Sakura tree
10
王子が部屋で宿題をしている間に休めると思ったが、望が帰宅して怜を見つけると、例の如く面白がって構いだした。
ママから事情を聞いて感心し、それでおさまるかと思いきや、まだくすくすと笑っている。
「大変なお役目についたな」
「笑い事じゃないわよ……。わからないでしょうけど、コレすんっごく疲れるのよ?」
声を抑えてこっそり愚痴る。
「でもその格好してると『怜ちゃん』って呼びづらいな」
当たり前に呼び捨てにしていた頃を懐かしんでいる場合ではない。
「怜…か……?」
「お。お帰り。こちら王子の王子様に就任なさいました、怜でーす」
「悟兄ぃ〜…っ」
やっぱり頼れるお兄ちゃんの安心感は違う。
「聞いてぇ。私もしかしたら、これからも頻繁にこんな事になるかもぉ」
王子の為に出来る事があるなら頑張るけど、それには多大な労力を要する。
泣きたい気分で悟兄のジャケットの袖を摘まむと、温かくて厚みのある手が頭にぽんと乗った。
「怜にしか出来ない事なら、してあげなさい。本当に辛くなったら、俺達が聞いてやるから」
「お兄ちゃんだからね。可愛い可愛い怜ちゃんに泣かれちゃあ、放っておけないんだよ。昔っからね」
お兄ちゃん達の愛情に感動。
しかしその余韻に浸る暇も無く、ばたばたと階段を下りてくる足音を聞いて、すがっていた手を引っ込める。
「怜ちゃーん!宿題終わったー!あ、お兄ちゃん達だ!」
また二人にも同じ様に語って聞かせながら、王子はちゃっかり隣をキープする。
「怜ちゃん。部屋で携帯鳴ってる」
後からすぐ皐が顔を出して、親指を立てて二階を指す。
「ついでに持ってきてくれればよかったのに。ちょっと王子、離れて」
王子を置いて部屋に戻ると携帯は鳴っておらず、そもそも着信すら無かった。
あれ?と不思議に思っていると、いつの間にか皐が来ていた。
「少しだけ、王子から離れられただろ?」
皐の、らしくない優しさが嬉しくなって、ふっと片頬で笑む。
「さんきゅ」
「……そうやってさぁ」
ボソリと、本音がこぼれる。
「カッコイイ怜ちゃんが、俺も自慢だったんだけど……」
皐の言葉には、悔しさが滲んでいた。
「俺だってずっと昔からそう思ってたし……。三人の中で、小さい頃から俺の面倒みてくれてたのは怜ちゃんだったから……憧れてたのに……」
言いたい事はわかる。
「皐。おいで」
あえて、昔の呼び方で呼んだ。
だから説教でもされると思ったのか、皐は後ろ手でドアを閉めると黙ってカーペットの上に正座した。
それが小さかった頃を思い出させて可笑しい。
「弟が出来た時、すごく嬉しかったんだ。だから自分が面倒をみたがった」
皐は恐る恐る顔色を窺って、またうつむいた。
「でも、中学生になって……自分の事で精一杯になった。余裕が無くて、皆にも迷惑かけてたし……。皐にもすごく、寂しい思いをさせただろうと思う」
急に冷たく突き放されて、きっと酷く裏切られた気持ちになったかもしれない。
まだ小さな皐を怒鳴り付けた事もあった。
それが落ち着いた頃にはもう以前の「お兄ちゃん」なんて居なくて、家族の前でカミングアウトをしていた。
「俺は今も、前と同じく皐は大事な弟だと思ってるけど……。皐には、俺は全然違うモノになったように見えてるんだろうね……」
モヤモヤを解決しないまま、うやむやになってしまったから。
「怜ちゃん、俺は……」
「わかってるよ」
オネエなのが嫌いなんじゃない。
ただ、変わってしまったんだと思ったら寂しくて、イライラをぶつけただけだ。
「怜ちゃーん?まだぁ?」
待ちきれずに来てしまった王子には申し訳ないが、今は皐との話の方が大事だった。
「王子、もうちょっと待ってて。今、皐と大事な話してるんだ」
「皐ちゃんどうしたの?」
「大丈夫だから。下で待ってて?いい?」
はーい。といい返事で下りていったのを確認してドアを閉める。
「……よかったの?」
どうせ王子の方が可愛いクセに。という拗ねと嫉妬。
それと自分を選んでくれたという照れと嬉しさが混じっていた。
何が?ととぼけて座り直す。
「変わったように見えても、今もちゃんと、皐は好きだよ。…………俺に何があったか……聞きたい?」
ハッとして顔を上げた皐は口を開けたが、よほど驚いたのか絶句している。
「思春期だった」と片付ける事は簡単だ。
ただそれでは、ちゃんとした説明になっていない。
どういう出来事があり、どんな心の動きがあったか。
それがどうやって、皐への裏切りに繋がったのか。
納得してもらうまで説明して、謝るしかない。
「……皐は、聞く資格があると思うけど……」
本当は自分でも触れたくない、触れられたくない時期(はなし)だ。
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