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Sakura tree

一栄の成績が少しずつ戻っていったのも、精神的に余裕が戻っていったのも杏子のお陰だったのに、一栄は一度も杏子にお礼を言った事は無かった。
きっとそれを認めてすらいなかった。
何となく都合がいいから居る相手にしか思ってなかった。
杏子が居ないと体調を崩すほど執筆に集中してしまうというのに。

杏子が居られる時はなるべく居てやって、身の回りの事を気にしてやった。
それでも一栄は何度か倒れた。

仕事に生きると言って、散々一栄に偉そうに言ってきた杏子が、一栄の為に仕事をやめると言ったら、随分責任を感じるだろう。
そう考える事が既に、杏子にとっては異常だった。
だいたい付き合ってすらいないのに、そこまでしてやる理由も無い。

実際は付き合ってるようなものだったかもしれないが、恋愛関係にはないとお互い思っていたから。
一栄が辛い時も、それ以上どうしていいのかわからなかった。

そんな時だ。
一栄が血を吐いて倒れたと聞いて、杏子は泣きながら病院に駆けつけた。
命に関わるような事ではなかったけれど、その時初めて、杏子は一栄に素直になった。

「やめる…!私、仕事を全部やめて、アンタのそばに居てあげる!」

一栄は迷惑そうな声を出して、それを断った。

「やめろよ。どうせ出来ないね。仕事大好きなクセに」

それでも杏子は食い下がった。

「出来るわよ!やれる!アンタのそばに居て私が面倒を見てやらないと、アンタ絶対早死にするわよ!?」
「脅しかよ……」

杏子が泣いて訴えても、一栄は鼻で笑って逃げた。
自分がこんな状況でも、一栄は自分の為に杏子が仕事を犠牲にするのが嫌で受け入れなかった。
そして遂に杏子は、一栄の胸に泣いてすがった。

「いや……。お願い…っ。だって心配なの……。仕事が重荷に感じるくらい、貴方がとても心配になって…!お願いだから……そばに居させて……?貴方のそばに居たいの…っ」

一栄の胸でわんわん泣く杏子の頭を、一栄はその時初めて優しく撫でた。
そして顔を上げた杏子に、初めてにっこりと優しく微笑んだ。

「ずっと、俺のそばに居てください」

二人は恋愛をしているという感覚も無く、そのプロポーズで結婚を決めた。
一栄が十八歳。杏子が二十一歳の時だった。

結婚をしてもすぐには変わらなかったけれど、子供が出来ると一栄は“子供に嫌われたくないから”といつもにこにこしているようになった。
杏子はそれがまたイラッとしたけれど、いつもにこにこしている一栄は好きだったし、その内杏子までそうなった。
大人になった事もあるだろうが、互いに互いが癒された事も大きいだろう。


二人は自分達のこういった経験から、子供には愛情を表現する事の大切さを教えた。
愛情を素直に表現する事は素晴らしい事で、決して恥ずかしい事じゃない。
自分に素直になる事は、とても素敵な事だ、と。
だから怜が人と少し違った個性を持っているとわかった時も、すんなり納得出来てしまった。
兄弟達にも差別意識は生まれなかったし、むしろ怜を大事に思うようになった。

反発して、罵りあって、二人が散々ぶつかってきたのは、きっとこの子供達の為なんだと二人は思った。
二人が得た教訓を、子供達に教える為に。


話を聞いて、怜はその答えを見つけた。

「ありがとう」

恥ずかしがっていないで、素直に先生にお願いすればいい。
一緒に写った写真が欲しい、と。


清々しい笑顔で部屋に戻っていく姿を見て、一栄と杏子はにっこりと微笑み合った。

「よかったね。何か解決したみたいだ」
「そうね」

一栄は席を立つと、いつもの微笑で杏子に言った。

「さて。仕事に戻るよ」

一栄が杏子の望み通り素直に笑って、愛情を注いでくれるから。

「なら、おやつの差し入れをしないとね?」

杏子も一栄の望み通り素直に笑って、一栄に愛情を注ぐ。
だから二人は呆れられるくらい、いまだにとても仲がいいのだ。

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あきゅろす。
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