短編小説
3
―――そうだ。仕事が残っているから仕方なく…仕方なく………
ポタリと汗の滴が、キーボードに添えられたままの手の甲に落ちる。
「どうしました、部長?」
いぶかしげな声に、佳克はハッと顔を上げた。
目の前に主任の桜森が立っていた。佳克の七年後輩の彼は真面目一徹、目立つ業績はないもののその堅実さで少しずつ出世してきた男だ。真面目すぎていささか猫背になってしまっているのが玉に瑕だが。
桜森は誠実を絵に描いたような顔に心配そうな表情を浮かべて佳克を覗き込んでいる。
「具合でも悪いんじゃないですか? 熱がありそうですね、顔が真っ赤です」
どっと冷や汗が出た。上ずった声が出そうになって、慌てて空咳を繰り返す。
「ちょ、ちょっと風邪気味かな? まあ、大したことないから気にしないでくれ。それより主任もそろそろ帰ったらどうだね。君こそあまり顔色がよくない。仕事しすぎじゃないか?」
「いえ、自分はそれほどでは。でも、今日はお先に失礼させていただきます。ひと段落ついたので」
ファイルを佳克に手渡すと、桜森は会釈をして出て行った。その後姿に瀬尾が頭を下げて挨拶している。礼儀正しい平社員の態度だ。
だが、桜森がいなくなってから瀬尾の態度は豹変した。
クスクスと密やかな、けれど悪意に満ちた笑い声が端整な唇から漏れだす。
「―――何がおかしい?」
思わず身体の疼きも忘れて佳克が睨むと、瀬尾はチラリと流し目を寄越してくる。
「失礼しました。部長のごまかしかたが、あまりにわざとらしかったもので」
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