言わず、一度だけ作り笑いを浮かべた。
『あの子、最近おかしいから…。』
昨日言っていたビアンキの言葉が妙に突っかかる。
『獄寺君のこと?』『うん。』
昨日電話してきた山本の真意も気になる。
何かあったのだろうか。
「獄寺君。」
「はい、何でしょう。」
笑っている獄寺君の表情の裏に、一体何を隠しているんだろう。
それが気になって、でも失礼だっていうのも分かってて、そして知ってしまっていいのかという疑問が浮かぶ。
「最近、何かあった?」
「え…?」
直接的なような間接的なような質問に、獄寺君の顔から笑顔が消えた。
聞いちゃいけない事だったかな、と少し後悔しながら、それでもオレはまっすぐ獄寺くんを見た。
「いや、別に…これと言ったことは何も…。」
また獄寺君は手を首の後ろに当てた。これは、何かを隠しているサインだとオレは知っている。
「なんか、ビアンキが心配しててさ。」
「アネキが…?」
オレの意思で聞いているんじゃない、と言う様にオレは獄寺君に付け加えた。
「何かあったんじゃないかって。」
倒置法のように質問を繰り返した。
すると獄寺君は目を逸らし、唇を引き結んだ。
(やっぱり、聞いちゃいけなかったかな…。)
と胸がチクリと痛むような後悔が渦巻く。
「オレ…そんなに分かりやすいスかね?」
空しく獄寺君の顔に笑みが浮かぶ。そんな笑顔、今更信じない。
「アイツって…このままボンゴレに引き込んでしまって、いいんですかね。」
疑問文でなく、肯定文で獄寺君が言った。
「色々、巻き込み過ぎているような気がして…。黒曜ランドでは大事な腕に傷負わせたり意識失ってたり、リング争奪戦では、眼も負傷して、未来では親父さんまで…。それに…」
徐々に獄寺君の言葉が詰まっていく。
オレの胸にも鋭く突き刺さるような事実が次々に出される。
「シモンの時に至っては、百蘭の助けが無かったら…っ。アイツは…っ!」
ぐしゃっ と整えられた前髪を引き抜くように掴む。
その行動が、どれだけ獄寺君を追い詰めているかを明瞭に示していた。
と、そこで言葉が完全に止まった。
嗚咽のような、しゃくりのような呼吸音が聞こえて、オレまで泣きそうになった。
まさかこんな重たい考えを、ずっと持っていたなんて…。
何かを堪えるような歯ぎしりの音が、オレの耳にまで届いた。
「…すみません。朝っぱらからこんな話して…。」
「いや、オレが聞いたんだから…獄寺君は悪くないよ。」
悪くない、ともう一度獄寺君を慰めるように言った。
これが本当に慰めになるかは、分からないけど。気休めぐらいにはなってほしいと思った。
落ち着きを取り戻そうとしたのか、獄寺君は溜め息をついた。
そのため息も泣いた後のような突っかかりがあり、肩をすとんと下ろすには熱い息だった。
「じゅうだいめ…」
獄寺君の声が、今度こそ確信的に震えた。
「申し訳ありませんが、今日はちょっと帰らせてもらいます…。」
「あっ…。」
オレが何かを言う間もなく、獄寺君は駆け出してしまった。
ズキン と胸の奥が痛む。
『百蘭の助けが無かったらアイツは…』という言葉の続きが頭を過り、オレにも獄寺君と同じ疑問が浮かぶ。
足が、自然と止まった。
その場に縫い付けられたかのように。
動かない。
動けない。
こんなことしてても、何も変わらないのに。
山本が後ろから励ましてくれる訳でもないのに。
そこでオレの脳裏に最低な考えが浮かぶ。
これで心おきなく山本と話ができる。と…。
オレは自分を思いっきり殴りたくなった。
友達があんなに辛そうにしているのに、他の友達の事を考えるなんて…。
本当に、最低だ。
鉛を飲んだように重い胸を引きずる様に学校に向かう。


いつもより通学に時間が掛かった気がするのは、気のせいだったのだろうか。
時計はまだ8時20分で、いつもよりもむしろ早いくらいだった。
「ツナ君、おはよう。」
細々とした声でエンマが後ろから話しかけてきた。
「…おはよ。」
口元を少し、無理矢理あげて笑みを作った。
「元気無いね。」
だけどエンマは(エンマじゃなくてもきっと分かるだろうけど)そんな作り笑いを見抜く。
その言葉に何と返したらいいか分からず、黙り込んでしまった。
寝不足を理由にするには時間が早すぎるし、事実を言うような勇気も無い。
「何でも無いよ。」
オレは、そう答えた。この言葉から何かを悟ってほしいという願望もあった。
本当にエンマが悟ってくれたのか、それっきり何も言わなかった。
「よう、ツナ。今日は早ぇのな。」
「山本…。」
「…?」
山本とオレの間に妙な間と空気が流れた。
これじゃ何だかエンマが一番可哀想だ。
変な空気を感じ取ったのか、エンマは消えるように教室に行った。
「獄寺は?」
「休むって。」
「ふぅん…。」
オレの表情から悟ったのか、山本はそれ以上何も言わなかった。
「放課後、部活何時に終わる?」
昨日の話の続きをしよう、と暗に誘った。
「そうだな。昼休みは屋上来る人も多いからなぁ…。今日は部活無いから、いつでもいいぜ?」
山本も混乱しているのか、関係ない昼休みの話をした。
「じゃあ…4時に屋上ね。」
「おう。」
いつもの明るい「おう!」ではなかったことに、少し違和感を覚えた。
チャイムもまだ鳴らない。
もう少し時間って早く流れるものじゃなかったっけ、と沈んだ心で思う。
「ツナ君、おはよう。」
玄関で、京子ちゃんに会った。隣には黒川花もいた。黒川はじっとりとオレを睨んでいた。
「…おはよう。」
オレは京子ちゃんに心配させないように、薄く微笑みながら挨拶を返した。
当然のように少し驚いた顔をした京子ちゃんだったが、オレは何も言えなかった。
ただ、気付いたことに気付かないふりをしているだけで精一杯だった。
今日一日中、ずっとこんな風に落ち込んでいるのだろうか。
どうすれば、気が楽になるだろう。
考えても気晴らしの方法なんて思いつかなくて、同時にこの感情を発散していいのかという罪悪感さえ生まれる。
晴らしてしまったら、なんだか獄寺君に申し訳ないような気がした。
山本と重い足取りで教室に入った。クラスのみんなの騒ぎ声が、妙に癇に障る。
渦巻くような気持ち悪いものが胸に滞っていて、平生で居られない。
そんな中、聞きなれたチャイムが鳴り始めた。
同時に担任が入ってきて、連絡事項も耳を通り抜ける。
授業も、クラスメートの会話も、全部がオレの脳をすり抜けていった。
昼休みだということに気づいても、なんとなく食欲がわかない。
行儀が悪いのは分かっているけど、オレは肘をついてやる気が無いような調子で箸を進めた。
対して山本は野球部の人達やクラスメートと笑っている。
きっと山本も胸の内は黒く重苦しいだろうけど、それを見せないようにと頑張っている。ように見えた。
勝手にオレの心情と重ねているだけで、実際はどうか分からないけど。
勝手にオレがそうあってほしいと思っているだけで、本当にそうか分からないけど。


ほんの一か月前まで、夕方の4時といえばもう空に赤みがかかっていたけど、さすがに春の兆しが見え始めると空も青く澄んだままだ。
「ツナ!ごめんな、遅くなって。」
走って来たらしい山本の顔にいつもの明るい笑顔は無く、本当に慌てた表情しか無かった。
「ううん、いいよ。」
オレも気の利いた返事が思い浮かばず、適当な言葉を返す。
そして山本はオレの隣にゆっくり腰を下ろした。
「それで、何があったの?」
とオレはいきなり核心をついた。
余談や世間話に花を咲かせられるほどの心境でも無かったし、なんとなく、その方が良い気がした。
「別にさ、直接何か言われた訳じゃないんだけど…。」
オレの対応にも何も文句を言わず、山本は話し始めた。
「やっぱり、オレ…獄寺に嫌われてるんだなって最近思うんだよね。」
心の重みが同調して、テンションのギャップを修正する必要なんて無かった。
「なんで?」
とりあえず、そう返した。
言葉の通り理由が気になるのもあるけど、もう少し自分の意見をまとめる時間が欲しいというのもあった。
「…でも、本当は違うのかも。」
「え?」
「本当は、無理だって分かってて…諦める口実なのかも、な。」
悲しそうに山本は立てた膝に顔を埋めた。
「なんで、諦めたいって思うの?」
今度は、本当に理由が知りたくて質問をした。
「絶対…無理だから。かな…。」
儚い物を掴むように山本は手を空に向け、空気を掴む。
それは獄寺君の心をとらえられない、もどかしさを表現しているようだった。
『アイツって…このままボンゴレに引き込んでしまって、いいんですかね。』
「獄寺と一緒に居たいって思う程、獄寺に突き放されてるような気がして…」
不意に、今朝の獄寺君の言葉と混ざる。
『色々、巻き込み過ぎているような気がして…。』
「本気で獄寺と同じ世界に立ちたいって思ってるのに…」
『百蘭の助けが無かったら…っ。アイツは…っ!』
「なのに、オレじゃダメだって…。言葉の裏でそう思われてるような気がして…。」
違った。
オレは、とんだ勘違いをしていた。
「だから獄寺が嫌だって言うなら、諦めようかなって思った。」
相思相愛?以心伝心?
そんな言葉で二人の感情を表現することなんて、できなかったんだ。
「だから…」
こういうのを、『すれ違い』って言うんだ…。
「だから。」
山本は理由の文末を何度も言って、まるで自分を無理矢理納得させるように思えた。
「それで、諦めるの?」
「うん。」
「確信も、得ないままで?」
「うん。」
だんだん心の中の渦巻く感情が、沸騰しはじめた。
「本人に、聞きもしないで…?」
「ツナ…?」
「勝手に、獄寺君の気持ちを決めつけて?」
二人の思いを知ってるからこそ、勝手に諦めることに腹が立った。
「自分の感情を憐れむようにさ、そうやって諦めるの?!」
山本の目が見開かれて、驚きを露わにしていた。
「ツナ…。」
自分の感情が昂って、涙が滲む。
「それで…本当に獄寺君が、喜ぶと思ってるの?!」
発した声が鼻声で、涙がぼろぼろ頬を伝うのも厭わずに、オレは叫んだ。
「そんなの…っ!山本らしくない!!」
全部言い終わっても山本は驚いたままで、何も言えずにいた。
そのうち、オレの言いたい事を理解したのか、真剣そうな表情に変わった。
「でも、ツナだってそうだろ?どんなに強がったって、好きだって気持ちを伝えて拒絶されるっているのがどんだけ怖いか…分かるだろ?!」
オレの感情の昂りに呼応するように山本の声も荒げられる。
「オレだって、好きだって…言いたいのは山々なんだよ…っ!!それでも…拒絶されて、もう二度と一緒に居てくれないって考えるだけで…!!それなら諦めて一緒に笑い合えた方が幸せだって…!」
「そうだよ!山本の言う通りだよ!」
叫んだ動作と同時に、オレは無意識に立ち上がった。
思わぬ同意に山本はまた目を丸くした。
「気持ちを伝えるのは怖いし、拒絶されたらって思うと足がすくむ程だし…!」
言葉が嗚咽で幾度も途切れ、何度も裏返って奇妙な声が出る。
「それでも!伝えなきゃ、何も分かんないじゃん!!!」
上手く息が吸えなくて、呼吸と同時に肩が上下に激しく動く。
「獄寺君は…言ってたよ。」
本当に言っていいのか分からないけど、もし、この言葉で山本の気が変わるなら、あわよくば告白してくれれば。そう思った。
「山本をこのままオレたちの世界に引きずり込んでしまっていいのかって!!!」
山本の表情が、完全に止まった。
「何度も何度も何度も傷ついた山本を見て…!未来では親父さんも殺されてて…!この間だって…白蘭がいなかったら死んでたかもしれないって!!そこまでして山本を巻き込む理由があるのかって!!!」
「ごくでらが…。」
「そう言って…!泣いてたんだよ?!!」
「え…?」
荒い息を整えるように、一度大きく息を吸った。
「それでも山本は!何も言わなくていいの?!!」
「……。」
茫然とした表情で山本はオレの顔を見ていた。
涙でぐちゃぐちゃで、鏡を見なくても分かるくらい醜い顔を。
「ねぇ!!?」
ワイシャツやブレザーの袖では決して拭いきれないほどの涙が溢れる。
「獄寺が…そんなことを…。」
山本は頭の中で情報を整理するように目を開いたまま視線を落とす。
少し強めの風が吹いて、泣いて熱くなった目元を優しく冷やす。
「でも、だって…。」
混乱しているのか、自分の中で整理しきれないのか、接続詞だけを口から零す。
「獄寺はオレが嫌いなんだろ…?」
回答を求めるように、オレの方を見上げた。
分からない数学の問題を当てられた時以上の混乱と困惑の表情を浮かべていた。
「なのに…なんで…。」
更に山本の視線が動く。
「獄寺君だって、変わったんだよ。」
すると山本は点と点が繋がったような、全てを理解したような表情を浮かべた。
「後悔してからじゃ、遅いよ。」
オレの言葉を何かの合図と受け取ったのか、山本は勢いよく立ちあがってドアの方へ走っていった。
そこで一度オレの方を振り返った。
「ツナもな。」
一度ニッと笑うと、山本は全力疾走で階段を駆け下りていった。
何も無い空間を茫然と見つめる。
身体の芯を春風が通り抜けたような、心がすっきりした感覚があった。
「やっぱり、山本には分かったか…。」
目の縁に溜まった涙を全部拭い、オレも覚悟を決めた。
「次は、オレが勇気を出す番だ…。」
山本に倣う様にオレは階段を駆けた。


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